トワーク「ARPA(アーパ)ネット」といわれています。この
「ARPA」とは何でしょうか。これは、米国高等研究計画局の
ことです。現在は、これに「Defense」(国防) の「D」が加え
られ、「DARPA(ダーパ)」といわれています。
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◎ARPA/米国高等研究計画局
Advanced Research Projects Agency
◎DARPA/米国国防等研究計画局
Defense Advanced Research Projects Agency
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1983年になって、ARPAネットに現在のインターネット
のプロトコルであるTCP/IPが採用され、本当の意味でのイ
ンターネットの原型が出来上がったといえます。
それはさておき、初期のインターネットは、商用サービスがは
じまったといっても、非常に使い勝手がよくなく、素人ユーザー
が使いこなすにはハードルが高かったといえます。技術者、研究
者しか使いこなせないネットワークであったといえます。その使
いにくさを一挙に変えたのはWWW──ワールド・ワイド・ウェ
ブの登場からです。そのとき、何が起こったのかについて知って
おくべきことがあります。
ウェブの生みの親は、既に述べているように、ティム・バーナ
ーズ=リー博士(1955年6月8日〜)です。ティム氏は英国
のコンピュータ科学者であり、2012年のロンドン五輪の開会
式の第2部にも登場しています。英国はもちろん世界的にも有名
人ですが、日本人でティム氏のことを知る人は、ほとんどいない
と思います。開会式のそのときの状況についてご紹介します。ご
覧になった人も多いと思います。
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最終部では、イギリスの計算機技師でWWWの生みの親である
ティム・バーナーズ=リーが登場。世界初のウェブ・サーバと、
ウェブブラウザを開発したネキストキューブも登場させ、リーが
「これはみんなのために」というメッセージをタイプすると、観
客席のLED照明にも同様の文字が表示された。このメッセージ
は、世界を皆で共有するためのWWWと、競争相手とオリンピッ
クを観戦する人々の多様性に対する援用の両方の表明であった。
──ウィキペディア https://bit.ly/3VvFM21
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それではWWWは何なのでしょうか。
そもそもインターネットの前身であるARPAネットの目的は
巷間いわれている軍事目的ではなく、学術研究者の情報や研究の
データをスムーズに閲覧できるようにすることにあったのです。
しかし、ARPAネットでは、その目的が実現できておらず、そ
れを名実ともに実現したのは、スイスにある研究機関であるCE
RN(セルン)に研究者として籍を置いていたティム・バーナー
ズ=リー氏の発案によるWWWだったのです。
1991年8月6日のことです。ティム氏は、世界初のウェブ
サイトを公開しています。英国ではこの日を「ウェブの誕生日」
と呼んでいます。そのときの目玉になったのが、「ハイパーテキ
スト(Hyper Text)」という仕組みです。このハイパーという言
葉は「驚くべき」というような意味があり、ハイパーテキストは
「驚くべき文字」「驚くべき文書」ということになります。「驚
くべき文字」とは一体何でしょうか。
それは、今では当たり前になっていますが、文字をクリックす
ると、他のウェブページに移動する「リンク」の機能を意味して
おり、そういう機能を持っている文書のことを「ハイパーテキス
ト」といっています。
ティム氏は、研究に関係のある文献やデータをできる限り、一
つのコンピュータに集め、さらにそれらの文書同士をリンクさせ
る仕組みを考案し、実現させたのです。そういうウェブサイトを
構築するための約束事を「HTML」という言語にまとめ、誰で
もこの言語を使えば、容易にウェブサイトを作れるようにしてい
ます。HTMLは次の言葉の略です。
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◎HTML
HyperText Markup Language
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ティム氏はこのとき、「WWWクライアント」というブラウザ
を開発し、無料で公開しています。ブラウザがないと、ウェブサ
イトを見ることはできないからです。ティム氏はこのブラウザに
ついて、その作り方すべて公開しています。ティム氏のこの情報
の公開によって、激しい「ブラウザ戦争」が起きるのですが、こ
れについては改めて述べます。
なぜ、WWWという名称にしたかについては、紆余曲折があっ
たようです。当初は、「The Information Mine/情報鉱山」とい
う名前にしようと思ったそうです。これなら「TIM/ティム」
となるからです。しかし、ティム氏は、それでは自分本位過ぎる
として撤回し、WWWにしたそうです。
整理すると、ティム氏の開発したのは、次の3つの技術という
ことになります。
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@ URL ・・ ウェブページの所在地指定記号
AHTTP ・・ 通信のさいの転送のプロトコル
BHTML ・・ ウェブページ作成のための言語
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この仕組みは、現在われわれがウェブサイトを作成したり、多
くの人がアクセスしてウェブサイトを見ることができる仕組みの
すべてです。しかし、これほどの発明をした偉人を多くの日本人
は、なぜ名前すら知らないのでしょうか。
──[ウェブ3/メタバース/013]
≪画像および関連情報≫
●WWWの誕生から30年、インターネットはどこに
向かうのか/ティム・バーナーズ・リー氏
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わたしがワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の基になる
情報管理システムの提案書を書き上げた1989年3月から
ちょうど30年が経った。現在、世界の半分はインターネッ
トに接続されている。この機会にここまでたどり着いたこと
を祝うと同時に、達成できていないことは何かを考えてみる
べきだろう。
ウェブは公共の広場、図書館、医者のいる場所、小売店、
学校、デザイン事務所、企業のオフィス、映画館、銀行など
実にさまざまな役割を果たすようになっている。新しいウェ
ブサイトが開設され、これまでになかったサーヴィスが始ま
るたびに、ネットにつながっている人々とそうでない人々の
格差は拡大していく。このため、万人がウェブにアクセスで
きるような環境を整えることが緊急の課題となる。
インターネットは、これまで周縁部に追いやられていたグ
ループに発言の場を提供することで新たな機会を創出し、生
活の利便性の向上に寄与した。その一方で、犯罪者にもチャ
ンスを与えた。ウェブは憎しみを拡散する手段となり、あら
ゆる種類の違法行為を容易にしている。ネットが悪用される
事例が頻繁に報じられるなか、これに恐怖を抱き、ウェブは
本当に世の中をよい方向に向かわせることができるのか疑問
に感じる人がいることは理解できる。ただ、過去30年で、
ウェブがどれだけ変わったかを思えば、この先の30年でこ
れと同じだけプラスの変革を遂げることができると期待しな
いのは、いささか想像力に欠けるし、なによりも戦う前から
敗 北を認めるようなものだ。https://bit.ly/3yM7pdy
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WWWの開発者/ティム・バーナーズ=リー氏