と聞くと、知っている人はほぼゼロ。写真を見せても首をかしげ
るばかり。もっとも竹中氏は、慶應義塾大学名誉教授であるので
慶応大学生に聞けば知っているだろうが、少なくとも若者からは
遠い存在の人であるようです。
しかし、2000年前後にビジネスパーソンをしていた人、と
くに銀行や保険会社や証券会社などの金融機関に務めていた人で
竹中氏の名前を知らない人はいないはずです。
「毀誉褒貶が相半ばする人物」という言葉があります。「相半
ばする」が「ちょうど半分」といった意味ですので、「いい評判
とわるい評判が半分半分でウワサされる人であると、よく言う人
もいれば、悪く言う人もいる、そんな人物だ」くらいの意味にな
ります。私は、竹中平蔵氏をそういう人物であるとみています。
しかし、一部の著名人の竹中平蔵氏に対する評価はきわめて厳
しく、そのいくつかをひろってみます。
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・落語家の三遊亭鬼丸からは、「政府にすり寄り、恥知らずな我
田引水を続け、私腹を肥やす傍ら納税(住民税)の義務を怠る
いわば国賊です」と、厳しく批判されている。
・れいわ新選組の山本太郎は、名古屋市の中心部で「小泉・竹中
ろくでもない」と批判する演説を行った。。また普段から竹中
には厳しい批判を行なっている。
・漫画家の小林よしのりは自身の著書、『日本を貶めた10人の
売国政治家』の中で竹中をワースト10の中に挙げ、「国民の
最低限の願いすら打ち砕く」と、厳しく批判している。
・ハフポスト記者であるロッシェル・カップは竹中の「正社員を
なくすべき」という意見を称賛し、「日本独特の正社員システ
ムはマイナス面が多く、日本企業の人事管理を歪ませている」
と述べた。 https://bit.ly/3nAI5Sa
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クリントン米大統領は、冷戦の終結によって、ソ連という重し
のなくなった米国の次の戦略として、当時世界第2位の経済大国
である日本を標的にして、日本に対してさまざまな経済戦略を仕
掛けてきています。
そのため、日本をパッシングして中国を持ち上げるなどの戦略
と並行して、ロイド・ベンツェン財務長官に命じて、1985年
9月22日の「プラザ合意」を締結しています。この日、米国、
日本、西独、英国、仏国の通貨当局代表が、ニューヨークのプラ
ザ・ホテルに集結し、ドル高是正のための為替市場への協調介入
強化で合意したのです。
1985年の円・ドルレートは、「1ドル=238・54円」
でしたが、1986年には「168・52円」、1987年には
「144・64円」、1988年には「128・5円」というよ
に、短期間のうちにドルは急激に切り下げられ、日本には猛烈な
円高不況が襲ってきたのです。
さらに米国政府は、日本政府に対して、減税や銀行への公的資
金の投入、スーパー301条に基づいた市場開放を高圧的に内政
干渉にも近い形で要求してきています。さらに、日米包括経済協
議の開催と、アメリカ合衆国連邦政府による日本政府への「日米
規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書(年次改
革要望書)」を送りつけ、その実行を迫ったのも、クリントン政
権からのことです。
折しも日本経済は、2000年10月に景気の山を越え、景気
後退局面に突入していたのです。その後、2001年を通じて、
生産は大幅に減少するとともに、失業率も既往最高水準を更新し
景気は悪化を続けていたのです。
2001年以降、クリントン政権から政権を引き継いだのは、
ブッシュ(子)政権です。民主党の大統領から共和党の大統領に
なったので、日本としては期待したのですが、ブッシュ(子)政
権の本質は、脱冷戦以降の国際秩序を打ち立てようとし、基本的
には、一国主義、国益重視をとる大統領です。
そのため、クリントン政権からの米国の対日要求は継続され、
日本は、森政権を経て小泉政権になります。2001年のことで
す。このときの閣僚人事は、これまでの自民党の慣習である派閥
からの推薦を全面的に廃止し、首相がこれぞと思う人物を一本釣
りして、大臣を決めていったのです。この政権で、竹中平蔵氏は
経済財政政策担当大臣とIT担当大臣として入閣しています。経
済のことはさっぱりわからない小泉首相は、森政権から引き継い
だ竹中平蔵氏にいっさいをまかせる気で、竹中氏を大臣に任命し
ています。
2002年1月7日のことです。竹中氏は、経済財政担当大臣
として訪米し、カウンターパートであるハバードCEA(大統領
経済諮問委員会)委員長と会談しています。もともと竹中氏とハ
バード氏は、竹中氏がハーバード大学の客員研究員をしていた頃
からの旧知の間柄であり、いつでも電話で話の出来る間柄であっ
たのです。小泉首相は、そのことを十分知ったうえで、竹中氏を
経済財政政策担当大臣に任命しています。さらに、竹中氏は、リ
ンゼー大統領補佐官(経済政策担当)、そして、オニール財務長
官とも個別に会談しています。
このとき日本と米国の間で大きなネックになっていたのは、銀
行への特別検査を2002年3月までに完了し、要注意先企業を
洗い直し、「銀行への貸倒引当金の積み増し」を強制し、不良債
権をあぶりだすことであったのです。
この件については、2001年10月7日、ワシントンで日米
次官級会議が開催され、米国側のジョン・テイラー財務次官は、
不良債権のオフバランス処理(直接償却)だけでなく、企業の再
編が必要であることを強く求めていたのです。この銀行の不良債
権問題の早期処理は、当時日米間の最大の懸案事項になっていた
のです。その矢面に竹中平蔵氏は経済財政政策担当相として向き
合ったのです。 ──[新しい資本主義/第010]
≪画像および関連情報≫
●不良債権の発生は銀行と借り手企業の共同責任
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1997年10月以降、「貸し渋り」というテーマで銀行
による与信削減の動きが大きな注目を集めるようになった。
すなわち、膨大な金額にのぼる不良債権を処理するためには
赤字決算が不可避となるが、その結果、赤字決算金額分だけ
自己資本が毀損される。ここまでは一般事業法人と同じであ
る。しかし、銀行の場合、財務内容の健全性維持を狙いとし
て自己資本比率規制が課されているため、自己資本の減少は
直ちに貸出を中心とした総資産の圧縮を意味する。
銀行からみた場合、こうした資産圧縮行動は経営の健全性
維持という観点から必要不可欠なものであり、私企業として
はむしろ当然の行動とすらいえる。その一方で、借り手企業
からみると、銀行の資産圧縮行動はたまったものではない。
銀行が貸出を減少させるということは、少なくとも借入交
渉に費やす労力も大きくなる結果、有形・無形の追加的なコ
ストが発生するということを意味しているため、追加的なコ
ストを負担しえない限界的な企業においては、借り入れが不
可能になることすらありうるからである。それゆえ、銀行に
よる与信機能の急激な低下を食い止め、資金の円滑な循環を
維持するためには銀行の自己資本を充実させる以外に途がな
いとして、1998年3月および99年3月の2度にわたっ
て銀行に対して、公的資金による資本注入が行われた。この
ように、銀行に対する公的資金注入に至る過程での議論や考
え方は非常に論理的なものであり、それ自体批判できるもの
ではない。 https://bit.ly/3qCfU7n
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竹中平蔵経済財政担当大臣