2022年03月29日

●「個人の道徳心を経済に持ち込むな」(第5699号)

 国債を大量に発行すると、その利払いや償還のことが心配にな
ります。国債は政府の借金であるので、当然利子を支払わなけれ
ばならないし、返済期限が到来したら、元本を返済しなければな
らなくなるからです。当たり前の話です。
 この場合、国債を大量に保有している日銀は、当然利子が収入
として入ってきます。この利子収入を日銀はどうしているのかと
いうと、国庫納付金として政府に収めているのです。これは政府
にとって「税外収入」になります。
 また、政府の金融資産は、政府系企業への出資金や貸付金が多
いので、そこからも当然利子収入があります。この利子収入と日
銀からの税外収入を合わせると、国債の利払いは賄えてしまうの
です。したがって、利払いについては心配はないのです。
 それでは、元本の償還はどうするのでしょうか。
 国債の元本償還は、民間金融機関に新たに国債を発行して買っ
てもらって支払います。この国債を「借換債」といい、普通の国
債として販売されます。断っておきますが、「建設国債」「赤字
国債」「借換債」と名前は異なりますが、国債は国債であって、
購入する金融機関は単に国債として購入します。建築国債を購入
したとか、借換債を購入したとかの区別はないのです。
 主流派経済学者は、この借換債を「借金を借金で返す」と批判
します。しかし、これは、家計の発想と同じです。既にEJでご
紹介した借換債に関連する主流派経済学者の小林慶一郎氏と中野
剛志氏の次の討論を再現します。
─────────────────────────────
小林:私は矢野論文の背景にあるのは、「将来世代にツケを残し
 てはいけない」ということだと思うんです。国債は将来世代か
 らの前借りで、いずれその金は返さなきゃいけない。これまで
 のように日銀が買い支えられるうちはいいけど、もし将来にお
 いて例えば制御できないようなインフレが起きたら、将来世代
 への大きな負担を残すことになる。それは避けたいという矢野
 さんの思いは否定すべきではないでしょう。
中野:違います。国債は将来の増税で償還しなきゃいけないと思
 い込んでいるから「将来世代へのツケ」だと誤解するのです。
 国債の償還は、増税ではなく借換債の発行によって行うべきで
 す。それから、私は制御できないインフレは基本的に「起きな
 い」と考えています。
小林:国債の償還を借換債で出来るなら、国家運営に税は不要と
 いう話になり、まったく同意できません。これは後ほど議論し
 ましょう。            https://bit.ly/3qEdDbv
─────────────────────────────
 国の財政運営を家計と例えると、借金を借金で返すのはまさに
自転車操業であって、やってはいけないことです。しかし、個人
ではなく、企業の場合は、借り換えは、銀行が応じてくれる限り
自転車操業ではないのです。銀行としても、すべて返金されてし
まうよりも、返済可能であれば、借り換えしてくれる方が有り難
いはずです。
 まして国家であれば、企業よりもはるかに信用できるので、ロ
ーリスクローリターンの国債であっても、金融機関としてはつね
に保有しておきたい債権なのです。
 これに関して、高橋洋一氏は、借換債に関して次のように述べ
ています。
─────────────────────────────
 個人レベルで考えれば「借金を重ねるのは悪いこと」となるが
国レベルでは、借金を返すために借金をするのは当然だし、何も
悪いことはないのだ。
 民間金融機関は、国債の償還を受けたら、そのお金でまた新し
く国債を買う。政府は、償還すると同時に新発国債を買ってもら
えるのだから、借金の返済で首が回らない、という事態には陥ら
ない。このように、国債の償還と新規国債の発行は、政府と数多
の民間金融機関の間で、つねにグルグルと巡っている。
 ちなみに、国債入札できる民間金融機関は、銀行から信用金庫
保険会社、証券会社まで240社あまりにのぼる。国債はつねに
引く手数多の状態で、240あまりの民間金融機関が、よってた
かって「売ってくれ」と入札していると考えていい。
                 ──高橋洋一著/あさ出版
      『99の日本人がわかっていない新・国債の真実』
─────────────────────────────
 「財政運営を家計に例える」──これは、何度いわれても、ど
うしてもそのように考える人は少なくないものです。高橋洋一氏
は、大学でマクロ経済を教えるとき、それを「合成の誤謬」とい
う言葉で教えているそうです。「合成の誤謬」とは、個人のレベ
ルでは、正しいことでも、同じことを大勢の人がやったら困ると
いうことです。
 例えば、「倹約」は、個人の生活では正しいことですが、国民
全体が倹約をしだしたら、とんでもないことになります。みんな
が、一斉に節約をし、貯蓄に励んだら、どうなるでしょうか。
 当然、消費が大きく落ち込み、企業の業績が悪化し、給料はダ
ウンし、下手すると、多くの失業者が出ることになる。これが合
成の誤謬です。
 ポール・クルーグマンやクリストファ・シムズなどの著名なマ
クロ経済学者は、「経済政策は無責任にやるものだ」といってい
るそうです。これは「個人レベルの道徳心を経済に持ち込むな」
ということをいっているのです。これは、「合成の誤謬」のこと
を意味します。
 主流経済学者は、できるかぎり国債の発行を抑制すべきである
と主張します。しかし、それをすると、政府が使えるお金が少な
くなり、それが政府需要を圧縮し、公共事業が減少することによ
って、雇用が減少します。個人レベルでは当たり前のことを国が
適用すると、大きな間違いが起きるのです。
              ──[新しい資本主義/056]

≪画像および関連情報≫
 ●「合成の誤謬」と「囚人のジレンマ」の違い
  ───────────────────────────
   合成の誤謬は、「個人にとっては良い行為でも、全体的に
  とっては悪い行為と言えるもののこと」。人は自分にとって
  利益のある行動をしがちですが、それによって全体には不利
  益がもたらされることを言います。
   囚人のジレンマは「理論上では他者と協力した方が明らか
  に利益が大きくなるケースであっても、現実問題として協力
  しない方が得策であるときに、人は自己利益に走るという状
  況のこと」。人は全体よりも個人の利益に走りがちであると
  いう状況を示した言葉です。
   合成の誤謬とは、個人にとっては良い行為でも、全体的に
  とっては悪い行為と言えるもののことです。個人の利益と全
  体の利益が一致しないという意味になり、個人の利益に走る
  ことで、全体の利益が失われるような状況を指しています。
  こういったケースというのは、至るところで見ることができ
  日常生活の中に大いに潜んでいるのです。
   囚人のジレンマとは、理論上では他者と協力した方が明ら
  かに利益が大きくなるケースであっても、現実問題として協
  力しない方が得策であるときに、人は自己利益に走るという
  状況のことです。
   全員が協力すれば最大の利益になるとしても、1人でも裏
  切れば、その裏切った人間だけが最大の得をすると思われる
  ケースでは、誰か1人は最低でも裏切るだろうと考え、各自
  が自己利益に走り、結果的に多くが協力しない状況を迎えま
  す。このような光景は現実で普通にありえるのです。
                  https://bit.ly/36PwzwA
  ───────────────────────────
小林慶一郎氏VS中野剛志氏.jpg
小林慶一郎氏VS中野剛志氏
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 新しい資本主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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