2023年03月31日

●「日の丸半導体はなぜ敗れたか」(第5937号)

 今回のテーマ「メタバースと日本経済」で、3月7日から半導
体のことを書いています。メタバースが成功するかどうかも、日
本経済が立ち直れるかどうかについても、半導体と無関係ではな
いからです。本日で18回目です。
 「チップ4」という米国主導の枠組みをご存知ですか。
 これは、特定国家──中国のことですが、半導体から中国を排
除しようという意図を持つ考え方です。もっとわかりやすくいう
と、米国主導で、日本、韓国、台湾をまとめ、一種の「半導体同
盟」を作ろうという試みです。
 米バイテン政権がこの枠組みを提案したのは、世界の半導体生
産の8割がアジアに集中しており、それが、米国半導体の弱点に
なっていることに気が付いたからです。半導体生産に関しては、
米国は10%のシェアしか持っていないのです。
─────────────────────────────
      ◎半導体生産の8割はアジア集中
        韓国 ・・・・・・ 24%
        台湾 ・・・・・・ 23%
        中国 ・・・・・・ 15%
        日本 ・・・・・・ 14%
        米国 ・・・・・・ 10%
        欧州 ・・・・・・  5%
       その他 ・・・・・・  9%
                  https://bit.ly/40nNeyt
─────────────────────────────
 半導体生産のシェアで重要なのは、韓国と台湾で47%を生産
していることです。約半分です。とくに台湾は、世界最大のファ
ウンドリのTSMCを中心に米国半導体の多くを作っているとこ
ろです。この状況で、もし、台湾有事で中国が台湾に侵攻し、手
中に収めたら、何が起きるでしょうか。中国側にサプライチェー
ンを握られてしまい、国家の安全保障、軍事防衛を考えると、そ
れは米国の危機そのものといえます。
 かつての日本は半導体生産に圧倒的に強く、1988年には世
界の半導体生産の50%以上を占めていたのです。その日本が今
や中国にも抜かれており、世界第4位に転落しています。一体何
があったのでしょうか。
 これについて、東洋経済・解説部コラムニストである山田雄大
氏は、次のことを指摘しています。
─────────────────────────────
 1940年代後半に、半導体を発明したのはアメリカだ。19
80年代にそのアメリカに日本は半導体の製造で勝った。それは
1970年代に日本が新しい技術を作ったからだ。たとえば、ク
リーンルームという概念を生み出した。アメリカでは製造現場に
靴で入っていたが、日本では清浄な環境で造らないと不良品が出
るとクリーンルームを作った。半導体の基本特許はアメリカ発か
もしれないが、LSI(大規模集積回路)にしたのも日本だ。私
たちの先輩がゼロから切磋琢磨しながらやった。
  もう1つ大事なことがある。マーケットがあったことだ。当
時日本の大手電機は、みんなNTTファミリーで通信機器やコン
ピュータを造っていた。半導体は自社の通信機器やコンピュータ
の部門が大口顧客だった。自社のハードを強くするために強い半
導体がいる。通信機器部門やコンピュータ部門にとって、自社で
半導体部門を持つメリットがあった。各社がよりよいコンピュー
タを作ろうと競い合った。自社の大口顧客に応えるために、半導
体部門も開発に力を注いだ。半導体を利用する顧客が近くにいる
ことでよいものができた。それを外に売れば十分に勝てた。19
80年代から90年代の初頭まではね。
                 https://bit.ly/3M1KWAM
─────────────────────────────
 それほど天下無類であったの日の丸半導体が、なぜ崩壊してし
まったのでしょうか。
 それは、マーケットが通信機器からPC(パソコン)に変わっ
たことが原因です。それも各社独自仕様のPCを作っていたとき
はまだ良かったのですが、1981年からのIBM互換機の時代
になると、半導体は良いものを作るというよりも、同じものをい
かに安く作るかの競争になったのです。
 当時の日本としては、NTT仕様の自社通信機器向けの半導体
は35年の世界で、設計、プロセス、品質管理もその水準でやっ
ており、PC向けについても同じサービスを提供したのですが、
そのとき必要とされたものは、品質よりも安さだったのです。当
時のPCは数年持てばよいと考え方であったといいます。
 もう1つ原因があります。日本は、技術振興のための国家プロ
ジェクトが上手ではないということです。国産コンピュータ製作
国家プロジェクト「TAC」が、個人で製作した富士写真フィル
ムの「FUJIC」に敗れています。その理由について、山田雄
大氏は「半導体部門が決定権を持っていない」として、次のよう
に訴えています。
─────────────────────────────
 半導体部門自体が決定権を持っていないということは、国プロ
が成功しないという問題だけにとどまらなかった。投資などを決
めるのは本社様で、半導体のマーケットをわかっている人間が、
(投資の)賭けに打って出ることはほとんどできなかった。しか
も、半導体が儲かったときは(利益を)全部吸い上げられるし、
損をしたときは(事業を)止めろと言われる。
 欧米では1990年代に半導体事業が総合電機からスピンアウ
トした。日本でそれが起こったのは2000年になってからだ。
そうしてできたのがエルピーダ(メモリ)とルネサス(エレクト
ロニクス)の2社だが、意思決定が10年以上遅かった。
                  https://bit.ly/3ZnELK3
─────────────────────────────
           ──[メタバースと日本経済/053]

≪画像および関連情報≫
 ●日本が半導体戦争に惨敗した真因ーーソフト開発軽視
  が致命傷に
  ───────────────────────────
   1954年、東京通信工業(現ソニー、以下:東通工)で
  テープレコーダーの製造部長を務める岩間和夫氏が、米国ペ
  ンシルベニア州にあるウエスタン・エレクトリック(WE)
  社を訪れた。
   多くの人にとってウエスタン・エレクトリックはまだ聞き
  慣れない名前かもしれないが、傘下にかの有名なベル研究所
  を抱えている。世界のチップ産業の土台をなす「トランジス
  タ」はベル研究所で発明された。1952年、ちょうど米国
  を視察中だった東通工の創業者・井深大氏はトランジスタが
  テープレコーダーの開発に活用できると考え、2万5000
  ドル(当時のレートで約900万円)でトランジスタの特許
  使用契約を結んだ。しかしこの決断は社内から猛反対を受け
  る。トランジスタを発明した米国人でも作れないのに、日本
  人が製造できるはずはないというのだ。井深氏が買い取った
  特許権には、技術の詳細や製造方法は含まれておらず、どう
  作るかも分からないものの図面に大枚をはたいたようなもの
  だった。当時、東通工にあった唯一の資料といえば、同じく
  創業者の盛田昭夫氏が米国から持ち帰った書籍「トランジス
  タ技術」3冊のみだった。途方にくれていたとき、前出の岩
  間氏がトランジスタ研究のため米国に赴くことを申し出る。
  米国ではウエスタン・エレクトリック社の職員が家族のよう
  に喜んで迎えてくれたものの、写真撮影やノートをとること
  は一切許されなかった。    https://bit.ly/42MOaxT
  ───────────────────────────
IC(集積回路).jpg
IC(集積回路)
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | メタバースと日本経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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