2005年09月01日

ENIACからMANIACへ(EJ1668号)

 ヴァネヴァー・ブッシュはこう考えたのです。あるテーマにつ
いて思考しようとするとき、その思考のための準備行為――とく
に関連資料の収集に膨大な時間がかかる――これを何とかできな
いものかと考えていたのです。この解決策としてメメックスの構
想が生まれたのです。
 メメックスの長所は資料の検索が柔軟にできることです。情報
を記述した通常のテキストは、ページ順に読まなければならない
のですが、メメックスの場合は読む順序は自由に決められ、さま
ざまなテキストを横断して、反復して読むことができるのです。
そして道筋を記憶させておくことによって、元の場所にも簡単に
戻れる――テキストの革命です。
 このアイデアは、のちに「ハイパーテキスト」と呼ばれて、コ
ンピュータによる情報処理の重要なコンセプトになるのです。さ
らにその情報はテキストだけでなく、ヴィジュアルの資料や音声
を含んでいたのです。メメックスにおいて写真を取り込み、何ら
かの方法で音声や動画まで扱うことまで考えていたのです。これ
は、マルチメディア・マシンそのものです。
 ヴァネヴァー・ブッシュをテーマに一冊の本を書いた歌田明弘
氏は、その本の中で次のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 (ヴァネヴァー・ブッシュが)50年代末に書いた『メメック
 スU』というエッセイでは、ブッシュは、電話線を介して、図
 書館のメメックス・マシンで必要な文献を検索し、ファクシミ
 リを使ってそのまま自宅のメメックスにとりこむことも考えて
 いる。実際、いまや、電話線をとおして、デジタル化されたデ
 ータをいながらにして入手し、自分のコンピュータにおさめて
 利用することができる。
 ――歌田明弘著『マルチメディアの巨人/ヴァネヴァー・ブッ
          シュ/原爆・コンピュータ・UFO』より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 驚くべし、これは、現在の「インターネット」そのものではな
いでしょうか。ヴァネヴァー・ブッシュは今から実に55年も前
に、今日のコンピュータ文化を予見していたのです。
 これほど優れた学者であるブッシュですが、なぜ、コンピュー
タの開発に関してはアナログにこだわり、デジタルを拒否したの
でしょうか。
 それは、フォン・ノイマンらが中心になって開発が進められて
いた世界初のデジタル・コンピュータENIACは相当ひどい代
物だったのです。動作はきわめて安定せず、雷雲がくると調子が
おかしくなるしまつです。
 ENIACを見たIBMの創業者の息子で、後に同社会長にな
るトーマス・ワトン・ジュニアは、世界で初めて稼動したENI
ACを見たとき、次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 あのENIACはせいぜいが興味深い実験装置であって、われ
 われとはおそらく無縁だろう。
              ――トーマス・ワトン・ジュニア
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 あのIBMですらこうだったのです。つまり、ビジネスパーソ
ンの目から見ると、ENIACは「金ばかりかかる信頼性の低い
マシン」であり、とても使い物になるとは見えなかったのです。
ある意味では、ビジネスマン的な合理性を持つブッシュとしては
納得のいくマシンとは思えなかったのでしょう。
 しかし、フォン・ノイマンは違っていたのです。コンピュータ
はデジタルであるべきだという信念を持っていたのです。ノイマ
ンは、マンハッタン計画での原爆開発のプロセスにおいて、ブッ
シュの開発したアナログ計算機を使っており、その限界を嫌とい
うほど知っているからです。
 ENIACの開発が終了したときの最初の計算は、フォン・ノ
イマンが主導して行っています。実際には1945年12月から
翌年の1月にかけて、ロスアラモスの2人の物理学者によって行
われたのです。
 計算内容は、水爆開発のための予備的な計算である3つの微分
方程式を解くもので、そのためのデータが打ち込まれた約50万
枚のパンチカードがENIACの設置されているペンシルヴァニ
ア大学に運ばれたのです。
 ENIACはこの計算を約6週間で仕上げています。もし、ア
ナログ計算機で行ったら、100人で1年はかかっていたはずで
あり、かなりのスピードであることが証明されたのです。ENI
ACによる計算の状況を見て、フォン・ノイマンは、プログラム
をコンピュータに内蔵させるというアイデアを思いつくのです。
 それまでのデジタル・コンピュータは、ひとつの計算が終了す
るたびに機械をリセットし、次の計算を行うという効率の悪いも
のだったのです。
 ノイマンは、コンピュータに記憶装置を作り、そこにプログラ
ムをデータとして格納し、これを順番に読み込んで計算するとい
うコンピュータを提案したのです。これなら、いちいちリセット
することなく、連続して計算することができるからです。
 これは「ストアドプログラム方式」――ノイマン型コンピュー
タと呼ばれ、現在のコンピュータの基になったのです。ノイマン
はこのアイデアを海軍に気候予測の計算のためと称して売り込み
1952年3月から稼動をはじめています。その名前は次のよう
につけられたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
Mathematical Analyzer Numerical Integrator and Computer
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この頭文字をとると、MANIAC(マニアック)となるので
す。ENIACからMANIACへ−−海軍は正式な開発をIB
Mに委ねます。当社とは縁のないもの――当初のワトソンの言葉
からの180度転換です。    ・・・[インターネット08]


≪画像および関連情報≫
 ・歌田明弘著、『マルチメディアの巨人/ヴァネヴァー・ブッ
  シュ/原爆・コンピュータ・UFO』/エピローグより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  原爆とコンピュータ・カルチャーとUFO。ブッシュという
  名は、いま、相互に何の関係があるかわからないこの三点の
  うえに位置している。「現代はどういう時代なのか」という
  問いに答えるのは容易ではない。だが、強いて答えるなら、
  この奇妙な三角形のうえにいるヴァネヴァー・ブッシュとい
  うこの男の有りように、それを見てとることができる、と言
  えるかもしれない。
  ―――――――――――――――――――――――――――

             『マルチメディアの巨人』
1668号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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