2005年07月20日

義経生存説が生まれた論拠(EJ1637号)

 「義経=成吉思汗論」のテーマはスタートしたばかりです。ど
うやら、泰衡の仕掛けた衣川の戦いは偽戦であって、義経主従は
文治5年4月以前に平泉を離れ、蝦夷地に落ち延びている――こ
こまでを実証してきたところです。確かに平泉から北方方面には
数多い義経の足跡が残されているのです。
 しかし、現在の歴史書には源義経は衣川の戦いで自害したこと
になっています。そして、これは史実に基づくものであり、それ
以外のすべての説は妄論であり、異論であるとされています。し
かし、これには長い間にわたって数多くの議論があり、その議論
に現在でも何ら決着がつけられていないのです。
 これから、源義経が成吉思汗であることを多くの証拠を上げて
実証していきますが、その前に義経が平泉を脱出したことさえ認
めない歴史学者がいかに多いかということを知っておくのも無駄
ではないと思うのです。そこで少し脱線しているのです。
 明治38年2月1日――その日付の「読売新聞」に『「アルタ
イ山頭の神鏡」発見』という記事が出たのです。それは、バイカ
ル湖辺アルクスク約50里、アルタイ山頭に近いアラールス・ス
カヤステープの一小村のラマ教の廟から一枚の鏡が発見されたこ
とを報じています。その鏡の裏には高砂の尾上松、爺と姥、鶴亀
の紋、そして、次の文字が書いてあったのです。
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          正三位藤原秀衡朝臣謹製
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 そして、その記事は少し高揚感をこめて、次のようにしめくく
られているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 神鏡がいかなる理由で彼の地にあるのか。だれもが源義経のこ
 とを想起するであろう。神鏡が発見された以上、近年提唱され
 ている義経=成吉思汗説もまったく事実無根といえないのでは
 ないか。未だ正確な検証をした人はいないが、『決して牽強付
 会の説とはいえない』と或る人は物語っている。
            明治38年2月1日付、読売新聞より
  森村宗・著、『義経伝説と日本人』より。平凡社新書259
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 この「読売新聞」の記事に対して鳥居龍蔵という学者が、2月
4日付の「読売新聞」で否定しています。1日と4日では鳥居自
身は、その神鏡を実際に見て検証しているはずはないのに、自信
を持って次のように反論しています。
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 鏡に「正三位藤原秀衡朝臣謹製」と記すのは、江戸時代に盛ん
 に行われたことです。アイヌを仲介とした北方交易によって大
 陸に入り、たび重なる交易によって彼の地に収まったのです。
            明治38年2月4日付、読売新聞より
  森村宗・著、『義経伝説と日本人』より。平凡社新書259
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 鳥居龍蔵をはじめとする、いわゆるアカデミズムの世界の歴史
学者たちは、あくまでも史実中心、文献を駆使して義経生存説の
誤りを指摘します。「文献にはこうある。史実はこうだ。したが
って、義経生存説は間違っている」という論法です。史実の主張
こそ任務と考えているからです。
 ですから、この「アルタイ山頭の神鏡」のように、少しでも義
経生存説を裏づけるものが出てくると、それを十分に検証するこ
となしに直ちに否定するのです。それはほとんどヒステリックな
反対ですらあります。
 確かに2月1日の「読売新聞」の記事には、義経=成吉思汗説
などは史実に基づかない妄論といわれているが、このような神鏡
のようなものが出てくると、一概に妄論とはいえないのではない
かとアカデミズムの頑迷固陋さを挑発するような高揚感があるこ
とは確かです。
 そこで鳥居龍蔵もカチンときて、ろくに検証もせずに即座に否
定したものと考えられます。これでは「ああいえば上佑」的な議
論といわれても仕方がないでしょう。『吾妻鏡』がいかに史実に
基づいているといっても、義経が死んだとされる日よりも80年
もあとで幕府によって編纂されたものなのです。そういうような
書籍に幕府にとって都合の悪いことを書くはずがないのです。
 金田一京助――義経生存説を明確に否定した国文学者です。金
田一も文献は駆使したが、自らアイヌへの実地調査を行い、その
研究を通して、どのようにして義経生存説が誤って伝えられたか
について、検証した学者です。鳥居のように頭ごなしに否定する
のではなしに、問題の根っこを明らかにすることによって、結果
として、義経生存説が間違いであると説いたのです。
 金田一京助は「義経に対する民衆の思いこみが、義経生存説の
勃興に寄与した」といっています。この金田一京助の主張に関連
して、『義経伝説――歴史の虚実』(中公新書)の著者である高
橋富雄氏は、次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 義経の戦いを通して、大衆がみずからの戦いをたたかい、義経
 を守ろうとして、実はみずからも守ることになったのである。
 だとすれば、義経の敗北はみずからの敗北である。義経におけ
 る英雄の挫折は、とりも直さず、大衆みずからにおける英雄へ
 のねがいの挫折とならざるをえない。義経の正当証明が、その
 理念化が、事実を曲げてもまかの通らねばならなかった理由は
 ここにあった。― 高橋富雄著、『義経伝説――歴史の虚実』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 本来、義経生存説が間違いならば、それを裏付ける数多い例証
に対してきちんと反証するべきです。このような抽象的な論拠で
義経生存説は否定できないと考えます。それにしてもアカデミズ
ムは、なぜ頑なに義経生存説を否定しようとするのでしょうか。
 明日から、多くの例証を上げながら、源義経=成吉思汗説につ
いて、さらに深堀りしていきます。 ・・・・・・・[義経07]


≪画像および関連情報蔵
 ・義経生存説が出てくる根源
  義経生存説運動とは、民衆の敗者復活戦であり、自己肥大化
  幻想なのである。絶対多数の敗者である民衆が現実を認める
  ことを拒否し、挫折した弱い義経に己を重ね、義経に想像上
  のサクセスストーリーを歩かせることで自尊心を満足させて
  いた、といえばよかろうか。
  ――森村宗・著、『義経伝説と日本人』(平凡社新書)より

1637号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 源義経=成吉思汗論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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