2005年08月04日

旗の色と紋所の一致(EJ1648号)

 成吉思汗がきちんとしたかたちで歴史上に登場するのは、テム
ジンがナイマンを打ち破った後の1206年のことです。テムジ
ンは、この年にクリルタイと呼ばれる長老会議を開催し、自らジ
ンギスカンに即位しているのです。このときの模様を『モンゴル
秘史』では、次のように記述しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 かようにして毛氈の幕帳(とばりや)に住まいせる国民をば、
 ことごとく服(まつ)ろわせて、寅の歳、オナン河の源に集い
 して、九つの脚ある白いとくをうち立てて、大クリルタイを開
 き、チンギス・カハンの称号をここにおいて正式に捧げ奉った
 のであった。「将軍」のムカリには、「国王」の名をそのとき
 賜った。
  ――『モンゴル秘史/2ジンギス・カン物語』、村上正二訳
                      東洋文庫209
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 ここで「寅の歳」とは、丙寅の1206年のことですが、何月
であったかは、はっきりしていないのです。春という説と冬とい
う説があります。
 クリルタイを行った場所は「オナン河の源」とありますが、こ
れにも異説があり、これについては改めて述べます。問題なのは
「九つの脚ある白いとく」の部分です。なお、「とく」の字は非
常に難しい字であり、ウェブでは表示されませんので、かなで表
現しています。
 訳者の村上正二氏によると、「九つ」とはモンゴルの吉数であ
り、「白い」は聖なる色をあらわすそうです。「とく」とは旗と
いうよりも幟のようなもので、その尾が9つに割れている――九
つの吹流しの尾をつけた白い旒旗であると考えられます。つまり
これは「九旒の白旗」を意味しているのです。
 ドーソンの『蒙古史』――その該当部分は現時点でまだ入手で
きていないのですが、高木彬光氏の本では、次のように記述され
ているとあります。
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 (テムジンは)興安嶺上に麾下に従う各種族を呼び集め、総会
 議を召集し、九旒の白旗を嶺の上にひるがえした。
         ――ドーソン著、『蒙古史』上巻/岩波文庫
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 いうまでもなく「白旗」は源氏の旗印であり、「九旒」は九郎
判官を意味するものと考えられます。それに紋所の笹竜胆もから
んできているのです。戦術も同じ、戦い方もそっくり、旗印は九
旒の白旗、紋所は笹竜胆――すべて源義経と一致するのです。
 さらに分析を進めます。それまで将軍であったムカリには国王
の称号を与えたとあります。ムカリは四駿の一人であり、テムジ
ンにとくに重用された武将です。既出の佐々木勝三氏の本では、
次のように記述されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この即位のとき、功績のあった自分の武将95人をそれぞれ千
 戸の長に任命している。とくに功績の大きかったボオルチェと
 ムカリには万戸の支配権を与えた。十戸の長から、万戸の長ま
 で、ピラミッド型の統一組織がここに完成したのである。
         ――佐々木勝三、大町北造、横田正二/共著
   『成吉思汗は源義経/義経は生きていた』より。勁文社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 既にEJ第1647号で述べたように、テムジンはナイマンを
攻める前に10進法で軍事組織を作っていましたが、このときの
クリルタイではじめて「万人長」を置いたわけです。
 それはさておき、テムジンが「九」という数字を非常に重視し
ていたことは、各書に出ています。『元朝秘史』には次の記述が
あります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 (成吉思汗が)西夏に遠征したとき、敵将ブルカンは成吉思汗
 のもとへ謁見に来て、黄金の仏像をはじめ、金と銀の皿を各九
 個、男児と女児を各九人、去勢馬とラクダを各九頭、九の数に
 合わせて献上した。         ――『元朝秘史』より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、万人長に任命されたムカリに関しては、興味ある話があ
るのです。それは「コオンゴアに関する話」です。義経=成吉思
汗説の研究家の一人である丘英夫氏は、その自著において、次の
ように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『元史』の「ムカリ伝」によると、テムジンは、昔、コオンゴ
 アに命を助けられたんだ。ムカリは、テムジンの恩人であるコ
 オンゴアの第三子なんだよ。コオンゴアはムカリの父親なんだ
 ね。ジンキスカンは、ムカリのお陰で帝位につくことができた
 と言ったあと、ムカリを1万戸の長にして、その上にムカリに
 王位を与えたのだよ。―― 丘英夫著、
       『義経はジンギスカンになった! その6つの根拠』 
                アーバンプロ出版センター刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 著者の丘英夫氏は、音韻学を専攻されており、モンゴル文字に
詳しい人です。本書は、2002年に叢文社から『新ジンギスカ
ンの謎』として出版されていますが、修正・増補され2005年
5月にアーバンプロ出版センターから出版されています。本の内
容は何人かの対話形式を採用しており、高木彬光氏の本のスタイ
ルに似ています。
 さて、ムカリという人物は成吉思汗の四駿の中心人物なのです
が、実際にどういう人物なのかについては詳しくわかっていない
のです。しかし、『元史』では、「コオンゴアの息子」であり、
テムジンはそのコオンゴアに命を救われているとしています。
 一体コオンゴアとは何者でしょうか。ムカリとはどういう人物
なのでしょうか。これについての分析は、明日のEJで行いたい
と思います。           ・・・・・・・[義経18]


≪画像および関連情報≫
 ・成吉思汗に即位するテムジン
  成吉思汗を描く画家たちは、モンゴル族が創建した中国やイ
  ランの宮廷風俗のなかに、皇帝やスルタンの姿で王座に座る
  成吉思汗を描くことが多かったのである。
  ――ジャン=ポール・ルー著/杉山正明監修/田辺希久子訳
       『チンギス・カンとモンゴル帝国』創元社刊より

1648号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 源義経=成吉思汗論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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