2001年07月26日

●前川レポートは何を狙っているか(EJ第666号)

 戦時経済体制は戦後の経済復興に驚くべき力を発揮したことは
確かです。しかし、その体制のまま50年以上も続ければ、制度
疲労を起こすことはわかっていることです。
 そのような日本を変えようとしたあるレポートがあります。そ
のレポートは「前川レポート」と呼ばれています。日銀のプリン
スの1人、前川春雄が1986年に発表したレポートです。
 このレポートは、日本の経済構造の改革を訴えています。製造
業からサービス業へ、輸出主導型から内需主導型に、大幅な規制
緩和と自由化へと構造を変えるべきであると訴えています。要す
るに、戦時経済システムを構造改革して、米国流の自由市場経済
にするべきであると主張しているのです。
 しかし、この前川レポートは真剣に受けとめられなかったので
す。当時日本経済は好調であり、政治家やエコノミストの多くは
そんな構造改革をする必要はないと考えていたからです。それに
戦時経済システムの既得権者や大蔵省などの特権を握った者が、
そんな改革に賛成するはずもなかったからです。
 現在の日本経済の真の性格が戦時経済システムであることは一
般にはあまり知られておらず、ましてそれを公表した人は、少な
くとも1997年までは一人としていなかったのです。
 しかし、それを最初に口にした2人の大蔵官僚がいます。大蔵
官僚といっても、当時大蔵省を離れて学者をしていた榊原英資氏
と野口悠紀雄氏です。彼らは「中央公論」の1997年8月号に
おいて『大蔵省・日銀王朝の分析』というレポートの中ではっき
りとそのことにふれています。
 彼らは、日本経済の特質を「戦時総力戦経済体制」といい切り
次のように述べて、根本的な構造改革が必要であることを訴えて
いるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『われわれの観点に立てば、いままさに戦時総力体制が終焉し
つつあるのであり、真の戦後処理が今後の課題でなければなら
 ない』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 彼らのうち榊原英資氏はのちに大蔵省に復帰し、1997年に
財務官にまでのぼりつめ、現在は慶応義塾大学教授です。野口氏
は以来一貫して学者の世界にとどまっており、文筆活動に力を入
れています。
 前川レポートも基本的には同じことをいっているのですが、榊
原・野口両氏の発言からほぼ10年が経過した1986年の時点
でも、政治家や大蔵省、エコノミストは無関心だったのです。そ
こで、日銀のプリンスたちは、ある目標を立てて戦時経済システ
ムを壊す計画を実行に移したのです。
 前川レポートを彼らは「10年計画」と呼んでいたのですが、
ヴェルナー氏によると、その目標はちょうど12年後に達成され
たといっているのです。
 1986年からスタートして12年後というのですから、19
98年にすべての目標は達成されたということになります。そう
いえば、1998年には日本銀行法が改正されています。198
6年から1998年までというと、バブルの5年間と不況の7年
間ということになりますが、この12年間に日銀は一体何をした
のでしょうか。
 前川レポートの実現の前提として彼らが掲げた目標とは次の3
つです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.日本の消費者にお金を使う楽しさを堪能させること
 2.対外投資の波を送り出したこと/海外への工場移設
 3.銀行バブルは必ず破裂し、不況になるとの学習効果
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 確かに1998年以降の状況を見れば、あらゆるもののシステ
ムに変化の波が生じています。不況の深刻化によって企業は労働
者の解雇を余儀なくされ、失業率が上昇し、伝統的な終身雇用も
年功制度も崩壊しています。
 かつての日本の商法はドイツをモデルとして作られていたので
すが、政府は法制度を米国のモデルにならって改革しようとして
います。会社法の改正、企業の会計基準の改正など相次ぐ改正に
より、前川レポートで述べられている改革が結局のところ実現し
つつあるのです。
 日銀は、戦時経済体制を変革するために、意図的にバブルを創
り出し、それを急激に潰して日本経済を不況に誘導し、その結果
として前川レポートで唱える改革が実現しつつある――リチャー
ド・ヴェルナー氏はこういっているのです。
 バブルを意図的に創り出したり、それを潰したりする――そん
なことを日銀といえどもできるのかという疑問を持つ人も多いと
思います。それは、日銀が紙幣を印刷すれば可能なのです。
 添付ファイルを見ていただきたいと思います。これは名目GD
Pと日銀の信用創造量との関連を示すグラフです。信用創造量と
いうのは、日銀が紙幣を印刷して信用を創り出すことを意味して
います。
 これを見ると、日銀が信用創造量を増やすと、すぐそのあとか
ら名目GDPが追っかけていることが歴然としています。名目G
DPは日銀の信用創造量の動きと比例しています。
 日銀は1986年以降の1980年代に相当大量の信用創造、
つまり紙幣を印刷していますが、1990年に入るとその逆の急
激な信用破壊をやり、名目GDPも急降下させています。名目G
DPは、日銀の信用創造量と完全にリンクしているのです。
               −− [円の支配者日銀/22]

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posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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