があります。通常であれば、銀行は融資のさいに不動産などの担
保を取ります。担保にもよりますが、融資希望額の60〜70%
をめどに貸し付けを行います。したがって、もし、貸し倒れが起
こっても、担保を回収することで損失は出さずに済みます。
しかし、日本では、バブル景気時代に高騰した不動産を担保に
甘い融資が行われたのです。通常は多くても担保価値の70%ぐ
らいしか融資をしないのですが、今後の地価の高騰を見越して、
120%を融資した例や、融資を優先するあまり、抵当権の順位
が下位でも、担保を設定して貸し付けるなどの行為も、当時平然
と行われたのです。めちゃくちゃです。
しかし、そのバブルが崩壊したのです。銀行は、融資先が事業
に失敗して融資の回収ができず、さらに、担保の不動産の価値が
暴落して融資額を下回り、下位の抵当権で担保を設定した金融機
関は、融資回収も担保も取れないという状況が相次いだのです。
こうして回収が不可能になった債権(不良債権)によって、日本
の銀行各行は、深刻な経営危機に陥ったというわけです。
いくつかの銀行では、これらの事態に対して、若干の小細工を
行っています。債権を審査する基準を甘くして、本来不良債権と
するべき物件を正常債権として区分したり、所定の返済に必要な
資金を追い貸しして、不良債権ではなく正常債権とみなす操作を
行うなど、不良債権総額を低く見せて、経営状態を取り繕ろう行
為をやったのてです。
これらバブル崩壊後の不景気、信用収縮(クレジット・クラン
チ)のなかで、これらの銀行の行為や疑いが広く報道され、金融
不安を一段と助長したのです。政府は当初、護送船団方式を取り
「金融機関は潰さない」と表明していたのです。
しかし、1990年3月27日、大蔵省は金融機関に対して総
量規制を行ったのです。それは、1991年12月に解除される
まで約1年9カ月近く続きます。総量規制とは何でしょうか。
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総量規制とは、不動産向け融資の伸び率を貸し出し全体の伸び
率を下回るよう求めたものである。行き過ぎた不動産価格の高騰
を沈静化させることを目的とする政策である。
https://bit.ly/3rspR6D
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いわゆる「バブル潰し」です。行き過ぎた不動産価格の高騰を
早期に沈静化させることを目的とした政策です。この政策は、大
蔵省(現財務省)銀行局長・土田正顕名で出されていますが、当
時の大蔵大臣(財務大臣)は、橋本龍太郎氏だったのです。ちな
みに当時の首相は、この1月9日に亡くなった海部俊樹氏です。
しかし、この政策は、予想をはるかに超えた急激な景気後退の
打撃を日本経済にもたらすことになります。いわゆるバブル崩壊
の一因とされるほどの影響をもたらしてしまい、さらにはその後
の「失われた30年」を日本に招来する要因の一つとなったこと
から、結果的にこの政策は大失敗だったといえます。
橋本龍太郎氏は、1996年1月に念願の首相になり、村山内
閣で内定していた消費税の税率を3%から5%に引き上げます。
しかし、次の参院選で大敗し、辞任を余儀なくされています。橋
本氏自身は、いかに前内閣で内定していたこととはいえ、デフレ
不況期での増税は躊躇ったものの、大蔵省高官の進言を信じて増
税を実施したのです。橋本氏は、亡くなる間際まで、官僚のいい
なりになった自分を悔いていたといわれます。
クリントン米政権は、このような状態に陥った日本の金融機関
の処理に対して、構造的改革の必要性を説いたのです。具体的に
は「市場から退場すべき企業(金融機関)は退場させる」ことを
基本方針とし、債権の審査を厳しくして不良債権の隠蔽を認めず
また不良債権に対する貸倒引当金の積み増しを要求したのです。
まず、兵庫銀行が銀行として戦後初めて倒産し、更には北海道
拓殖銀行のような都市銀行や、日本長期信用銀行・日本債券信用
銀行のような長期信用銀行まで破綻する事態になったのです。破
綻を逃れた他の大手銀行も、国から大規模な公的資金注入を受け
て、その場をしのぐという有様に陥ります。
このように、銀行の体力が奪われたことは、バブル崩壊後の日
本経済を再建するうえで大きな足枷になったといえます。銀行は
融資に対して過度に慎重になり、中小企業に対する貸し渋りや貸
し剥がしといった現象も目立つようになります。このため不景気
に加えて、資金調達が困難になったために、新規事業の立ち上げ
が不可能になったばかりでなく、融資を受けられないことによる
倒産、さらには倒産が倒産を呼ぶ連鎖倒産、失業率上昇、中高年
の自殺者も急増し、深刻な社会問題になったのです。
しかし、ここまでは、橋本政権の次の小渕政権、森政権での話
であり、竹中平蔵氏は森政権でIT担当大臣としては既に活躍し
ていたものの、この問題のメイン舞台である不良債権の処理に登
場するのは、小泉政権になってからのことです。
2002年1月17日、ブッシュ(子)米大統領は、何となく
フィーリングの合う小泉首相に対して、極秘扱いの次のような内
容の「親書」を届けています。
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これは「外圧」でなく、友人としての助言と、受け取ってほし
い。日本政府が銀行検査を強化するなどの措置をとってきたこと
は喜ばしい。しかしながら、銀行の不良債権や企業の不稼動資産
が、早期に市場に売却されていないことに、強い懸念を感じる。
日本が不良債権を処分し、(塩漬けになっている)資金や企業の
不稼動資産を解き放ち、最も効果的に資産を活用できる人たちの
手にゆだねて、機能を回復させることが必要だと信じている。
──ブッシュ米大統領
2002年2月28日付、朝日新聞
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──[新しい資本主義/第011]
≪画像および関連情報≫
●不良債権処理・先送りからの訣別/鶴光太郎上席研究員
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「聖域なき構造改革」を標榜する小泉内閣にとって不良債
権問題の解決は文字通り待ったなしの状況である。先の緊急
経済対策で決められた不良債権のバランス・シートからの切
り離し(2〜3年以内の直接償却)が確実に実行されれば、
特に、主要行にとって不良債権問題の抜本的な解決に向けて
の大きな前進になることは間違いない。しかし、こうした政
策の成否は、まさに、過去10年近く続けられてきた不良債
権問題先送りのメカニズムとその経済への影響の正しい理解
によるといっても過言ではなく、それなくしては、不良債権
問題が、もう一度振り出しに戻ってしまう危険性も否定でき
ない。90年代の邦銀の貸出行動を説明する重要なキー・ワ
ードは「ソフトな予算制約」である。これは元来、旧共産圏
諸国において、非効率な国営企業にお金がルーズに注がれる
現象を示した用語であるが、市場経済に移行してからも、銀
行・企業間関係に広く見られる現象として注目されてきた。
基本的なメカニズムは、プロジェクトが不良化した企業に対
しては既に融資(及びモニタリング費用負担)が行われてい
るので、銀行は融資をストップして損切りするよりも、追加
的に融資して少しでも利益が出ると考えれば、これまでの融
資全体では赤字となったとしても再融資して損を少しでも取
り戻した方が有利になるというものである。つまり、「ソフ
トな予算制約」のメカニズムは「追貸し」の理論的な根拠を
与えるのである。 https://bit.ly/3qCT7Iq
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橋本龍太郎元総理/小泉純一郎元総理