2022年04月13日

●「主流派経済学が貨幣論に弱い理由」(第5710号)

 主流派経済学における貨幣の考え方は、商品貨幣論といわれ、
この考え方をさかのぼると、物々交換に行き着くのです。貨幣は
商品との交換を前提としたツールであり、貨幣それ自体の使用価
値はありません。
 16世紀から18世紀の話ですが、ヨーロッパ地域では「重商
主義」というものが支配的な考え方だったのです。重商主義とは
国家の輸出を最大化し、輸入を最小化するように設計された国家
的な経済政策です。重商主義では、富を代表するものは金銀また
は「財宝」です。これは金銀貨幣を最大に重視し、これらの増大
を重視する経済政策のことです。
 これを獲得する唯一の手段は海外貿易のみ。したがって、富の
獲得される場所は海外市場ということになります。国家は自国の
生産物を海外に輸出し、海外からの輸入をできるだけ抑制し、そ
の貿易差額を金・銀で受け取って貯め込むことによって目的は達
成できると考えたのです。
 アダム・スミスはこれに異を唱えます。富は特権階級(金銀を
重視する階級)ではなく、諸階層の人々にとっての「生活の必需
品と便益品」を増すことであると説いたのです。つまり、自国の
労働によって、生産力が高くなれば、それだけ富の量は増大する
──スミスはその著『国富論』において、重商主義の批判から自
由放任の思想を展開しています。
 そのさい、アダム・スミスは、『国富論』において、貨幣は商
品交換用のツールであるとする商品貨幣論を唱えています。これ
が商品貨幣論の元祖です。これについて、アダム・スミスは、重
商主義を批判するあまり、貨幣に関しては理論の隅に追いやって
しまったと批判され、これをアダムとイブの故事に因んで、「ア
ダムの罪」と呼ぶ学者もいます。
 この「アダムの罪」に関して、三橋貴明氏は、自著で次のよう
に述べています。
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 アダム・スミスにしても、貨幣について物々交換の不便性を解
消するために生まれ、「貨幣がすべての文明国で普遍的な商業用
具となったのはこのようにしてであり、この用具の媒介によって
あらゆる種類の品物は売買され、相互に交換されている」と、お
カネを「用具」呼ばわりしているのです。用具ということは、物
理的な形を持つという話になります。
 おカネは「交換用の商業用具である」と説明したアダム・スミ
スの考え方が、最終的には金本位制や金属主義に繋がっていきま
す。これが、いわゆる「アダムの罪」です。
                  https://bit.ly/3E3rPAk
─────────────────────────────
 この「アダムの罪」を引き継いで「ドグマ」にまで仕立て上げ
たのが、フランスの古典派経済学者であるジャン・バティスト・
セイです。「セイの法則」といわれるものがあります。
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       供給はそれ自体の需要を生み出す
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 ある商品を生産して市場に供給すると、それに見合う需要が生
じるというものです。この考え方に立つと、過剰生産はありえな
いということになります。
 セイは、あらゆる経済活動は物々交換にすぎず、需要と供給が
一致しないときは価格調整が行われ、仮に従来より供給が増えて
も価格が下がるので、ほとんどの場合、需要が増え、需要と供給
は一致すると考えたのです。したがって、国の購買力(国富)を
増やすには、供給を増やせばよいと主張したのです。
 つまり、こういうことです。ある商品を市場に供給しても、そ
れに見合う需要が生じないことがあります。そういう場合、その
商品の価格が下がるので、結果として供給と需要はバランスする
と考えるわけです。セイの法則は、「近代経済学の父」といわれ
るリカードが採用したことから、マルクス、ワルラス、ヒックス
などの多くの経済学者によって継承されたのですが、ケインズに
よって否定され、修正されています。
 この間のやり取りについて、中野剛志氏と記者の議論をご紹介
します。セイの法則はドクマと化していたのです。
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中野:現実の世界では、供給は常に需要を生み出すなどというこ
 とはあり得ません。モノを作って売り出したら、必ず誰かが買
 うなどということがあるはずがない。「セイの法則」など、現
 実には存在しないんです。ただ、物々交換の世界であれば、た
 しかにありうるかもしれない。物々交換経済では、何らかの財
 を購入するときには、必ず別の誰かが供給した何らかの財と交
 換されるからです。物々交換では、供給と需要は表裏一体の関
 係にあるわけです。
――なるほど・・・。
中野:ただし、そのような物々交換経済を想定すると、私たちが
 日々使っているリアルな貨幣は“蒸発”してしまいます。実際
 セイは、貨幣は、単に生産物と生産物の交換における媒介物に
 すぎないとみなしていたんです。
――しかし、貨幣は貯蓄のためにも使われますよね?
中野:そうそう、セイの貨幣観はおかしいんです。結局のところ
 「セイの法則」は「物々交換幻想」に導かれた仮説にすぎない
 ということです。ところが、生産物が常に生産物に交換され、
 供給が常にその需要を生み出すという「セイの法則」が成立す
 るのであれば、需要と供給は常に均衡するので、過剰生産やそ
 れによる不況や失業といった事態は、たしかに生じなくなりま
 す。そして、そこから、「自由市場に委ねれば需給は常に均衡
 する」という市場原理が導き出されるわけです。
                  https://bit.ly/3uuOnGK
─────────────────────────────
              ──[新しい資本主義/066]

≪画像および関連情報≫
 ●セイの法則と経済学の間違い
  ───────────────────────────
   セイの法則とは、ジャン=バティスト・セイが考えた「供
  給は自ら需要を作り出す」という考えです。分かり易く言う
  と、「何かモノを作れば、必ず欲しがる人がいる」というこ
  とです。この考えは、生産物が他の生産物と交換される、物
  々交換の世界では成立します。しかし、人類の歴史上物々交
  換が行われていた歴史は存在しません。あえて、物々交換が
  行われていた時代は、金貨が使われていたヨーロッパです。
  これについては、物々交換で詳しく説明しています。そして
  セイの法則が出来たのもまさにこの時代です。人類が、お金
  の認識を間違えた頃に生まれた法則など、正しいはずがない
  のです。
   セイの法則は主流派経済学の理論モデルとなっています。
  セイの法則については、「供給は自ら需要を作り出す」とい
  う考えが元になっているため、デフレを一切考慮していませ
  ん。なぜなら、生産に対して需要が必ず生まれるのであれば
  生産に対して需要が不足するということは起きません。つま
  り、デフレは起きないということになります。つまり、主流
  派経済学はインフレ対策の学問であり、デフレでは全く使え
  ないのです。しかし、世界恐慌を始めとするデフレ不景気は
  実際に世界で起きます。日本なんかは、ここ20年間ずっと
  デフレです。その日本では、20年間ずっと主流派経済学者
  の言うことを聞いてきました。つまり、日本はデフレの状況
  で20年間ずっとインフレ対策を行ってきたのです。
                  https://bit.ly/37Dtsbs
  ───────────────────────────
ジャン・パティスト・セイ.jpg
ジャン・パティスト・セイ


posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新しい資本主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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