アによるウクライナ侵攻が原因ではないとしたら、何が原因なの
でしょうか。
インフレが2021年からはじまっていることを考えると、そ
の前年2020年から発生した新型コロナウイルスによるパンデ
ミックがあります。そこで、パンデミックが経済にどのような影
響を与えたのかについて考えてみるこにします。
パンデミックが起きたとき、世界の中央銀行の政策担当者たち
は、景気後退を懸念し、低インフレがもっとひどくなることを警
戒したのです。どうしてかというと、各国で都市封鎖が行われ、
国民への行動制限が強化される結果、世界の物流ネットワークが
分断されてしまうからです。
アップルのアイフォーンを例に上げてみましょう。アイフォー
ンの製品企画は米国のアップル社が行いますが、それにセットさ
れる半導体などの部品は、日本、韓国、米国、台湾の企業が担っ
ており、部品を集めて製品として組み立てる役割は、台湾と中国
の企業が行っています。このように、現代におけるモノの生産と
供給は、世界中の人と工場が網の目のように張り巡らされている
物流によって相互に繋がることによって成り立っています。これ
を「サプライチェーン」といいます。
人の行動が制限されたことによって人手が不足し、車載用の半
導体の生産が遅れ、自動車メーカーは顧客への車の納品が遅延し
顧客を何カ月も待たせる事態が起きています。また、スマホの部
品が輸出できなくなり、ヨーロッパでスマホの品不足が起きてい
るし、カナダの食肉工業がライン数を大幅に減らしたことによっ
て、中国では豚肉が過去に例を見ないほど品薄になっています。
その結果、何が起きるでしょうか。それは、劇的な価格の高騰、
そう、インフレです。
このように考えると、いかにもパンデミックがインフレの主犯
のように見えてきます。これに2022年2月からのロシアによ
るウクライナ侵攻──つまり、戦争の影響が上乗せさせられ、イ
ンフレの勢いが強まったのではないかという考え方が正しいよう
に思えてきます。そのように考える専門家も多いと思います。
しかし、事実は、そんなにシンプルではないのです。この考え
方に異議を唱える学者がいます。日銀勤務の経験もある渡辺努東
京大学大学院経済学研究科教授です。以下の記述は、渡辺努教授
の次の本を参考らさせていただいています。
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渡辺努著/講談社現代新書/2679
『世界インフレの謎』
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新型コロナウイルスが世界中に拡散したのは、2020年から
21年にかけてです。この2年間、われわれは、巣ごもりをせざ
るを得なかったのです。つまり、できる限り家を出ず、人と会わ
ない生活が2年間続いたわけです。その結果、人々は、家の外で
の消費活動と労働をしなくなり、その間、経済活動が停滞したこ
とは事実です。
しかし、その2年間にワクチン接種のグローバルの進展や、医
療対応の進歩もあって、他の感染症に比べると、死亡率が非常に
低く抑えられています。そして、2022年の春以降は、米欧が
先陣を切って、経済活動をフル回転させています。
問題は、この現象をどう見るかです。これについて、渡辺努教
授は、次のように述べています。
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パンデミックがインフレの主犯であるという仮説を素直にとら
えるなら、パンデミックの影響がより厳しかった時期にこそイン
フレが起きるはずです。しかし、実際にインフレが始まったのは
新型コロナウイルスというものについて人々の理解が進み、対応
しはじめて、パンデミックがいったん落ち着いてきたころのこと
でした。このタイムラグをどのように考えるべきでしょうか。
──渡辺努著/講談社現代新書の前掲書より
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多くの経済学者は、インフレの主犯はパンデミックであると捉
えています。そうであるならば、パンデミックが収束すれば、経
済は元に戻ると考えます。なぜなら、生産を支える要素は次の3
つだからです。
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@資本/モノを作る機械、設備、店舗など建物
A労働/労働者が工場、オフィス、店舗で働く
B技術/モノやサービスを生産するノウハウ等
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パンデミックと地震などの自然災害を比較してみます。大地震
や大災害が起きると、工場やオフィスが壊され、多くの人命が奪
われます。工場やオフィスの破壊は資本の棄損ですし、多くの人
命が奪われれば労働も棄損します。資本や労働の修復には、長い
年月がかかります。したがって、中期間にわたって生産が低迷し
経済が失速します。
しかし、パンデミックの場合、資本、労働、技術を棄損しない
ので、経済活動は一時的に停滞するだけで、パンデミックが収束
すれば、元に戻るはずです。巣ごもり中は、経済で使われる資本
の量は減りましたが、それは一時的に使われなかったからである
に過ぎません。これを資本の「遊休化」といいます。
もっとも労働に関しては、失業が発生していますが、これも労
働力の遊休化であり、資本の場合と同様で、経済の再開への障害
とはならないものです。もうひとつ、今回のコロナ禍での死亡者
は、スペイン風邪や、14世紀の黒死病などと比較すると、多く
の死者は出ておらず、ウイルスの性格により、重症化したのは、
シニア層に限られており、働き盛りの死者は、相対的に、少なく
なっており、生産に大きな影響を与えていないはずです。
──[世界インフレと日本経済/006]
≪画像および関連情報≫
●澤上篤人氏「インフレは止まらず株や債券は暴落する」
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1973年、第1次石油危機が起きてインフレが世界中で
吹き荒れ、米国の長期金利は79〜85年の約6年間、ほぼ
一貫して10%を超える水準になった。81年には一時15
・84%に達したこともあった。その頃のインフレや高金利
を現役世代の多くは経験していない。今、再び直面するイン
フレを軽くとらえる人が多いのは、そのせいかもしれない。
なぜ今、インフレ懸念が世界的に高まっているのか。もち
ろんロシアがウクライナに侵攻したことが直接的な引き金と
なって、石油、天然ガス、非鉄金属、肥料、穀物などの価格
が一斉に暴騰したという側面はある。だが、侵攻開始の2月
24日より前から、米欧ではインフレ率が上がっていた。
最大の理由は世界経済の拡大発展、そして日本の高度経済
成長をもたらした戦後の自由貿易体制が、逆流を始めたこと
だ。行き詰まったという程度ではない。実際、米国のトラン
プ前大統領は「アメリカ・ファースト」を連呼し、米中貿易
戦争をしかけた。半導体や電子機器などの供給網が乱れ、価
格を押し上げたのは知られている通りだ。トランプ氏のよう
な政治家は米国以外の国でも台頭している。イタリア、中国
ハンガリー、ブラジル、ポーランド、ロシアなどの国民が、
自国第一主義の政治家を熱狂的に支持してきた背景を考える
べきだ。つまり、先進国でも中進国でも、自由貿易体制の恩
恵から取り残された人々の所得が低下し、生活が苦しくなり
自然と過激な政治家になびいてしまう。世界各地で賃上げを
求める声が高まり、収まる気配はない。
https://bit.ly/41zi07a
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渡辺努東京大学大学院教授