す。それはエルヴィスとゴスペルとの関係です。エルヴィスの音
楽とゴスペルとは切っても切れない関係にあるからです。
ところで、ゴスペル・ミュージックとは何でしょうか。
ゴスペルは一般的には宗教音楽全体を指すことが多いのですが
エルヴィス研究の第一人者である前田絢子氏は次のように定義し
ています。
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教会の正統的・伝統的な讃美歌以外の、新しく生まれた宗教歌
で、ブラック・ゴスペルとホワイト・ゴスペルの2つの流れが
ある。そして、何といってもゴスペルの主流はブラック・ゴス
ペルである。 ――前田絢子氏
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エルヴィスがゴスペルの魅力に取り憑かれたのは、実は母のグ
ラディスのせいなのです。グラディスはゴスペルの大ファンであ
り、家には78回転の「ゴスペル・コレクション」のSPがあっ
て、グラディスはいつもこれを聴いていたのです。したがって、
エルヴィスは小さいときからゴスペル漬けで育ったということに
なります。
エルヴィスが19歳のときの話です。19歳といえば例のサン
・レコードとの契約の話があり、これについてはここまで詳しく
お話ししてきましたが、ひとつふれていないエピソードがあるの
で、これについて述べます。
エルヴィスが19歳の頃、メンフィスに活動の拠点を置き、全
米で最も人気の高かった「ブラックウッド・ブラザーズ」という
ゴスペル・グループがあったのです。その2軍的存在に「ソング
フェローズ」というグループがあるのです。
そのソングフェローズが、新しいメンバーを募集していたので
す。その情報を掴んだエルヴィスが早速オーディションを受けた
のですが、なぜか落ちてしまったのです。しかし、それから数ヵ
月後に、今度はソングフェローズの方からエルヴィスに誘いをか
けてきたのです。ところが、それはちょうどエルヴィスがサン・
レコードと契約を結んだ直後のことだったのです。
後年エルヴィスは、「もし、誘われる順序が違っていたら、自
分の運命は変わっていた」と述懐しています。しかし、エルヴィ
スはその後もゴスペル仲間と交際を続け、後年のエルヴィスの大
型コンサートでは、ゴスペルはプログラムの定番になっていたこ
とはよく知られていることです。
考えてみると、「SUN209」は、エルヴィスの相反するイ
メージのカップリングであるといえます。そのA面は、どちらか
というと不良っぽいイメージの「ザッツ・オール・ライト」、B
面はおとなしいイメージのカントリー・アンド・ウェスタンとい
うような相反する二面性があり、両方が絶妙なバランスをしてい
たといえるのです。
さらにエルヴィスはゴスペルへの深い傾倒があり、それが彼の
歌うバラード調の歌の底辺にあると思うのです。このことに関連
して、もうひとつのエピソードをお話ししましょう。
トーマス・アンドリュー・ドーシーという黒人がいます。彼は
ゴスペルの父といわれた人で、全米にゴスペルを普及して巡回し
た人です。ドーシーの元で育った歌手にゴスペルの女王といわれ
るあのマヘリア・ジャクソンがいます。そのドーシーの作品に次
の曲があります。
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「ピース・イン・ザ・バーレイ/谷間の静けさ」
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これは、ブラック・ゴスペルの代表的作品ですが、この曲には
エルヴィスにまつわるエピソードがあるのです。ドーシーは19
37年から14年間にわたって全米にゴスペルを宣伝普及してい
たので、彼は汽車に乗ることが多かったのです。
あるとき汽車は両側に広がる農場を駆け抜けると、静かな谷間
にさしかかったのです。その谷間の不思議な静寂さに圧倒されて
しまったドーシーは、思わずペンを取り出してその情景を書き留
めたというのです。
現在、自分は普及・巡回に非常に疲れているが、この谷間のよ
うに未来には平和がある――というような歌詞です。これは「現
在の苦悩と天国の幸福」という黒人霊歌に通じる思想と一致する
と、既出の前田絢子氏は指摘しています。
実はエルヴィスはこの曲がとくに好きで、いつも口ずさんでい
たといいます。この曲は1951年にレッド・フォリーが歌って
カントリー・チャートで第7位につけた曲ですが、エルヴィスも
よく歌っているのです。
そして、1957年1月6日にエド・サリヴァン・ショーに出
演したとき、エルヴィスはこの歌を歌ったのです。当時エルヴィ
スは、不良っぱいイメージで評判はあまり良くなかったのですが
この曲を歌うことで、その悪いイメージを完全に払拭してしまっ
たといわれます。政治的にやったのではないかともいわれていま
すが、エルヴィスにとってはこの歌唱の方が本物であり、3回目
の出演になったエド・サリヴァン・ショーではそれを証明してみ
せたということになります。
この曲は多くの歌手によって歌われていますが、何といっても
圧巻なのはエルヴィスの歌唱であり、この曲を含めてエルヴィス
によるゴスペルを聴きたい人は次のCDをお勧めします。CDに
は、前田絢子氏の長文のライナーノーツが付いています。
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ELVIS PRESLEY/ELVIS ULTIMATE GOSPEL
――BMGジャパン
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サム・フィリップスは、エルヴィスのこの二面性をよく見抜い
ており、エルヴィスをカントリー界の殿堂、グランド・オール・
オープリーに出そうするのです。 ――[エルヴィス/10]
≪画像および関連情報≫
・トーマス・A・ドーシーについて
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1899年にジョージア州ヴィラリカ生まれ。ゴスペルが生
まれたのは19世紀後半頃だが、それまでの黒人霊歌やブル
ース、また白人のカントリー&ウェスタンを融合してひとつ
の姿となってあらわれたのは1930年頃と言われ、その創
作者こそかつての売れっ子ブルース・シンガー、トミー・ド
ーシーことトーマス・A・ドーシーである。彼の元で育った
人にマヘリア・ジャクソンや、ロバート・マーティン、ジェ
ームス・クリーヴランドなどがいるし、彼と共に賛美集会を
催し、後進も育てていったマザー・スミスことウィリー・メ
イ・フィールドなどもおり、彼らの働きによって黒人のバプ
ティスト教会を中心に、ゴスペルは教会の音楽としても礼拝
に欠かせないものとなっていった。
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