2005年08月09日

義経/成吉思汗/その性格と人物(EJ1651号)

 平泉で自害したという義経が大陸に渡り成吉思汗になる――こ
のような壮大なロマンを追って分析してきましたが、今度は源義
経と成吉思汗がそれぞれどのような性格の人物であり、何を好み
何を嫌ったかについて考えていくことにします。
 源義経については、『扶桑見聞私記』にその性格を記述した次
の一文があります。
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 (九郎殿は)第一は才智なり、第二は博学なり、第三は大勇に
 して威あり、第四は奢心ある人なり、第五には威高に見ゆるな
 り、第六にはよく人を被馴、第七には謀計あり、第八にはよく
 諸人の心底を察し知る、第九にはよく勇士の剛臆を知り給ふ、
 第十に剣術の名誉を得られたり、此の十種は皆凡人の及ぶとこ
 ろにあらず・・・
                 ――『扶桑見聞私記』より
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 成吉思汗については、既出の『鉄木真用兵論』において、ロシ
アの学者イワニンが次のように述べています。
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 成吉思汗、己を処するに方正、人を遇するに寛大、かつ臣下を
 愛し厚く勲労を賞せしをもっておおいに名望を博し、彼に心服
 して従う者日にますます多く、兵勢従って奮起するを得たり。
 また成吉思汗は政略と兵力とを並用し、徳義をあつくして同盟
 を結び、勇敢不屈、みずから士卒の標準となり、よく法を守り
 措置公平、号令厳粛をもって強兵を編成し、四隣ついになびか
 ざる者なきに至れり・・・
                 ――『鉄木真用兵論』より
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 どうでしょうか。きわめてよく似ています。名前を外せば、ど
ちらが義経で、どちらが成吉思汗かわからなくなるほどです。と
くに人心の掌握術においては、義経、成吉思汗ともに天賦の才能
を持っていたようです。
 現在、放送されているNHKの大河ドラマ『義経』において、
頼朝の妻である北条政子が、義経の人の心を掴む不思議な魅力に
は警戒しなければならないと頼朝に告げるシーンが再三出てきま
すが、成吉思汗についても同様の才能があったようです。
 偶然とはいえない一致点はまだあります。成吉思汗は兵士の訓
練の一環として、巻狩りをよく実施しています。成吉思汗の実施
した巻狩りを小谷部氏は次のように書いています。
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 (巻狩りを)挙行する前にはあらかじめ人を派遣して一定の区
 域に野獣を追い込んでおく。当日、武装した者たちが、美しく
 装った馬に乗り、征矢と鏑矢を添えた箙を負い、猟犬多数を引
 き連れて山野におもむく。巻狩りの指揮者は勢子に鳥獣を駆り
 出させ、獲物は必ず一人で射止めなくてはならない。名誉の獲
 物を射止めた者は、それを高く捧げて名のりをあげる・・・。
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 これは鎌倉時代に盛んに行われていた巻狩りそのものといえま
す。NHKの大河ドラマ『義経』において、奥州の藤原秀衡が一
門の武者と義経を伴って巻狩りをするシーンがありますが、まさ
にこの記述と同じことをやっているのです。
 また、成吉思汗は、巻狩りのさい、高い櫓にのぼって将兵の猟
の状況をチェックし、間違って鳥獣を逃がした士卒には罰を与え
たといわれています。
 これなどは、『源平盛衰記』に出てくる宇治川の合戦のさい、
義経が高い櫓の上に上がって、宇治川の先陣と剛者を矢立の筆を
取り寄せて明記するシーンを彷彿させるものがあります。
 相撲についても述べる必要があります。相撲の起源は非常に古
く、『古事記』にも相撲を思わせる記述があり、日本に古来から
伝わるものです。モンゴルで相撲が盛んなのは、改めていうまで
もないことですが、どのように考えても、モンゴルの相撲は日本
から伝わったものと考えるのが自然であると思います。
 しかし、不思議なことにモンゴルに関して書かれたどの本にお
いても、モンゴルの相撲は日本のそれが伝わったものとは一切書
いていないのです。憶測ですが、それをいうとどうして伝わった
かをいわなければならなくなり、義経=成吉思汗説が出てきてし
まうからではないでしょうか。
 それはさておき、相撲は鎌倉時代において武芸の一つとして盛
んに行われていたのです。したがって、当然義経はやっているし
好きであったといわれています。大河ドラマでは、牛若時代の義
経が平家の子供たちと庭先で相撲をとるシーンが登場します。
 モンゴルと日本の相撲の共通点は、武芸のひとつとしてそれが
行われていたことです。鎌倉時代において相撲は武芸のひとつと
して教えられており、勝者には褒美を与える慣わしがあったので
す。『元朝秘史』によると、相撲は成吉思汗とその子オゴタイが
とくに愛好したといわれています。
 さらに、モンゴル人は緑茶を愛好しています。成吉思汗が愛用
し、伝えたとされているのです。もちろん日本では緑茶の起源は
古く、鎌倉時代には茶室、茶会などが流行しており、緑茶の愛好
者が多かったのです。
 また、成吉思汗と義経は酒嫌いであり、成吉思汗は酒好きの従
臣に次のようにいっていたというのです。
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 酒を飲むと、理性を失う。心を平静に保つことができず、まる
 で頭を打たれたようにめまいを感じる。知識も才能も用をなさ
 ぬ。帝王が酒をたしなむときは堂々たる王業をほどこすことが
 できぬ。将軍が酒をたしなむときはその部隊を統御することが
 できぬ。もし酒をやめることができないなら、節酒して一ヶ月
 三回にせよ。一回ならさらによい。
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                  ・・・・・・[義経21]


≪画像および関連情報≫
 ・義経が酒嫌いであった証拠
  『義経記』には、山伏姿で北走中、越前国府の代官から酒を
  贈られたが、「酒は下向の間禁酒にて候」としてこれを断っ
  たという記述がある。伊勢三郎が義経の臣下になるときも酒
  をすすめるが、「少しもきこし召し給はず」と記述されてい
  る。しかし、大河ドラマでは何度か義経が酒を飲むシーンは
  出てきている。

1651号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 源義経=成吉思汗論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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