2022年12月14日

●「パルマー・ラッキー氏とは何者か」(第5874号)

 パルマー・ラッキー氏──1992年生まれの30歳。米カリ
フォルニア州で生まれ育ち、10代の頃SFの世界に強い興味を
抱き、映画では「マトリックス」や「バーチャル・ウォーズ」、
日本のアニメでは、「ドット・ハック」や「攻殻機動隊」など、
バーチャルな世界をテーマにした映像作品を暇さえあればいつも
視聴している少年だったそうです。そして、彼は何とかその映像
の世界に入りたいという願望を抱くようになります。
 10代の頃からエレクトロニクス分野への関心が強く、とくに
コンピュータのハードウェアに関してはとくに造詣が深かったと
いいます。またハッカーとしての才能も高かったといわれます。
こういう人物を「ギーク」といいます。いわゆる「技術オタク」
という意味になります。
 パルマー氏が10代の頃は、第1次VRブームが終息し、かな
りの時間が経っているので、オンラインショップを利用すれば、
古くなったVR機器を格安で手に入れることが可能な状態であっ
たことは確かです。
 パルマー少年は、ゲーム機の修理や改造、アイフォーンの修理
などで稼いだお金で古いVR機器を次々と買い集め、それらを改
造し、やがて自分自身でVRのヘッドマウントディスプレイ(H
MD)の開発を始めるようになります。
 しかし、当時入手できるHMDは大きな難点があったのです。
この難点について、新清士氏は次のように説明しています。
─────────────────────────────
 当時のヘッドマウントディスプレイの出来は、お世辞にもいい
ものではなく、視野角は25〜45度であることは当たり前であ
り、いくら買いそろえても、満足するものには出会えませんでし
た。画質の低さと視野角の狭さは、当時のヘッドマウントディス
プレイに搭載されていた液晶パネルの技術が足りず、小さかった
ために起きていたことです。ヘッドトラッキングシステムを搭載
しているとはいえ、センサーの性能も低かったために、簡単にV
R酔いが起きてしまうという問題もありました。
               ──新清士著/NHK出版新書
  『VRビジネスの衝撃/「仮想世界」が巨大マネーを生む』
─────────────────────────────
 2010年11月にパルマー氏は、自宅のガレージでHMDの
試作機1号を作り上げます。その形状としては、まさに巨大なヘ
ルメットそのものとしかいえない代物です。しかし、5・6イン
チの液晶パネルを装備し、これまでのHMDの1・5倍の画面を
作り出すことに成功しています。これによって、90度の視野角
が可能になっています。これは、HMDとしては、常識を超える
ものであったのです。
 パルマー氏は、これをインターネットを通じたギークコミュニ
ティに技術内容を公開し、幅広く助言を求めています。それを見
た重要人物がいます。ジョン・カーマック氏です。カーマック氏
は、ゲーム業界の伝説的プログラマーであり、ギークの代名詞と
いえる存在です。このカーマック氏について、新清士氏は、次の
ように紹介しています。
─────────────────────────────
 1970年生まれのジョン・カーマックが、コンピュータグラ
フィックスの歴史に与えたインパクトは計り知れないものがあり
ます。(中略)
 20歳で共同創業したパソコン向けゲーム会社イドソフトウェ
アで、1993年の「ドゥーム」、1996年の「クウェーク」
などの大ヒット作品を次々に開発し、世界中で高く評価されてい
る天才プログラマーです。パルマーが熱中していたゲームをまさ
に作っていた人物です。銃で撃ち合って得点を競うタイプの一人
称シューティング「FPS」と呼ばれる分野は、カーマックが生
み出したといっていいほどで、彼のゲームに使われている3Dの
CGをリアルタイムに表示するためテクニックは、現在にまで続
くCG技術の基礎となっています。
 高速にCGを表示するカーマックが作り上げた独自のプログラ
ムによって、テレビモニターで実現できる最高の没入体験が生ま
れたのです。   ──新清士著/NHK出版新書の前掲書より
─────────────────────────────
 2012年4月のことです。カーマック氏は、パルマー氏がプ
ロトタイプのHMDを作っているとのギークコミュニティへの書
き込みを見て、パルマー氏に直接連絡を取り、HMDの試作機を
を送ってくれないかと申し入れをします。パルマー氏はこの申し
入れを喜んで受け入れ、2台のHMDの試作機のうち1台をカー
マック氏に送付します。
 カーマック氏が受け取った試作機は、拡大レンズが組み込まれ
視野角を90度に拡大することに成功していましたが、この状態
でゲームエンジンを作動させると、拡大レンズの屈折の関係から
画面の中心点からはずれるほど、映像がいびつに歪んで見えてし
まう欠陥があったのです。
 そこでカーマック氏は、自身がメインプログラマーとして参加
した2004発売の「ドゥーム3」のプログラムを改造し、レン
ズが生み出す屈折をあらかじめ織り込んで、コンピュータに計算
させることによって、画像の歪みを補正したのです。実際にそれ
を拡大レンズを通して見ると、歪んだ映像は補正され、鮮明な映
像として見えるようになったといいます。
 2012年6月のことです。米ロサンゼルスで開催されたゲー
ム見本市において、カーマック氏は、パルマー製作の「オキュラ
スリフト」を出展したのです。そしてカーマック氏自身が自分が
行っている研究開発の作品として、オキュラスリフトで動作する
「ドゥーム3」を観客に対して、デモンストレーションして見せ
ています。このカーマック氏によるデモは、イベントに参加した
ゲーム関係者から大反響を呼び、これがバルマー氏によるオキュ
ラスVR社立ち上げの契機になります。
           ──[ウェブ3/メタバース/050]

≪画像および関連情報≫
 ●「DOOM3」
  ───────────────────────────
   「DOOM」。たった4文字のこのタイトルに、さまざま
  な記憶をともなって深い感慨を抱ける人がいるとしたら、相
  当に年季の入ったPCゲーマーだろう。そして恐らく、私は
  その中の1人に数えられる人間である。
   初代「DOOM」がリリースされた10年前は、いまやほ
  とんど見られない「草の根ネット」の時代。インターネット
  は一般にほとんど普及しておらず、PCを使ってゲームをす
  ることもそれ自体が特別なことだった。対戦するならモデム
  直結(相手に直接ダイヤルする)しか手段が無く、ハマったと
  きの電話料金は今日のインターネットの利用料金などとはケ
  タが違う。それだけにPCゲームをプレイするのは単なる暇
  つぶしなんてものではなくて、もっと気合の入った、強い積
  極的な感情を伴ってゲームに向かうのがあたりまえだったよ
  うに思う。
   そんな中でプレイしてきたPCゲームはそれぞれに思い入
  れがあるものだが、その中でも「DOOM」はひときわ特別
  な存在だ。私的な感想で恐縮だが、これほど熱狂的にハマっ
  たゲームを私は他に挙げることができない。客観的にみても
  まず、「DOOM」はそれまでにまったく無かったゲーム的
  要素の塊であった。それまでのFPSがすべて平面のマップ
  で展開する迷路ゲームの延長だったところに、立体的で複雑
  戦略的な内容をもつ「DOOM」は衝撃的だった。
                  https://bit.ly/3UOvPv8
  ───────────────────────────
パルマー・ラッキー氏.jpg
パルマー・ラッキー氏
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブ/メタバース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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