2023年05月01日

●「なぜ、日の丸半導体は敗れたのか」(第5944号)

 エンジニアを目指す現代の日本の若者に「日本はかつて半導体
の王者であり、その世界シェアは50%を超えていた」と話すと
びっくりした顔をします。確かに、半導体における日本のシェア
が6%を切っている現状を見れば、「信じられない」と考えるの
は、むしろ自然であるといえます。
 なぜ、50%を超えるシェアが6%になってしまったのか──
このことを振り返ってみることは、けっして無駄なことではない
と思うので、少していねいに考えてみることにします。原因は4
つあります。
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       @日米半導体協定による米国の圧力
       A垂直統合に固執し構造改革に失敗
       B魅力的な製品を作り出せない資質
       C内向きで海外企業の連携が少ない
─────────────────────────────
 第1の原因は「日米半導体協定による米国の圧力」です。
 そもそも半導体産業は、終戦直後の1947年のトランジスタ
の発明からはじまるのです。本格的にトランジスタの工業生産が
はじまるのは1950年代半ばからですが、このとき、日米では
その発展のしかたが大きく異なっており、自然に住み分けができ
ていたといえます。
 トランジスタが発明される前は真空管が使われており、当時主
力の電気製品であるラジオは、現在の電子レンジぐらいの大きさ
だったのです。ソニーをはじめとする日本のメーカーは、真空管
の代わりにトランジスタを使うことによって、弁当箱程度の大き
さの小型ラジオを製作したところ、これが世界的に大ヒットし、
日本の花形輸出商品になります。
 これに続いて、日本の家電メーカーは、白黒テレビ、カラーテ
レビ、VTRもトランジスタを使って、真空管式よりはるかに良
いものができるようになり、それが後のソニーのウォークマンな
どにつながっていきます。その結果、半導体を使った家電製品は
日本の独壇場になり、世界中を席巻したのです。
 これに対して米国の半導体産業はどうかというと、軍事用にシ
フトし、ミサイルやロケットにトランジスタを使うことによって
軽量化を実現させ、遠くまで飛ばせるようになります。1958
年にはトランジスタに続いてIC(集積回路)が発明され、これ
が主流になります。集積回路は爪ぐらいの大きさにトランジスタ
を何百個も搭載することができ、これによって、米国のアポロプ
ロジェクトでは、有人宇宙船の制御システムとしてICが数多く
搭載され、その結果として、人類は無事に月に降り立つことがで
きるまでになったといえます。
 このように、「日本は家電用/米国は軍事用」という住み分け
ができていたので、この頃は貿易摩擦などは起きなかったし、米
国は日本を警戒していなかったのです。1960〜1970年代
のことです。
 しかし、1971年にインテル社がコンピュータに搭載される
DRAMというメモリを開発し、日本でも生産しはじめるように
なって、日米間の確執がはじまります。DRAMは、1キロビッ
トからはじまり、それが4キロビット、16キロビットと、約3
年ごとに4倍ずつ増えるのですが、16ビットまでは米国がりー
ドしており、日本など眼中になかったといえます。しかし、64
ビットになると日本が追いつき、日本が米国をリードするように
なります。
 米「フォーチューン」誌は、DRAMにおける日本の発展につ
いて、1981年に2回にわたり、次の特集記事を掲載し、米国
に警戒を促し、これによって米国に大ショックを与えたのです。
─────────────────────────────
    「日本半導体の挑戦」   1981年 3月
    「不吉な日本半導体の勝利」1981年12月
                 ──「フォーチューン誌」
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 フォーチューン誌の3月の記事には、シリコン・ウェハーに擬
した土俵上で関取(日本人)とレスラー(米国人)がにらみ合っ
ているイラストが描かれていましたが、そのイラストを添付ファ
イルにしてあります。
 このフォーチューン誌の記事がきっかけになり、米国は「日本
はダンピングをしている」という難癖をつけ、米商務省が調査に
乗り出します。そして1986年9月に締結されたのが、「日米
半導体協定」です。その内容たるやひどいもので、不平等協定そ
のものであったといえます。日米半導体協定の重要条項をピック
アップすると、次の2つに要約されます。
─────────────────────────────
 1.日本市場における外国製半導体の購入拡大
   日本政府は、外国製半導体の国内のシェアをモニターし、
  これを20%以上に拡大させるよう努力する。
 2.日本製半導体製品のダンピングを防止する
   日本政府は、日本の半導体メーカー各社に半導体のコスト
  と販売データなどを4半期ごとに米国へ提出する。とくに、
  DRAMとEPROMについては、米国政府がFMV(公正
  販売価格)を決定して各メーカーに指示する。
─────────────────────────────
 ふざけた話です。1つは、当時半導体における日本のシェアは
圧倒的で、日本国内での外国製品のシェアは10%ぐらいしかな
かったのです。それを倍の20%に引き上げよというのです。こ
の数値目標が日本の半導体産業の発展を阻むことになります。
 2つ目はもっとひどい。重要半導体のDRAMとEPROMに
ついては、コストや販売データを日本に提出させたうえで、価格
については米国が決めるというのです。当時は中曽根康弘内閣の
時代ですが、国力の差とはいえ、なぜ、日本政府は、何もできな
かったのでしょうか。 ──[メタバースと日本経済/060]

≪画像および関連情報≫
 ●「米国は30年前と同じ」、日米半導体交渉の当事者がみる
  米中対立
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   「このままでは中国は八方ふさがりだ。まるで30数年前
  と同じですよ」
   こう話すのは元日立製作所専務の牧本次生氏。1986年
  から10年間続いた日米半導体協定の終結交渉で日本側団長
  を務めた、半導体産業の歴史の証人だ。米国と中国が繰り広
  げる半導体をめぐる対立に日米半導体摩擦を重ね合わせる日
  本人は多い。牧本氏は「ここで覇権争いに負けたら、中国は
  30数年前の日本のように競争力がそがれるだろう」と警鐘
  を鳴らす。
   米国は2020年9月に華為技術(ファーウェイ)に対す
  る輸出規制を発効し、中芯国際集成電路製造(SMIC)向
  けの製品出荷にも規制をかけた。「『一国の盛衰は半導体に
  あり』をよく理解している米国は、ファーウェイやSMIC
  への禁輸など、中国のエレクトロニクス産業の生命線を絶と
  うとしている」(牧本氏)
   牧本氏は、最先端半導体の製造技術で中国に追いつかれな
  いよう米国が神経をとがらせていることに注目する。微細化
  に欠かせない露光装置を手掛けるオランダの装置メーカー、
  ASMLの機器や技術が中国に渡らないよう、米国は19年
  からオランダ政府に働きかけてきた。
                 https://bit.ly/3AFQ1HO
  ───────────────────────────
1981年3月「フォーチュン誌」記事.jpg
1981年3月「フォーチュン誌」記事
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | メタバースと日本経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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