2005年08月25日

ヴァネヴァー・ブッシュをご存知ですか(EJ1663号)

 最初に、次の4人の名前に注目していただきたいのです。この
中に一人でも知っている人がいるでしょうか。
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    1.J・C・R・リックライダー
    2.イワン・サザーランド
    3.ロバート・テイラー
    4.ローレンス(愛称ラリー)・G・ロバーツ
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 東京電機大学の脇英世教授によると、この中で一人でも知って
いる人がいたら、その人は、相当の情報通信業界通であるとまで
いっています。実は、この4人はインターネットの開発に深い関
わりのある組織のトップを務めた人たちなのです。
 これらの人たちがどのような人物であり、インターネットの開
発においてどのような役割を果たしたのかを知っていただくため
に、少し遠まわりな話からはじめる必要があると思います。
 「ヴァネヴァー・ブッシュ」という人をご存知ですか。
 現在の米国大統領は、ジョージ・ブッシュですが、彼とは何も
関係はないのです。しかし、ヴァネヴァー・ブッシュは、大統領
という職務とは必ずしも無関係ではないのです。それにきちんと
インターネットの歴史について説明するには、彼の名前は欠かせ
ないひとりなのです。
 米国のボストンには2つの有名な大学があります。ボストンの
西側にあるハーバード大学と東側にあるMIT(マサチューセッ
ツ工科大学)です。
 ハーバード大学は今から300年以上前に創立された歴史のあ
る名門大学です。これに対してMITは、1861年に創立され
た大学ですが、長い間にわたって、あまりぱっとしない大学だっ
たのです。
 しかし、MITは、第2次世界大戦中の軍事研究によって一躍
有名大学の地位を獲得するのです。MITは、軍と協力し、放射
研究所を設立したのですが、そこでレーダーの開発に成功したか
らです。
 このレーダーは、対ドイツ戦、対日本戦におどろくべき威力を
発揮し、両国空軍が得意とする空からの攻撃を無力化させてしま
ったからです。MITの空軍との協力は第2次世界大戦後も続き
北米防空を目的とするMITリンカーン研究所が設立されている
のですが、インターネットの前身といわれるARPAネットを作
り出した人材の多くはこの研究所から育っているのです。
 このMITにおいて最初に有名になったのが、ヴァネヴァー・
ブッシュなのです。ブッシュはボストン郊外のチェルシーという
ところで生まれたのですが、子供の頃から数学には天性のものが
あったそうです。1913年、彼はタフツ大学の修士課程を優秀
な成績で卒業、一時GEに務めます。しかし、GEの工場が火事
で焼けて失職してしまうのです。
 そこでブッシュは、海軍の検査官をしながら、タフツ大学の数
学の教師をやっていたのですが、1915年に大学に戻ることを
決意、MITの博士課程に進みます。そして、1年後にはハーバ
ードとMITの両大学から工学博士の学位を取得し、母校のタフ
ツ大学の電気工学科の助教授に就任するのです。
 第1次世界大戦が終わった1919年にブッシュはMITの電
気工学科の助教授になり、1923年には教授に昇進します。専
門は一貫して「電力伝送」だったのです。そして、これから彼は
まさに縦横無尽の活躍をすることになるのです。
 このヴァネヴァー・ブッシュという人物は、このように科学者
としても一流であったのですが、その政治的手腕も並外れていた
のです。若い頃のブッシュは数々のアイデアを軍に対して提案し
ているのですが、軍は無名の若造の提案などに耳を貸さなかった
といわれるのです。やがてブッシュは、「工学で成功するには政
治にも通じている必要がある」と考えて、意識的に政治の世界を
目指したといわれます。
 そして、1940年6月にブッシュは、時のルーズベルト大統
領にNDRC(全米防衛研究委員会)の設置を提案し、大統領の
承認を得て委員長に就任します。そしてその次の年に第2次世界
大戦がはじまると、OSRD(科学研究開発庁)が議会の承認の
下に作られ、ブッシュは長官に就任――この経緯は明日のEJで
述べますが、こうして、大学と軍が協力して軍事研究を推進する
システムが出来上っていったのです。
 そしてブッシュが第2次世界大戦中に取り組んだ最も大きな仕
事が、マンハッタン計画なのです。ブッシュは原爆開発の最高幹
部としてこの計画に深く関与していたのです。
 米国の原子爆弾の開発には、ハンガリーからの亡命ユダヤ人が
多く加わっています。名前を上げておきます。
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  ジョン・フォン・ノイマン  ユージン・ウィグナー
  エドワード・テラー     セオドア・カールマン
  レオ・シラード
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 彼らは着の身着のままで米国に逃れてきたのです。彼らが生き
残る手段として身につけているものは才能しかなかったのです。
彼らはナチスが原爆を所有したときの最悪の事態を避けるために
移民である自分たちを受け入れてくれた第2の祖国である米国に
奉仕する機会として、マンハッタン計画をとらえ、ナチスとの原
爆開発競争に打ち込んだのです。
 マンハッタン計画を率いていたのは、後に「原子爆弾の父」と
称されるJ・ロバート・オッペンハイマーでしたが、この計画を
バックで支え、コントロールしていたのは、ヴァネヴァー・ブッ
シュだったのです。
 この時点でブッシュは、大統領の科学顧問というべき科学者と
して最高の地位にあり、何でもやれる立場にあったということが
できます。            ・・[インターネット03]


≪画像および関連情報≫
 ・マサチューセッツ工科大学
  米国において、シリコンバレーなどと並ぶ先端技術産業の集
  積地であるボストンのルート128地域においても、中核的
  な役割を果たす機関である。同大学のメディアラボは情報技
  術関連の先端を走る研究所としてマスメディアなどでも頻繁
  にとりあげられる。特筆すべきは、同研究所で開発された情
  報処理システムがキャンパスネットワークの根幹を占めてお
  り、この研究成果は米国以外の大学院大学等でも活用され成
  果を挙げている。同大学は、ボストン所在の他大学(ハーバ
  ー大学、マサチューセッツ工科大学)との間で、学生や研究
  者同士の交流も推進している。
    出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1663号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:56| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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