2023年02月22日

●「国産ジェット機はなぜ失敗したか」(第5912号)

 2月7日のことです。三菱重工が国産ジェット旅客機の事業か
ら撤退を表明しています。6日の日本経済新聞は、この件につい
て、次のように報道しています。
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 三菱重工業が国産ジェット旅客機の事業から撤退する方針を固
めたことが6日、分かった。2020年秋に「三菱スペースジェ
ット(MSJ)」の開発を事実上凍結していたが、今後の事業成
長を見通せないと判断した。開発子会社の三菱航空機(愛知県豊
山町)も清算する方針。累計1兆円の開発費を投じながら納期を
6度延期するなど空回りが続いた。新たな産業育成に向けた官民
による国産旅客機の構想は頓挫した。7日にも発表する。
          ──2023年2月6日付、日本経済新聞
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 この事業が発足したのは2008年のことです。経済産業省が
全面支援し、トヨタ自動車も三菱重工業傘下の三菱航空機に出資
するなど、まさに「国策民営」のプロジェクトそのものだったと
いえます。スタート時の名称は「三菱リージョナルジェット(M
RJ)」。それが15年が経過して失敗とは・・・。国策民営プ
ロジェクトの失敗です。
 三菱航空機は、既にMRJについて、国内外の企業から267
機の注文を受けていたのです。これらの企業に対しては、事業撤
退ということになると、違約金の支払いが発生することは必至で
あると思われます。
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   ANAホールディング ・・・・・・・  25機
   日本航空(JAL) ・・・・・・・・  32機
   米スカイウェスト ・・・・・・・・・ 200機
   エアマンダレー(ミャンマー) ・・・  10機
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                      267機
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 なぜ、このプロジェクトは失敗したのでしょうか。
 それは、一にも二にも「型式証明」がとれなかったことに尽き
ます。型式証明とは、各国の航空当局の審査を通して、開発した
航空機が安全に空を飛べることを立証する耐空証明手続きのこと
です。具体的には、設計から製造工程、品質管理にいたるまで、
機体が安全かどうか、定められた計算方法や各種試験、検証方法
を通して立証するものです。
 「型式証明」が取れなかったのは、三菱航空機だけの責任では
なく、国交省航空局にも重大な責任があります。なぜなら、日本
の空を飛ぶには、国交省航空局の型式証明が必要ですし、販売先
の国の型式証明も必要になります。しかし、国による違いはある
ものの、審査内容はほとんど同じであり、相互に認証し合う協定
もあります。
 そこで、三菱航空機としては、国交省の航空局の審査をクリア
できることに標準を定め、これをクリアすれば、他国の審査にも
対応できるだろうと考えて、事業を進めていたのです。しかし、
これが大きな失敗だったのです。国交省の航空局自体がジェット
旅客機の審査の細部がわからなかったからです。
 国交省航空局にとって国産旅客機「YS−11」以来、半世紀
も航空機の型式証明審査をやったことがなく、まして航空機に独
特の設計をしようとすると、型式証明を取得するのが一層困難化
するのです。その点、米国のFAA(米連邦航空局)などは、ボ
ーイング機などで豊富な経験を積んでおり、知見豊富であるのに
対して、日本は大きく遅れているのです。
 事実上の国家プロジェクトでありながら、国交省航空局にも型
式証明取得のための努力不足があったとして、『日経ビジネス』
は次のように国交省航空局を批判しています。
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 機体や操縦システム、電気系統などの設計は、教科書通りの一
般論は存在する。「ある意味、経験則が生きるのが航空機の世界
だが、MRJは燃費性能が高いエンジンや革新的な空力設計、高
度な電気システムを採用した。それがさらに審査を難しくさせ、
必要あるかないか分からない証明作業を求められた。それに三菱
航空機は対応しきれなかった」(同社元関係者)。国家プロジェ
クトでありながら、国が最新の航空機の知見を取り入れ、安全性
を判定する能力を養ってこなかったのは三菱航空機にとって不幸
といえる。三菱重工の組織も、最後まで一枚岩になりきれなかっ
た。   ──『日経ビジネス』より/https://bit.ly/3XDAqSk
─────────────────────────────
 しかし、不可解なことがあります。三菱重工業はこのプロジェ
クトのこれまでの「MRJ/三菱リージョナルジェット」の名称
を途中で「スペースジェットM100」に改称すると発表してい
ることです。2019年6月25日のことです。
 リージョナルジェットというのは、座席数が50席から100
席程度の比較的短距離の地域間輸送航路に適した小型ジェット旅
客機のことであり、リージョナルには「地域の」という意味があ
ります。それをなぜ、名称を変更したのでしょうか。これほどの
巨大プロジェクトの名称変更はあり得ないことです。
 それは、三菱重工が、カナダの重工業メーカーであるボンバル
ディアとのあいだで、同社航空機部門のボンバルディア・エアロ
スペースが製造しているリージョナルジェット機「CRJ」事業
の譲渡契約を締結したからなのです。
 ボンバルディア・エアロスペースは、カナダの国営航空機メー
カーであるカナディアを前身として設立された企業です。同社は
カナディア・リージョナルジェットを「CRJ」として商品化し
1800機以上が生産されるベストセラー機となったのです。
 しかし、近年ではボンバルディアは、経営状態がが悪化し、航
空機事業の譲渡を進めていたのです。
           ──[メタバースと日本経済/028]

≪画像および関連情報≫
 ●三菱重工が国産初のジェット旅客機事業から撤退
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   三菱重工業は2月7日、国産初のジェット旅客機事業から
  撤退すると発表した。2020年にジェット旅客機「スペー
  スジェット(旧MRJ)」の開発を事実上凍結していたが、
  事業性が見込めないことから名実ともに幕を下ろす決断をし
  た。同社は発表で、開発中止の理由として、国が機体の安全
  性を証明する型式証明の取得には「さらに巨額の資金」を要
  するほか、海外パートナーの協力確保が困難なことや足元で
  のパイロット不足の影響で小型ジェット機の市場規模が不透
  明な点などを挙げた。
   同社はスペースジェットで培った知見を次期戦闘機の開発
  などに活用していくとしている。また、泉沢清次社長は会見
  で、今後の取り組みの一環として「将来の完成機も視野に入
  れた次世代技術の開発や、他社との共同検討も考えていきた
  い」とも語った。
   08年に開発が始まったスペースジェットは初号機の納入
  が6度にわたり延期され、政府からの支援を含め巨額の資金
  が投じられてきた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で航
  空需要が激減し、三菱重工は、20年10月にスペースジェ
  ット向けの開発費を大幅に縮小。主力機として位置付けてい
  「M90」の開発はいったん立ち止まることを明らかにして
  いた。             https://bit.ly/3IgCTMU
  ───────────────────────────
「三菱リージョナルジェット/MRJ」.jpg
「三菱リージョナルジェット/MRJ」
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | メタバースと日本経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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