2005年07月12日

基本的条件は成立するか(1632号)

 私が「源義経=成吉思汗論」に興味を持ったのは、高木彬光著
『成吉思汗の秘密』(角川文庫)を読んでからです。この本は推
理小説というスタイルをとっており、名探偵神津恭介が登場する
のですが、そこに何らの殺人事件も起こらないのです。
 この小説は、神津恭介が病気で東大病院に入院し、退院までヒ
マをもてあましているという設定で、「成吉思汗は実は源義経で
あった」ということをヒマつぶしに神津に推理させる――そうい
うかたちをとってかねてからの自らの研究を神津の口を通して発
表しているのです。したがって、内容は真面目そのものです。
 作家高木彬光は、青森中学時代から義経伝説に興味を持ち、研
究を重ねていたのです。そして、当時江戸川乱歩が編集に当って
いた雑誌『宝石』に原稿を持ち込んで連載をはじめたのです。昭
和33年5月号から9月号までの5回にわたる連載です。『成吉
思汗の秘密』はこのようにして完成したのです。
 当時高木彬光は既に人気作家であり、多くの注文原稿を抱えて
いたのですが、この小説だけは持ち込み原稿なのです。それだけ
に意気込みが違うのです。また、この小説は、後から何回も加筆
されており、ある別の作家の小説との結びつきもあるのです。
 私はその小説を当時偶然に読んでおり、驚愕したのを今でもよ
く覚えています。それは次の小説です。
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    仁科東子著、『針の館』――カッパ・ノベルス
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 今回のテーマも関連する書籍をほとんどすべて集めており、総
合的に書き進めますが、その中心は高木彬光説を中心に述べてい
くつもりです。最近『成吉思汗の秘密』が光文社から復刊されて
いますが、それを読まれるのはEJのこのテーマが終わってから
の方が興味深いと思います。
 そろそろ本題に入っていきましょう。
 「源義経=成吉思汗」が成り立つためには、次の3つの条件が
成立する必要があります。
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 1.義経と成吉思汗の両者はほとんど同じ年に生まれている
 2.義経が活動しているときは、成吉思汗は活動していない
 3.成吉思汗が活動しているときは、義経は活動していない
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 1を検証してみます。
 源義経は平治の乱――すなわち、源平両族の勢力争いの時代に
生まれています。父は源義朝、母は常盤御前であり、3人兄弟の
3男として生まれています。歴史書によると、義経は平治元年の
生まれとされています。西暦では1159年です。
 問題は成吉思汗の方です。当時の蒙古は記録が完備しておらず
学者の推定でしかないのですが、1158年、1161年、11
62年という3つの説があるのです。はっきりしているのは、義
経と同年代であることです。したがって、1については、一応成
立すると考えてよいと思います。
 2と3を検証してみます。
 義経の命日は、文治5年4月30日――衣川の戦いのあった日
とされています。西暦では1189年です。年齢は31歳です。
それでは、成吉思汗はいつごろから活躍しているかについて調べ
る必要があります。
 大蒙古帝国は13世紀に突如として出現したのです。東は中国
全土を支配して元朝を開き、西はイラン、トルコから東ヨーロッ
パまでも呑み込んで世界最大の領土を誇ったのです。それを成し
遂げたのが成吉思汗なのです。
 その間日本では、鎌倉幕府が150年間続き、元弘3年(13
33年)をもって幕を閉じるのですが、幕府が倒れるキッカケに
なったのは、2回にわたる蒙古の来襲――文永の役、弘安の役で
あり、蒙古とは密接な関係があるのです。
 当時のモンゴル地方は、広大な草原地帯に多数の民族が入り乱
れて生活しており、遊牧民として移動するので、そこに統一国家
を築くのは至難のわざであったのです。
 成吉思汗という人物について記述されている書物は極めて限ら
れており、次の3つが根本史料とされています。
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 1.『元朝秘史』 ・・・ 13世紀にモンゴル語で編纂
 2.『集史』   ・・・ 14世紀にペルシャ語で編纂
 3.『元史』   ・・・ 中国が明代(14世紀)編纂
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 これら3つの史料によると『元朝秘史』には生年月日は明記さ
れておらず、『集史』は1155年生まれとしています。しかし
これは死亡した年とされる1227年/72歳からの逆算であり
死亡年齢がはっきりしていないので、根拠のないものです。
 この1227年の死亡についてははっきりしているのですが、
死亡年齢は『元史』では66歳、『集史』は72歳と相違してい
ます。『元史』の66歳を基にして生年月日を算出すると、66
歳は数え年であるので、生年月日は1162年ということになり
ます。1159年生まれの義経と3年の誤差がありますが、ほぼ
同年代の人物と考えてよいと思います。
 『元朝秘史』は、歴史書というよりも壮大なる叙事詩的物語と
なっており、テムジンが蒙古の諸部族からカン(汗)の位に推さ
れて成吉思汗になる1206年にいたるまでの歴史の記述は伝説
と文学の世界といえます。しかし、ここまでの分析により、「源
義経=成吉思汗」が成立する基本条件はクリアできたようです。
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            前半生   後半生
       源 義経  史実    伝説
       成吉思汗  伝説    史実   [義経02]
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≪画像および関連情報≫
 ・作家/高木彬光について
  1920(大正9)年に青森市で生まれた高木彬光(たかぎ
  ・あきみつ)は、1948(昭和23)年、江戸川乱歩の推
  薦で『刺青殺人事件』を刊行し、推理文壇にデビュー。その
  後、『能面殺人事件』『妖婦の宿』などの傑作長短編を相次
  いで発表し、一躍、本格推理小説の第一人者となる。神津恭
  介をはじめ、百谷泉一郎、近松茂道、霧島三郎、大前田英策
  墨野隴人の名探偵を登場させ、歴史推理小説『成吉思汗の秘
  密』、経済推理小説『人蟻』、法廷推理小説『破戒裁判』
  などの傑作を次々と発表、戦後の日本推理小説界を代表する
  作家として活躍。1995(平成7)年に逝去。

1632号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 源義経=成吉思汗論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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