2007年10月29日

●人種差別を容認するプレッシー判決(EJ第2194号)

 一定の年代以上の人でエルヴィス・プレスリーの名前を知らな
い人はいないはずです。しかし、彼のファンは別であるが、その
印象はそんなに良いものではないと思います。
 ド派手な衣装と腰を振るオーバー・アクション、不良っぽい長
いもみあげ、馴染みにくい音楽と激しい歌唱、うるさい音楽、多
くの青春映画のスター、それに意外に早死にした米国の歌手――
このように考えていた人は少なくないと思います。
 一方、若い人の中には、エルヴィスの名前を知らない人も多く
なっています。20世紀の音楽といわれるロックのファンであり
ながら、エルヴィスが生み出した「ロックンロール」についても
知らない人が多いのです。ちなみにロックは、ロックンロールの
省略形なのです。
 前田絢子氏と並ぶエルヴィスの研究者である作家の東理夫氏は
著書で、エルヴィスが時代に果たした役割について、次のように
述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 時代が熟していた、といえばいえる。またエルヴィスが、テネ
 シー州メンフィスという白人文化と黒人文化とが共生する場所
 にいたことも重要だった。そして彼がロックを生むのを助ける
 適切な人間に出会えたことも大切だった。ライトタイム、ライ
 トプレイス、ライトパーソン――しかるべき時に、しかるべき
 場所で、しかるべき人が、という3つの要素がととのった時、
 エルヴィスはロックを生み出すことができたのだ。
 ――東理夫著、『エルヴィス・プレスリー/世界を変えた男』
                     文春新書/766
―――――――――――――――――――――――――――――
 サン・レコードが「SUN209」を世に問う1954年7月
――メンフィスではいささか深刻な事件が起きていたのです。深
刻な事件とは、5人の学生がメンフィス州立大学に入学願書を提
出したことです。
 現代人であれば、なぜそんなことが深刻な事件なのかといぶか
しく思うはずです。しかし、この米国南部社会では、学校は白人
と黒人に峻別されており、黒人学生は白人学校への入学は認めら
れていなかったのです。つまり、南部社会では人種隔離教育が徹
底されていたのです。
 問題は、この人種隔離教育が90年以上にもわたって南部社会
で行われてきた社会的掟であったにもかかわらず、なぜ、あえて
5人の黒人学生が禁止されている白人学校であるメンフィス州立
大学に入学願書を出したかです。
 もちろんそれには理由があったのです。1954年5月17日
に米国の連邦最高裁判所が米国史上画期的ともいえる判決を下し
ていたからです。それは「ブラウン判決」と呼ばれ、長い間、南
部社会で行われていた公立学校の人種差別を違憲とする判決だっ
たのです。5人の黒人学生は、このブラウン判決に基づいて、入
学願書をメンフィス州立大学に提出したというわけです。
 しかし、5人の黒人学生の願書は、テネシー州の教育委員会に
よって退けられたのです。つまり、テネシー州は、ブラウン判決
という国家の押し付けを拒否したのです。これは大変なことです
が、この間の事情を理解するには、南北戦争が終わった頃の米国
に戻って考えてみる必要があります。
 ブラウン判決は、その前の判例である「プレッシー判決」を覆
して成立しているのですが、そのプレッシー判決とは何なのかに
ついて考えてみることにします。
 南北戦争のさなかにリンカーン大統領は奴隷解放を宣言し、南
北戦争終了後に憲法修正条項が発令され、黒人の基本的な人権が
法的に保障されたことはよく知られている通りです。
 具体的にいうと、南北戦争後の1863年――憲法修正第13
条によって奴隷制度が廃止され、第14条により、法の下での人
種差別は許されないことになったのです。
 しかし、これに南部社会は猛反発したのです。そして彼らは次
の有名な言葉を掲げて人種差別を継続したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
          分離すれども平等
―――――――――――――――――――――――――――――
 1892年6月のことです。ルイジアナ州に住むホーマー・ア
ドルフ・プレッシーという黒人男性がある行動を行ったのです。
そのとき南部を中心とする多くの州においては、法律によって、
あらゆる交通機関や公共の建物、トイレ、水飲み場、列車の座席
など、あらゆるものに白人用、黒人用の区別があり、その区分け
を無視すると、法律違反として逮捕されたのです。
 黒人男性プレッシーは、法律の違法性――憲法第14条違反を
国に問うため、あえて白人席に座って逮捕されたのです。裁判は
長期化し、最高裁まで持ち込まれたのですが、判決はプレッシー
の敗訴に終ったのです。判決は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 隔離を認める州法は一方の人種を劣勢とみなすものではない。
 したがって、憲法第14条に反するものではない。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この判決は、それ以後実に50年以上南部社会において有効に
働いており、「プレッシー判決」として人種差別を容認し続けて
きたのです。
 リンカーン大統領によって確かに奴隷制度は廃止されたのです
が、黒人が自立するための経済的な救済制度は何ひとつ行われて
いないのです。
 そのためほとんどの黒人は、「分益小作人」という貧農として
奴隷時代とあまり変わらない生活を送るしかなかったのです。こ
の分益小作人制度は、黒人の安い労働力を確保するために考え出
された南部社会特有の農業制度であり、黒人たちはそれにすがっ
て生きるしかなかったのです。そして、1951年にもうひとつ
の裁判が起きるのです。      ――[エルヴィス/06]


≪画像および関連情報≫
 ・分益小作人とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小さな町では仕事がほとんどなかったため、田園地帯に住む
  多くの黒人たちは、まだ残っている白人の地主たちと、可能
  な限りの取り決めを結ぶしかなかった。農具、種子、住居、
  食糧の提供を受ける代わりに、他人の土地で栽培した作物の
  一定割合を地主に納める分益小作制という制度が、黒人たち
  にとっての生存手段、生活様式となった。それは、土地を失
  った多くの貧しい白人にとっても、同様だった。いったんこ
  の様式が定着してしまうと、農村地域以外への黒人の移動を
  制限する「黒人取締法」もあり、また教育機会もろくに与え
  られなかったこともあって、それはますます強化されていっ
  たのである。
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-travel-geography08.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

東理夫氏の本.jpg


posted by 平野 浩 at 04:27| Comment(0) | TrackBack(0) | エルヴィス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック