2023年03月03日

●「FUJICはどういうマシンか」( 第5918号)

 国家プロジェクトの「TAC」と富士写真フィルムの「FUJ
IC」──次の完成時期を見る限り、日本初のコンピュータの栄
誉に輝くのは「FUJIC」です。ここで完成時期とは、マシン
が正常に作動した時期のことです。
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       ◎FUJIC
        着手時期 ・・ 1949年
        完成時期 ・・ 1956年
       ◎TAC
        着手時期 ・・ 1951年
        完成時期 ・・ 1959年
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 しかし、日本初のコンピュータが富士写真フイルムの「FUJ
IC」であることをほとんどの日本人が知らないし、システムの
業界でもそれは同様で、知っている人はわずかです。
 それは、ネットでも同じことで、どのように検索しても「FU
JIC」が日本初のコンピュータであることを伝える記事はごく
少数でしかないのです。東芝のサイトにいたっては、「TAC」
のことを次のように紹介しています。
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       日本初の計数形電子計算機/TAC
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 これは、巨額の予算を取得した国家プロジェクトの「TAC」
が、1企業の1部署で、たった1人で取り組み、非常に少ない予
算で、国家プロジェクトよりも、早くコンピュータを稼働させた
「FUJIC」を国が素直に認めていない証拠です。
 なお、FUJIC開発のすべてについては、開発者の岡崎文次
氏のことを伝える次の著書を読んでいただきたいと思います。
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                   遠藤 諭著
     新装版『計算機屋かく戦えり』/アスキー
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 それでは、FUJICとはどういうコンピュータであったので
しょうか。少し専門的な説明になることをお許しください。
 第1に、現在のCPUに当たる「論理回路」をどのように作っ
ているかです。
 現在のようにICがない時代なので、「フリップフロップ」と
いわれる論理回路のために、真空管は2極管約500本、3極管
など約1200本、合計1700本の真空管が使われています。
ENIACは1万8000本、EDSACが3000本であった
ことを考えると、非常に少ない真空管でできています。
 フリップフロップは、1ビットのデータを記憶する電子回路の
ことです。「オン」と「オフ」、「0」と「1」の2つの状態を
とりうる回路です。外部から1ビットの信号を与えることで、2
つの状態を切り換えることができます。このフリップフロップを
組み合わせて、2進数の数値を回路上に記憶したり、読み出した
りできるうえ、2進数の加減算を行うことができます。
 第2に、「メインメモリ」をどのように作っているかです。
 真空管の信用度が極めて低い(すぐ切れるなど)ので、「水銀
遅延管」を使っています。これについては、岡崎文次氏自身の解
説を引用します。
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 真空管は信頼性が低いわけです。当時、高速なブラウン管メモ
リを使うという手もありましたけど、これはもっと不安定。そこ
で水銀を使った超音波ディレーラインを使いました。音は水銀の
中を1000分の1秒で約1・5メートル進みます。そこで、た
とえば、100万分の1秒の間に何回か音を出したり止めたりす
ると、水銀中に音のあるなしで模様が描けるんです。その、音の
“ある”“なし”が、2進数の0と1に対応する。音波が水銀タ
ンクの端まで行くと、すぐさま同じ音波を送り出す。すると、同
じ模様が再び描かれる。この繰り返しによって模様は描き続けら
れる、つまりデータが保持されるというわけです。記憶できる容
量は1語33ビット扱いで255語でした。  ──岡崎文次氏
                  https://bit.ly/3kBNYQS
─────────────────────────────
 第3に、プログラム方式についてです。
 プログラム内蔵方式で、プログラムは3アドレス式の機械語で
す。用意されている命令は、加減乗除、移動、ジャンプ、入力、
出力、停止など17種類です。
 第4は、入力機器です。カードリーダーに16進数でコーディ
ングし、カード入力のコマンドは「そのまま格納」「2進数にし
て格納」「指定した番地から実行」の3種類です。
 第4は、「出力機器」です。既製品の電動タイプライターを流
用しています。レミントンランドの、手打ち用の一般タイプライ
ターを使い、キーの一つ一つを機械的に針金で引っ張る方式を採
用しています。
 ハードウェアの構造については以上です。ほとんど1人で作っ
たコンピュータとしては、非常によくできています。FUJIC
の完成で、レンズの設計の効率化は達成されたかについて岡崎氏
に聞くと、次の答えが返ってきました。
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 設計速度は人手の1000〜2000倍ぐらいあがりました。
労働組合などは、FUJICの完成で、計算担当者が仕事にあぶ
れるのではと懸念していたようですが、それは杞憂に終わりまし
た。                    ──岡崎文次氏
─────────────────────────────
 真空管の時代であっても、FUJICやTACのような立派な
コンピュータを開発する力を日本は持っています。「ものづくり
日本」は現代においても生きている私は信じます。
           ──[メタバースと日本経済/034]

≪画像および関連情報≫
 ●FUJIC/日本最初のコンピュータを一人で創り上げた男
  ──岡崎文次
  ───────────────────────────
   日本最初のコンピュータは、すでにブラウン管に文字を表
  示していたし、輸入品のタイプライターのキーを針金で下か
  ら引っ張る、信じられないようなギミックで文字を印刷して
  いた。岡崎氏が生まれてはじめて引いた図面から作り上げた
  というカードリーダは光学式の読み取りで、穴の位置から、
  フォトセルまでは曲げたガラス棒で光を導いていた。いうま
  でもなく、これは光ファイバーと同じカラクリである。直径
  100ミリ、長さ1450ミリの超音波ディレーラインのタ
  ンクも、数字だけ、言葉だけではそれほどでもない装置だが
  これを一から作り上げることが容易でないことはひと目でわ
  かるような代物である。
   岡崎氏はこれら各部機構を手作りするとともに、当時最大
  のネックだった真空管の安定性を、「数を抑えること」「作
  動させる電圧をギリギリまで下げること」「接点をハンダ付
  けしてしまうこと」という3つの方策で克服したのだった。
  これらの方法はどれも誰もが思いつきそうで思いつかない、
  いかにも岡崎氏らしいあっけらかんとした方法ではないか。
  特に真空管の数を減らすことに関しては、これも一言で片付
  けてしまいがちだが、きわめて緻密なハードウェア的、ソフ
  トウェア的な取り組みが必要となる。そこに平然とアプロー
  チしてやってのけたのが、岡崎氏のFUJIC開発であると
  いえるだろう。
   コンピュータは、高度な回路設計とそれを機械として実現
  するための技術が、バランスよく提供されることではじめて
  動くものだった。コンピュータは、頭でっかちでも、腕力だ
  けでも、決して動くことはないということでもある。
                  https://bit.ly/3Zq2vhP
  ───────────────────────────
インタビューを受ける岡崎文次氏.jpg
インタビューを受ける岡崎文次氏
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | メタバースと日本経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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