上げられます。ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校教授
(経済学/公共政策)です。2016年及び2020年の米大統
領選(民主党予備選)において、バーニー・サンダーズ上院議員
の政策顧問を務めています。
ブルームバークの「2019年の50人」、プロスペクト誌の
「2020年世界のThinkerトップ50」に選出されています。
ステファニー・ケルトン教授の著書としては、2020年刊行
の次の本があります。ニューヨーク・タイムズのベストセラーに
なった本です。
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ステファニー・ケルトン著/土方奈美訳
『財政赤字の神話/MMTと国民のための経済の誕生』
早川書房刊
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この本のなかに「モズラー家のエピソード」という話が紹介さ
れ、主権通貨を発行する国の資金調達に関する基本原則や貨幣と
いうものの本質を説いています。EJでも一度取り上げたことが
ありますが、この話はあまり現実的でないし、少しわかりにくい
ところがあります。
これに対して中野剛志氏は、イングランド銀行の季刊誌(20
14年春号)の『現代の経済における貨幣創造』をベースに解説
しているので、それをフォローしてEJ風に説明します。
主流派経済学が説く貨幣の説明は「商品貨幣論」ですが、MM
Tは「信用貨幣論」に立脚しています。「信用貨幣論」とは何で
しょうか。
設定は、「ロビンソン・クルーソーとフライデーしかいない孤
島」になっています。その孤島において、ロビンソン・クルーソ
ーは、春に野苺を収穫してフライデーに渡します。その代わりに
フライデーは、秋に獲った魚をクルーソーに渡すことを約束する
のです。その意味することは次の通りです。
春の時点で、クルーソーがフライデーに対して「信用」を与え
るとともに、フライデーにはクルーソーに対して獲れた魚を渡す
という「負債」が生じています。そして、秋になって、フライデ
ーがクルーソーに魚を渡した時点で、フライデーの「負債」は消
滅するわけです。
しかし、口約束では証拠が残らず、後でもめることになるので
フライデーがクルーソーに対して、「秋に魚を渡す」という「借
用証書」を渡すのです。この「借用証書」が貨幣になるというの
です。
これに対する経済学が素人の記者と中野剛志氏の対話が次のよ
うに展開されます。
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――たしかに、クルーソーは、秋になってその「借用証書」をフ
ライデーに渡せば、魚と交換できますから“貨幣っぽい”よう
な気はしますが、あくまでもクルーソーとフライデーの間での
取り決めというだけではないですか?
中野:では、話を少しアレンジしましょう。
この島には、クルーソーとフライデー以外に火打ち石をもって
いるサンデーという第三者がいるとします。そして、サンデー
が「フライデーは約束を守るヤツだ」と思っているとともに、
「魚が欲しい」と思っていれば、クルーソーはフライデーから
もらった「秋に魚を渡す」という「借用証書」をサンデーに渡
して、火打ち石を手に入れることができるでしょう。
さらに、この三人に加えて、干し肉を持っているマンデーと
いう人もいたとします。そして、マンデーも「フライデーは約
束を守るヤツだ」「魚が欲しい」と思っているとすれば、今度
は、サンデーが例の「借用証書」をマンデーに渡して干し肉を
手に入れることができるでしょう。その結果、フライデーは、
「秋に魚を渡す」という債務を、マンデーに対して負ったこと
になります。そして、秋になってマンデーがフライデーから魚
を手に入れれば、フライデーの「借用証書(負債)」は破棄さ
れるわけです。 https://bit.ly/3BA4vZA
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ここで重要なことが2つあります。
第1は、クルーソーとフライデーの取引が、春と秋という異な
る時点で行われるということです。もし、同時に行われるのであ
れば、それはクルーソーの野苺とフライデーの魚による物々交換
ということになります。この場合は、取引が一瞬で成立するので
「信用」や「負債」は発生しないのです。
取引が異なる時点で行われるからこそ、そこに「信用」と「負
債」が生まれ、フライデーが負った「負債=借用証書」が貨幣と
して機能しているのです。
第2は、「借用証書」というものは必ずデフォルト(債務不履
行)リスクがあり、よほど強い信用性がないと、流通しないとい
うことです。そこには、つねに「不確実性」が存在していること
になります。
ここにわからないことがひとつあります。デフォルトの可能性
がほとんどなく、すべての人々から信頼される「特殊な負債」の
みが貨幣として受け入れられ、流通するようになるのかというこ
とです。これでは通貨にはならないと思います。
ロビンソン・クルーソーの例では、一定の時期が過ぎ、借用証
書の約束のものを相手に渡した時点で負債は消えますが、その約
束のものとは何であるかです。
これに対して中野剛志氏は「政府は国民に対して税を課して、
法律で定めた通貨を『納税手段』として定める」というのです。
つまり、国民にとって法定通貨は「納税義務の解消手段」として
の価値を持つことになります。これについては、24日のEJで
さらに詳しく説明することにします。
──[新しい資本主義/第033]
≪画像および関連情報≫
●実録!「連帯保証人」になってわかったMMTの本質
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今日の貨幣論であるMMTは、この3つの貨幣論のいずれ
にも不備があるとする。商品貨幣論は、もともと貨幣とは、
物々交換の不便を補うものとして発展し、保存が可能で、持
ち運びが便利な、交換の万能性を有した価値、つまりは万能
商品のようなものだというものだが、物々交換による経済な
ど歴史上存在していないという事実によって覆される。
2番目の国定貨幣論は、国家は貨幣を作り出すことは可能
だが、国家権力が及ばないところでも流通する地域マネーを
うまく説明できない。
3番目の信用貨幣論は、前2者に比べればはるかに現代貨
幣の本質に近づいているものだが、最初に貨幣への信頼が生
まれたのは何によってなのかという問いにうまく答えること
ができない。
MMTは、上記のうち、国定貨幣論と信用貨幣論を架橋し
てみせたのである。MMTが主張するのは、貨幣とは社会的
技術であり、貨幣とは国家が税の受領という行為によって信
頼を供与した負債であるという、国定信用貨幣論である。
「貨幣とは負債」という当たり前のことを理解するために
は、現代貨幣というものが「通貨と預金」であるという事実
に注目する必要がある。 https://bit.ly/3I3DcJn
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●図の出典:https://bit.ly/3Bz0Zi0
貨幣とは「借用証書」である