2005年08月15日

成吉思汗は何を意味するか(EJ1655号)

 7月11日からスタートした「源義経=成吉思汗説」のテーマ
ですが、本日で第25回目となります。そろそろ終りに近づいて
きています。しかし、このテーマで述べなければならないことは
まだ残っています。今週はそういうことに絞って述べていくこと
にします。
 蒙古について書かれている本を調べると、その始祖の成吉思汗
については、カナで「ジンギスカン」か「チンギス・ハーン」な
どと表記され、「成吉思汗」という漢字が使われていないことに
気がつきます。しかし、日本の書物によると、「成吉思汗」の文
字が使われているのです。この「成吉思汗」という漢字は、誰が
つけたのでしょうか。
 1206年の第2次即位のとき、テムジン(鉄木真)は自らを
「成吉思汗」と名乗っています。当時のモンゴルには文字という
ものはなかったのですが、成吉思汗=義経と考えると、義経は自
らの意思で、この名前を選んだと考えてよいと思います。
 義経は京都で検非違使をしていたとき、公卿との付き合いがか
なりあったといわれます。そのため、当時公卿の間で流行してい
た文字遊びにもある程度は通じていたものと思われます。頼朝は
そういう義経の行動を苦々しく思っていたのです。
 文字遊びとは、例えば、在原業平が「かきつばた」という五字
を読み込んだ歌を作れといわれて、即座に次の歌を詠じたという
そういう高雅な遊びのことです。
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    「か」らころも、「き」つつなれにし、
    「つ」ま(妻)しあれば、「は」るばる来ぬる、
    「た」びをしぞ思う
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 こんな話もあります。保元の乱に敗れて死んだ左大臣、藤原頼
長は、改元のとき問題になった「天保」という年号を「一大人只
十」と分解して、年号にふさわしくないので、止めることを進言
したといわれます。
 義経がそういう知識があったと考えると、自ら選んだ成吉思汗
という称号にはそこに何らかの思いをこめて作ったと考えるのは
不思議なことではないと思うのです。
 問題なのは「汗」という字なのです。「汗」とは王位を指す名
称であり、帝位は「大汗」と称する――この「大汗」の称号は、
成吉思汗が即位してはじめてできたものであり、成吉思汗自らが
創始したものと考えてよいと思います。
 「汗」は分解すると「サンズイに干」――スイカンと読むこと
ができるのです。「スイカン」とは白拍子の衣装です。『平家物
語』の「妓王」の段に次の文章があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 水干に立烏帽子、白鞘巻をさいて舞いければ男舞とぞ申しける
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 したがって、水干は白拍子――すなわち、静御前を指している
のではないかということです。つまり、「成吉思汗」とは漢文読
みをすると、次のように読めるのです。
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      「吉」「成」りて「水干」を「思」う
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「吉」とは「吉野山」であり、「水干」を静御前と考えると、
「成吉思汗」という称号は次の意味に取れるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      吉野山の誓い成りて、静(しずか)を思う
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 静に関しては有名な話があります。鶴岡八幡宮の堂が完成した
ときのことです。祝いの儀を執り行うことになって、鎌倉武士の
間から、名高い白拍子の静に祝いの舞を舞ってもらったらどうか
という声が出たのです。
 頼朝は政子に静に舞を披露するよう伝えるよう命じたのです。
政子はおそらく静は断ってくると考えたのですが、静は舞を舞う
ことを了承するのです。
 そのとき静は、この舞を通じて義経にメッセージを伝えたいと
考えたのです。そして、鎌倉若宮堂で、大将軍頼朝の権威に何ら
臆せず、次の自作の歌を詠じながら、舞を舞ったのです。
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     しずやしず、しずのおだまきくりかえし、
      むかしを今に なすよしもがな
     吉野山 峰の白雪ふみわけて
      入りにし人の あとぞ恋しき
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 これは明らかに義経を思う恋の歌だったのです。頼朝は謀反人
を偲ぶ歌を歌うとは・・と露骨に不快感を示したのですが、政子
は「見事!」と褒めたといわれます。
 実は「成吉思汗」という名前は、義経の静の歌に対する返しで
あるといわれているのです。それは「成吉思汗」を万葉仮名とし
て読み下せば、「なすよしもがな」になるからです。
 このように「成吉思汗」という名前は、和漢両様の読み方で、
静御前の歌への見事な「返し」となっているのです。果たして、
これが牽強付会のこじつけといえるでしょうか。
 ところで、今日は8月15日です。毎年8月15日には京都の
鞍馬山では「義経忌」という法要が行われるのです。実は、同じ
8月15日にモンゴルでは「オボー祭」という催しが行われてい
るのです。「オボー」というのは、郡境に立つ小塔という意味で
すが、成吉思汗の命日のお祭りといわれています。こんな偶然が
あるでしょうか。
 「われこの天命をうけたれば、死すとも今は憾みなし。ただ、
故山に帰りたし」――これは成吉思汗の遺言として伝えられてい
ます。「ただ、故山に帰りたし」――まことに意味深なことばで
あると思います。          ・・・・・・[義経25]


≪画像および関連情報≫
 ・「白拍子」
  切り絵作家・宮田雅之氏の作品

1655号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 源義経=成吉思汗論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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