2022年10月24日

●「ニコラ・テスラを知っているのか」(第5839号)

 私はここ20年ほど、エンジニアのたまごの若者たちに、IT
技術を教えています。そのとき、必ずいう言葉があります。「良
いエンジニアになるにはその技術の歴史をたどれ!」です。どん
な技術にもその発明者や考案者がおり、彼らの足跡をたどれば、
何を目的としてどのようにその技術を開発したかがわかります。
これはエンジニアにとって新しい技術の開発のヒントになること
が多いからです。
 ウェブ3も同じであると思います。現在のウェブ2をよく知ら
ずして、いきなりウェブ3に挑んでも、理解することは困難であ
ると思います。だから、ウェブ2の歴史をたどっているのです。
 ITそのものの話ではありませんが、ITに不可欠な電気の話
をします。電気の発明がトーマス・エジソンの手になることは誰
でも知っています。エジソンは、生涯におよそ1300もの発明
と技術革新を行った人物です。蓄音機、白熱電球、活動写真など
──すべてエジソンの発明です。
 エジソンは、J・Pモルガンから多額の出資を受け、エジソン
・ゼネラル・エレクトリック社(現在のGEの前身)を設立し、
発電から送電までを含む電力系統の事業化に成功しています。し
かし、そのとき、エジソンの電力会社には、クロアチア出身のセ
ルビア系米国人のきわめて優秀な電気エンジニアがいて、エジソ
ンに常日頃からアドバイスしていたことを知る人はきわめて少な
いと思います。そのエンジニアの名前はニコラ・テスラです。
 しかし、多くの場合、エジソンとテスラは技術の論争で意見が
合わず、不仲であったといわれます。そのため、テスラは、1年
ほどでエジソンの会社を退社し、新会社を立ち上げ、多くの発明
をしていますが、そのほとんどはエジソンの高名の陰に埋もれて
今や知る人ぞ知る存在になっています。エンジニアとしては、非
常に不幸な人生を送った人です。
 しかし、ニコラ・テスラの名前は、確実に現代に蘇ってきてい
ます。交流電気方式をはじめ、無線操縦、蛍光灯などといった現
在において使われている技術も多いからですが、何といってもあ
の電気自動車メーカーのオーナーで、宇宙ビジネスも手掛け、最
近では衛星を使った通信システム「スターリンク」の開発者とし
て名高いイーロン・マスク氏が、ニコラ・テスラという天才エン
ジニアの偉業を忘れないように、自社の自動車会社の社名を「テ
スラ・モーターズ」と名付けたからです。
 テスラは電気や電磁波を用いるテクノロジーの歴史を語るうえ
で重要な人物であり、磁束密度の単位「テスラ」にその名を残し
ており、LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最
も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれています。
 さて、エジソンとテスラが激しく意見を戦わせたという送電方
式について述べることにします。テスラは、学校の授業で、「グ
ラム発電機(発電機とモーターの機能を併せ持つ直流電流の発電
装置)」がモーター回転時に激しく火花を発しているのを見て、
そこにエネルギーの損失が起こっていることを見抜き、発電方法
の改善を考えはじめるのです。
 その研究の結果、世界ではじめての交流電流の発電装置を発明
します。テスラは、これをもとにして、交流電流による発電・送
電のアイデアを発展させていきました。その結果、テスラは電気
の送電方式は交流で行うべしという意見を述べ、直流を主張する
エジソンと激しくぶつかったのです。おそらくエジソンには、交
流というものが理解できなかったものと思われます。この論争の
結果、テスラはエジソンとたもとを分かつことになります。
 その結果は、どうなったでしょうか。エジソンは電気の発明家
として世界的に有名になり、世界中の小学校の教科書にそのこと
が載っている偉人です。これに比べると、テスラのことを知る人
はわめて少ないです。
 エジソンとテスラの電気の送電方式の論争の勝敗はどのように
着いたのでしょうか。電気には次の2つがあります。
─────────────────────────────
       交流 ・・・ Altermate Current
       直流 ・・・   Direct Current
─────────────────────────────
 家庭のAC電源から得られる電流は交流です。これは英語の読
みを見れば明らかです。いわゆるAC電源から得られる電気は交
流なのです。電気を送るとき、直流で送るべきと主張するエジソ
ンと交流を主張するテスラ、この勝負はテスラの勝利であり、エ
ジソンの完敗です。
 ちなみに、電池に豆電球をつないで光らせるときに流れる電気
は直流です。電気はつねに一方通行で変化しません。一方、交流
は、電気の流れや電圧が変化する特性があり、送電に適していま
す。したがって、送電には直流電流よりもコストがかからず、利
用者の扱いやすい電圧に変圧できるメリットがあります。
 上述の通り、電池から流れる電気は直流です。そのため、バッ
テリーを内蔵した製品の電気系統は直流で構成されています。自
動車やノートPC、スマホは直流です。そのため、AC電源を使
うときは、交流を直流に変換する装置が必要です。テレビやデス
クトップPCやステレオなどは、動作に安定した電圧が必須のた
め、交流を直流に変換して使っています。
 こういう事情からすると、エジソンを発明王、電気の発明者と
称えるのはよいとして、エジソンに反対し、あくまで交流での送
電方式を主張し、結局それが正しかったたニコラ・テスラのこと
も合わせて伝えるべきであります。
 今から考えると、エジソンは典型的な実験科学者、テスラは理
論科学者として研究手法が「水と油」であったことが示唆されま
す。テスラは、IEEEの最高勲章である「エジソン勲章」の受
章を1916年に打診され、一度は固辞するものの、1917年
に受賞しています。現代人は、この天才科学者、ニコラ・テスラ
のことをもっと詳しく知るべきであると思います。
           ──[ウェブ3/メタバース/015]

≪画像および関連情報≫
 ●テスラCEOも惚れた天才科学者の孤独死
  ───────────────────────────
   富も名声も得たはずのカリスマが、貧しく寂しい最期を迎
  える。それはなぜ?ビジネスと人生の失敗学を探求する本連
  載。第1回に取り上げるのは、天才科学者ニコラ・テスラ。
  電気自動車のテスラを率いるイーロン・マスクCEOをはじ
  め、スタートアップ界隈を中心に今も多くのファンを持つ。
  発明王エジソンを負かしたはずが、ホテルの一室で孤独死。
  どうして一体、こんなことに・・・。
   男が暮らしていたホテルのドアには、「ドント・ディスタ
  ーブ(起こさないでください)という札が三日間もかけられ
  たままだった。不審に思ったメイドが中に入ってみると、男
  はベッドで息絶えていた。検死の結果、死亡推定日時は19
  43年1月7日の午後10時半、死因は冠動脈血栓症とされ
  た。男は自宅を持たず、長年ホテル暮らしを続けてきた。か
  つてはウォルドーフ・アストリア・ホテルなどの名門ホテル
  を定宿とし、食事もホテルの高級レストランで取るという贅
  沢な暮らしをしていた。しかし、晩年は借金を抱えて支払い
  が滞り、宿泊費の安いホテルに、移らざるを得なくなってい
  た。男の日課は近くの公園にいるハトのエサやりだった。体
  調がすぐれないときには、ホテル従業員に「代行」を依頼す
  るほど溺愛していたという。生涯独身で極度の潔癖症、身の
  回りの世話を他人に委ねることを拒んでいた男にとって公園
  にいるハトが唯一心を開くことができる存在だったようだ。
  男の名前はニコラ・テスラ(Nikola Tesla)。
                 https://bit.ly/3shDNB3
  ───────────────────────────
天才科学者ニコラ・テスラ.jpg
天才科学者ニコラ・テスラ
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブ/メタバース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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