2005年07月19日

義経北行説はなぜ消えないのか(EJ1636号)

 先週は、衣川の戦いが偽戦であって、源義経は郎党を引き連れ
平泉を後にして、蝦夷地に逃れている――多くの史料があり、こ
のことはもはや動かし難い事実であると考えられます。
 ちなみに「蝦夷地」とは、もともとは「アイヌ人の住む地域」
のことであり、北海道全般を指していたのです。当時北海道は、
まったくの未開の地であり、「蝦夷地に行く」ということは、異
域、異界――死の世界も異界である――に足を踏み入れることと
同意義だったのです。このことから、「義経生存説」は現代にい
たるまで、根強く生き続けることになるのです。
 しかし、この義経北行説を利用して名前を売る学者が横行した
のです。加藤謙斉という学者がいます。享保2年(1717年)
に出版された『義経実記』の著者です。
 この本で加藤謙斉は、義経の平泉脱出について具体的に述べた
あと、次のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 義経平泉脱出の経緯は、雑記小説などに記されているが、信用
 できない。しかし、義経が蝦夷地の方向に向ったことは、異国
 の文献によっても立証できるので確実である。
                     ――『鎌倉実記』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで「異国の文献」とは、「『金史』列将伝」(『金史』別
本)というのです。金国というのは、中国大陸の北方を支配して
いた実在の王朝なのです。その王朝を確立したのは女真族という
のですが、これも本当のことです。そして、『金史』はその女真
族の歴史書であり、これも実在するのです。
 しかし、『金史』別本というのは存在せず、その後多くの学者
によって、それが実際には存在しないことを指摘されています。
『金史』別本は、完全な捏造だったのです。
 こういうことが起こると、義経北行説そのものが疑わしい目で
見られてしまうのですが、義経北行説をまともに考察した学者も
たくさんいたのです。その中でも有名なのは、儒学者新井白石と
同じ儒学者である安積たん白との間で、享保6年から10年まで
の4年間にわたって行われたやりとりです。
 たん白が、「蝦夷地では内地の兜の鍬形によく似た物をアイヌ
たちが尊崇している」と問うと、新井白石は次のように答えてい
ます。現代ならメールで問答するところです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 鍬形の件、確かに不思議でございます。蝦夷地南方に「ハイ」
 なる場所がございまして、源義経の居館跡が残っているとかい
 ないとか。この地方の人々は蝦夷地中では「ハイグル」と呼ば
 れ、気性が荒く武を好むゆえ恐れられているとか。「グル」と
 は、「党」という意味と聞いております。昔から「智者は死な
 ず」とも申します。案外、義経衣川自害の話より、蝦夷脱出の
 話が本当かも知れません。          ――新井白石
  森村宗冬著、『義経伝説と日本人』より。平凡社新書259
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どうでしょうか。新井白石は、加藤謙斉のウソを完全に見破っ
ており、その上での議論であることを強調しておきます。そして
加藤謙斉の『鎌倉実記』の出た後は、義経生存説の舞台は中国大
陸の北方に設定されるようになり、その内容も荒唐無稽のものが
多くなっていったのです。
 そして、大きなゆり戻しがきます。明和7年(1770年)に
半田道時は、『伊達秘鑑』の「義経秀衡事跡」の項において、次
のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  源義経、平泉高館で自害のことは『吾妻鏡』『源平盛衰記』
 『義経記』に見えている。近年、義経蝦夷渡海や義経金国入国
 をうたった書が出ているが、これらは皆、牽強付会の妄説であ
 り、信ずるに足りない。         ――『伊達秘鑑』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このほか多くの反対説が出てくるのですが、それでも義経北行
説そのものは消えることはなく、根強く生き残っていくのです。
それは、反対説のほとんどが『吾妻鏡』や『源平盛衰記』などが
正しいと主張するだけで、数多い義経北行説の証拠を明確に否定
できないのにそれは妄論であり異説であると、どちらかというと
感情的な反対に終始したからです。
 江戸時代末期になると、ロシアの脅威が現実のものとなってき
ます。元文4年(1739年)に陸奥・安房の海上にロシア船が
あらわれています。これはおそらく偵察です。ロシアが正式に日
本に接触を求めてきたのは安永7年(1778年)のことです。
ロシア船がクナシリ島にやってきて、松前氏に対して通商を要求
してきたのです。
 ロシアの脅威が高まってくると、幕府にとって蝦夷地は国土防
衛上の重要な拠点となります。そのため、幕府は次の2つの対策
を行っています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.探検隊による蝦夷地の正確な調査を実施
    2.アイヌを同化させ、蝦夷地を内地化する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 当時蝦夷地は松前藩の管轄化に入っていたのですが、蝦夷地を
支配していたのはアイヌなのです。アイヌは自由の民であり、だ
からこそ自由に外国との交易に従事していたのです。
 しかし、国土防衛上、蝦夷地を自由の状態にはしておけないの
で、文化4年(1807年)に蝦夷地全体を幕府の直轄地化した
のです。これに伴い、アイヌを説得して和人へ同化させる政策を
実施することにしたのです。
 『義経伝説と日本人』の著者、森村宗冬氏は義経蝦夷渡海説は
アイヌの和人への同化手段として、また、和人の蝦夷地行きを促
すものとして利用されたといっています。・・・・ [義経06]


≪画像および関連情報≫
 ・ロシアの脅威
  天明6年(1786年)  ロシア船蝦夷地に来航
  寛政4年(1792年)  ロシア使節ラスクマン根室来航
  寛政7年(1795年)  ロシア人日本船の貨物強奪
  寛政9年(1797年)  ロシア人エトロフ島強行上陸
  文化元年(1804年)  ロシア通商を要求/レザノフ

1636号.jpg
posted by 平野 浩 at 09:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 源義経=成吉思汗論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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