画像、文章、音声、プログラムコード、構造化データなどさまざ
まなコンテンツを生成することのできる人工知能のことです。大
量のデータを学習した学習モデルが人間が作成するような絵や文
章を生成することができます。
生成AIの中心にいるのは、「オープンAI」という2015
年に設立された米国の非営利団体であり、現在、そこを中心とす
る多くのスタートアップ企業に巨額の投資が集まっています。こ
のような先端技術はやはり米国がいつも先陣を切っています。
生成AIについては、目下情報を収集しており、いずれEJで
取り上げるつもりでおります。その前に「ものづくり日本」の象
徴ともいえるものの、意外にも多くの人が知らない、日本のコン
ピュータの製作秘話を取り上げたいと思います。
世界はじめてのコンピュータは、米国が1946年に開発した
「ENIAC(エニアック)」です。ENIACとは、次の英語
の頭文字をとったものです。
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◎ENIAC
Electronic Numerical Integrator and Computer
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ENIACを考案・設計したのは、ペンシルベニア大学のジョ
ン・モークリーとジョン・プレスバー・エッカートの2人です。
開発の目的は、米国陸軍の弾道研究所における砲撃射表の計算で
す。ENIAC開発の資金を出したのは米国陸軍であり、契約は
第2次世界大戦中の1943年6月5日に行われています。ペン
シルベニア大学では「プロジェクトPX」として秘密裏に設計が
進められたのです。1946年2月14日にマシンは完成し、翌
日にペンシルベニア大学で正式に使用が開始されています。EN
IACは1955年10月2日まで運用・使用されています。
ENIACとはどういうコンピュータだったのでしょうか。
幅30メートル、高さ2・4メートル、奥行き0・9メートル
総重量27トンという大掛かりな装置で、開発にかかった費用の
総額は、50万ドルであったといわれています。ENIACには
次のようなものが使われていたのです。
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真空管 ・・・・ 17468本
ダイオード ・・・・ 7200個
リレー装置 ・・・・ 1500個
抵抗器 ・・・・ 70000個
コンデンサ ・・・・ 10000個
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なぜ、ENAICはこのような巨大なマシンになったのでしょ
うか。それは、今でこそコンピュータは2進数が当たり前になっ
ていますが、ENIACは、内部構造に10進数を使っているか
らです。
少し専門的になりますが、1桁の10進数を格納するのに10
ビットのリング・カウンターを使っており、1桁の記憶に対して
36本の真空管を必要とするのです。これでは、1万7000本
の真空管が使われても不思議ではないでしょう。
しかし、メモリがごくわずかなため、プログラムの内蔵能力は
ほとんどなく、パンチカードなどの外部デバイスからプログラム
を取り込む方式が採用されていたのです。
それでもENIACでは複雑なプログラムを組むことができた
のです。ループ、分岐、サブルーチンが可能で、このプログラミ
ングには女性が大活躍したといたわれています。1997年のこ
とですが、当時ENIACのプログラミングを担当していた6人
の女性がWTTIの殿堂入りを果たしています。WTTIとは、
次の言葉の省力形です。
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◎WTTI
Women in Technology International
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ENIACの開発プロジェクトには、ロスアラモス国立研究所
で、マンハッタン計画(米国の原爆開発・製造計画)に従事して
いた著名な数学者、ジョン・フォン・ノイマンが強い関心を持っ
ていたといわれます。ロスアラモス研究所では、ENIACに深
く関与するようになり、最初にENIACで計算したのは、水素
爆弾に関するものだったといいます。その計算の入出力には、約
100万枚のパンチカードが必要だったといわれています。
ノイマンのこのENIACへの関わりによって、後にノイマン
は、ENIACに変わる新しいコンピュータの開発を示唆するレ
ポートを書くことになります。このノイマンのレポートによって
モーリス・ウィルクスとケンブリッジ大学の数学研究所のチーム
が、1949年に開発したのが「EDSAC(エドザック)」と
いうコンピュータです。
このコンピュータは2進数を採用し、プログラムとデータの両
方を一緒に格納できる記憶装置(メインメモノ)を備えた世界初
のプログラム内蔵方式のコンピュータであり、後にノイマン式コ
ンピュータと呼ばれるようになります。EDSACは、次の言葉
の省略形です。
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◎EDSAC
Electronic Delay Storage Automatic Calculator
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このENIACとEDSACの開発は、日本の科学者たちの強
い関心を引き、日本でもコンピュータを作ろうという機運が盛り
上がってきたのです。日本におけるその1つのプロジェクトが、
東京大学と東芝によるコンピュータ開発プロジェクト「TAC」
です。これについては明日のEJで取り上げます。
──[メタバースと日本経済/031]
≪画像および関連情報≫
●ENIAC開発の背景
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ENIACは、一般には、弾道計算のために開発されたと
いうことになっています。実際、開発の資金を提供した陸軍
は、弾道計算のために資金提供したのでした。しかし、EN
IACの構想を考え出したモークリーは、趣味の気象予測の
ために強力な計算機を必要としていたようです。当時、「気
象は十分な計算パラメータがあれば完全に予測できる」とす
る仮説が話題となっており、多くの人が実際の予測に取り組
んでいました。
物理学者であったモークリーもその一人で、アメリカの降
水と太陽の回転の関係について、仮説を立てていました。し
かし、この仮説が本当かどうか調べるための計算は、あまり
にも膨大で当時の計算機では間に合わなかったのです。
モークリーはさまざまな計算機を調べ、自分でも試作し、
やがて真空管を使うと高速な計算機を作れると言うアイディ
アにたどりつきます。真空管計算機を作るために、電子工学
を学ぶ中で、モークリーは若き天才電子工学者、エッカート
と出会います。陸軍が開催した電子工学の特別講座で、エッ
カートは最年少の研究助手、モークリーは最年長の受講者で
した。二人は意気投合し、電子計算機の設計にかかります。
モークリーは真空管については素人でした。そして、エッカ
ートは怖いもの知らずの若者でした。
そんな二人だから、こんなたいそれたことを考えついたの
です。当時、身近なもので真空管を使った一番複雑な機器は
テレビで、30本の真空管を使っていました。
https://bit.ly/3Z3UpuL
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ENIAC/1946