な物価指標の開発と配信」によると、このプロジェクトの主な研
究テーマは、「長期デフレの原因に関する研究」であったという
ことです。
昨日のEJにおいて、国が毎月算出している「総務省指数」は
ラスパイレス指数であり、東京大学が毎日算出している東大指数
は、トルンクビスト指数であることを指摘しています。しかし、
ラスパイレス指数はその性質によって、実際の生計費指数よりも
高めの数字が出ることなどについても説明しています。
しかし、これら2つの指数の間には「ラスパイレス指数とトル
ンクビスト指数の違い」では、説明できない乖離がある──この
ように渡辺努東大教授は述べています。これは、一体どういうこ
となのでしょうか。
昨日のEJに添付した東大指数と総務省指数の折れ線グラフの
1990年4月から2000年4月までの部分を拡大したグラフ
を今日のEJの添付ファイルにしてあります。注目すべきは19
90年代前半の動きです。
この時期は、ハブル崩壊の時期であり、株価は1989年の年
末をピークに急落し、不動産価格も1990年夏をピークに急落
しています。重要なのは、2つの指数の前年比変化率がいつマイ
ナスになっているかです。緑の矢印と赤の矢印をグラフに加えて
表示しています。
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東大指数の前年比がマイナス突入 ・・ 1992年春
総務省指数前年比がマイナス突入 ・・ 1995年初
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後からわかったことですが、このとき日銀は,金融緩和政策を
行うのが3年遅れたのです。なぜなら、東大指数は2013年5
月からはじまっており、その頃は、総務省指数に頼っていたので
3年遅れてしまったのです。これについて、渡辺努教授は、次の
ようにコメントしています。
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この時期の総務省指数の詳細データは公開されていないので、
総務省指数がデフレに転じるタイミングが遅れた理由はいまなお
不明ですが、この遅れが当時の政策決定に重要な意味をもったの
はたしかです。総務省指数でみると、1992〜93年の前年比
は、先進各国の中央銀行が理想と考える2%のインフレの近くに
ありました。そのため、1993年2月の講演で日銀の三重野康
総裁(当時)が「インフレとの戦いという点でわが国は非常にう
まくいっている」と語るなど、政府・日銀は物価の状況を楽観視
していました。
そのこともあって、日銀はバブルが崩壊してもすぐには本格的
な緩和に向かいませんでした。日銀が本格的な金融緩和に踏み切
るのは1990年代半ばで、これは総務省指数が1995年にデ
フレに突入したのを確認した後のことです。バブル崩壊後の日銀
の政策については、金融緩和に転じるのが遅すぎたと、内外の識
者から後日、指摘されることになるわけですが、物価に関する楽
観的な認識が、その理由のひとつであったことは間違いありませ
ん。クラレバにはなりますが、もしあの当時、東大指数が存在し
デフレ突入を早期に検知できていれば、金融緩和の開始はもっと
早まったことでしょう。
──渡辺努著/『物価とは何か』/講談社選書メチェ758
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渡辺努教授の本を読んで感じたことがあります。それは、日本
の物価の把握が欧米諸国に比べて、非常に丁寧であり、進んでい
るという点です。総務省統計局という役所はラスパイレス指数を
採用するものの、それをサポートする東大物価指数が誕生し、精
度を補完し合っていることです。
それは、何といってもカバーする期間の長さにあります。海外
のデータがせいぜい5年程度であるのに対して、日本ではゆうに
30年以上に及びます。これについて、渡辺努教授は、次のよう
に述べています。
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日本のデータがなぜそんなに古くからあるのかと言うと、日本
におけるPOS(販売時点情報管理)レジの普及に合わせて、通
産省(当時)関連の財団法人の主導の下、日本各地にある店舗の
POSレジに蓄積されたデータを一カ所に集積させるという取り
組みが行われたからです。それがなければ、各店舗のPOSレジ
のデータは散逸してしまったことでしょう。データの蓄積は19
88年に始まり、その後、民間企業へと移管されるなど貯余曲折
を経て、私たち研究者の手元に届いたというわけです。全国のP
OSレジからデータを収集・貯蔵することの意義を、正しく認識
した先人の見識の高さに敬意を表すとともに、優れたデータを研
究に使える幸運に感謝したいと思います。
──渡辺努著/『物価とは何か』/講談社選書メチェ758
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POSレジといわれるキャッシュレジスターなどの開発は何と
いっても米国の開発が早いですが、それを丁寧に使い続けたのは
日本です。世界で最初のレジスタ(POSレジ)の誕生は、18
78年。米国のカフェ経営者によって生まれました。船の機関室
のエンジンやボイラーなどの計器がデザインの原型となっている
そうです。遅れること約20年、1897年に牛島商会がアメリ
カからレジスタを輸入したのが、日本におけるレジの歴史の始ま
りであるといえます。
オタワ会議といわれる会議があります。1994年にカナダの
オタワで行われたので、その名前があります。物価指数に関する
オタワグループ会合といわれ、毎回約50名ほど集まるそうです
が、日本からは消費者物価指数を作っている総務省統計局と企業
物価指数を作っている日銀が参加しているそうです。
──[物価と中央銀行の役割/012]
≪画像および関連情報≫
●「企業物価指数」とは何か
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企業間で取引される財に関する物価の変動を示す指数のこ
とである。生産者から家計に直接販売される商品を除いた財
全般(電力、ガス、工業用水などを含む)が、対象範囲であ
る。土地、建物など取引額が推計できない商品や、中古品な
どは対象から除かれる。生産者出荷段階を中心に、企業間で
取引される価格が調査され、指数が作成される。
指数は、基本分類指数と参考指数から成る。基本分類指数
は「国内企業物価指数」、「輸出物価指数」、「輸入物価指
数」から構成される。「国内企業物価指数」は、国内で生産
した国内需要家向けの財を対象とし、主として生産者出荷段
階、一部を卸売出荷段階で調査し、消費税を含むベースで作
成される。「輸出物価指数」は輸出品を対象とし、本邦から
積み出される段階(原則としてFOB建て)で調査される。
「輸入物価指数」は輸入品を対象とし、本邦へ入着する段
階(原則としてCIF建て)で調査される。なお、「企業物
価指数」とは別に、企業間で取引される「サービス」の価格
に焦点を当てた「企業向けサービス価格指数」も作成されて
いる。。 https://onl.la/SHQ5YNC
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デフレ現象が出た時期