個々の消費者が、それぞれの欲望にしたがって、一定の規則の
下に自発的に行動するだけで市場は、秩序立った安定と均衡に達
するというのは、有名なアダムスミスの「見えざる神の手」とし
て論じた市場の原理です。
田坂広志氏は、このアダムスミスの市場論は、ある意味におい
ては、部分である「消費者」と全体である「市場」の持つ「創発
性」を論じたものであると指摘しています。しかし、アダムスミ
スの市場論は、いずれ必ず「市場は均衡する」としているのに対
して、複雑系の立場は、現状はともかくとして、未来は必ずそう
なるとは限らないとしている点が違います。
これと似ているのが「収穫逓減の法則」です。どのような経済
活動も努力を続けていくと、いずれ収穫は頭打ちになるというの
が収穫逓減の法則です。大学の経済学の授業ではそう教えられた
ものです。しかし、実際問題として生産量が上がっていくと、現
場での学習が進み、仕事が効率的になってくるので、収穫はさら
にアップし、収穫逓減とはならないのです。
確かに農業や工業化の時代には、収穫逓減の法則は該当したで
しょうが、情報産業やサービス産業になると収穫は逓増するケー
スが多いのです。マイクロソフト社の急成長などは、収穫逓増そ
のものであり、古典的な収穫逓減の法則では、現実を説明できな
くなってきているのです。
現在のキーボードの文字配列は、かつてのタイプライターの文
字配列と同じです。私も学生時代に英文タイプライターを使って
いましたが、早く打とうとするとキーのバーがからまって困った
ものです。そこで、タイプライターのメーカは必要以上に早く打
てないようキー配列を打ちにくく配列したのです。この打ちにく
くしたキー配列をわれわれはPCで使っているわけです。しかし
キーボードは一度使い慣れてしまうと、その配列がたとえ不便で
あっても、使い続けるものなのです。これを「実行による学習」
といっています。キーボードの配列はその後打ちやすい配列がい
ろいろ工夫されましたが、それらが採用されることはなく現在に
至っています。良いものが売れるとは限らないのです。
埼玉大学の西山賢一教授は、一度ある道具を選んでしまうと、
次に道具を選ぶときも、最初に選んだものによって影響を受ける
といっておられます。これを「経路依存性」といいます。
現在PCの世界は、ウインドウズとマッキントッシュの2派が
あり、ウインドウズがこの市場を制しています。しかし、最初に
購入した機種がマッキントッシュであればそれを使い続け、ウイ
ンドウズに切り換える人は少ないはずです。同様に、最初にウイ
ンドウズを使った人は、同様にその後もウインドウズを使い続け
るはずです。これは「経路依存性」があるからです。
しかし、マイクロソフト社のOSが市場の大半を制し、デファ
クト・スタンダードになっている以上、この市場で勝負する限り
マイクロソフト社には勝てないことになります。これを「ロック
イン」と呼びます。市場にカギをかけるという意味ですね。
ウインドウズとマッキントッシュの比率は、日本では8対2で
あり、最初に使うPCとしてウインドウズをOSに持つPCを選
ぶ人は多くなります。
そして、ウインドウズを使い続けると、実行による学習が働き
次に購入する機種もウインドウズになるというように、ウインド
ウズにシフトしていくのです。したがって、この同じ市場で戦う
限り、マイクロソフト社の牙城を崩すのは困難です。
つまり、マイクロソフト社の立場からいえば、市場にロックイ
ンすることに成功し、収穫逓増を積み重ねているのです。こうい
う現象を従来の経済学では説明できなくなっているのです。
競合企業にとっては、いわば手詰まりの状況になるわけですが
こういう状況を打破する戦略がないわけではないのです。このこ
とについて考えてみましょう。
現在のPCは、OSという基本ソフトを使うことが前提となっ
ています。どのユーザもOSを通じてアプリケーションソフトを
使っているのです。これは一種の市場ルールといえます。そして
そのOSはマイクロソフト社製のウインドウズがデファクト・ス
タンダードになっているのです。
この市場ルールで戦う限りマイクロソフト社に勝つことは困難
です。今さらウインドウズに代わるOSを出しても採択されない
でしょう。市場がロックインされているからです。しかし、同じ
市場ルールで戦えば負けますが、その市場ルールそのものを変え
てしまえば話は別です。これは「インターオペラビリティ」とい
う新しい戦略なのです。
インターオペラビリティ戦略とは、異なる技術標準の間でも、
それらを相互に接続し、運用できる技術システムのことです。こ
の戦略の具体的な例がインターネットなのです。確かにインター
ネットであれば、いかなるOSが搭載されているコンピュータ同
士でも、相互に接続して使うことができます。ウインドウズ98
であろうが、マックOSであろうが、UNIXであろうが、OS
を問わずに利用できるのです。
この新しい市場ルールで無敵のマイクロソフト社と対抗し、司
法闘争に持ち込み、マイクロソフト社を敗訴に追い込んだのは、
あのジム・クラークの率いるネットスケープ・コミュニケーショ
ンズ社なのです。
現在の市場はきわめて複雑化しており、従来の経済学やマーケ
ティングでは説明しきれない現象が多くなっています。しかし、
複雑系というフィルターを通して考えていくと、いろいろなこと
が解けてくるものです。複雑系は一度はまってしまうと抜けられ
ないよとある人からいわれましたが、どうやらその通りになりそ
うな心境です。 −−[複雑系の話/03]
2000年04月14日
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