2021年09月02日

●「真の経営者は専門的な職業である」(第5564号)

 かつて大型コンピュータが大企業を中心に導入されたときには
コンピュータの扱いは、あくまで専門家の仕事であって、専門外
の文系の人間は、経営者も含めて、コンピュータのことがわから
なくても、恥ずかしくないという考え方があったのです。そのと
き、次のことがよくいわれたものです。
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 コンピュータのことがわからなくても心配はいらない。コン
 ピュータは専門家の仕事であり、コンピュータを扱える専門
 家を使って仕事ができる能力があればそれでよい。
─────────────────────────────
 これは、文系の人が、自分たちを理系の人たちよりも一段と上
に置き、上から目線で、システムの「専門家」を見ている身勝手
な考え方です。
 1969年(昭和44年)のことです。当時、私は大手生保会
社の企画部に在籍していました。ちょうどその年から、NHK教
育テレビ(現・Eテレ)で、「NHKコンピュータ講座」が開始
されたのです。
 週1回毎週日曜日に放送があり、半期26回が基本です。プロ
グラミングの基礎、コンピュータの原理、フローチャートの書き
方などが紹介され、毎回宿題が出され、その宿題を仕上げて次の
日曜日の講座を受けるという方式だったと思います。そのとき、
使われたプログラミング言語はフォートランです。
 コンピュータ講座が始まるのを知って、私は企画部長に、これ
を企画部全員で受講すべきであると進言したところ、きっとわか
らないことが多く出てくると思うので、システム部長に会って、
協力の確約をとってこいといわれたのです。
 そのときのシステム部長は、非常に気難しい人として知られて
いる人物でしたが、私は、部長の指示通り、システム部長と会い
企画部の講座受講の協力を依頼したのです。そのとき、システム
部長から、次のようにいわれたのです。
─────────────────────────────
 協力はさせていただきますが、ぜひ企画部長に伝えてくださ
 い。生兵法はケガのもとです、と。   ──システム部長
─────────────────────────────
 結局、企画部全体で講座を受講するアイデアはボツになりまし
たが、私は全26回の講座をすべて受講し、コンピュータという
ものがおおよそ理解できたような気がします。この講座は、当時
非常に新鮮だったと思います。
 今になって考えると、もし、このコンピュータ講座を受講して
いなかったら、後に仕事で、システム部から貸与されたポケット
コンピュータ(シャープ製PC−1500)のプログラム(BA
SIC)をとてもマスターできなかったと思います。フォートラ
ンのプログラミングの基礎がモノをいったのです。
 その後、50歳を超えてから、情報システムに籍を置くことに
なり、定年後の現在でもITの仕事に携わっていますが、それま
での経験でわかったことは、冒頭に示したシステムに関する考え
方──コンピュータがわからなくても、わかっている人を使えれ
ばよいというのは、間違っているということです。私の考え方と
しては、最低プログラミングの知識は必要であると思います。日
本の政府システムがいずれもうまくいっていないのは、冒頭の考
え方がまだ生きているのではないかと考えます。
 米国のCIO(最高情報責任者)は、常日頃から、ベンダー企
業を客観的に的確に評価できることが自分の重要な責務であると
考えており、役に立つベンダーはどこかについて、つねに情報を
集めています。とくに世の中に知られていないが、使えば新たな
価値を提供できるベンダーをいつも発掘しています。
 日本の場合は、有名なベンダーを使い、後はそのベンダーに仕
事を丸投げしてしまっています。的確なベンダーを選ぶスタッフ
がいないし、育てていないのです。それは、自分たちの仕事であ
ると考えていないのです。これに関して、野口悠紀雄教授は次の
ように述べています。
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 アメリカでは経営者は専門的な職業であると考えている。した
がって、経営者が組織間を移動することは頻繁に行われている。
危機に陥ったIBMを救うために、ルイス・ガースナーがまった
く畑違いの企業であるナビスコからIBMのCEO(最高経営責
任者)に招かれて、IBMを再建したことはよく知られている。
 ところが日本の場合には、経営者は経営を行う専門家ではなく
その組織の中で出世の階段を最後まで上ってきた人なのだ。した
がって、組織の形態そのものを大きく変えることには手をつけな
い。デジタル化について理解がある経営者は少ないと述べた。本
来であれば、デジタル化に関する知識は、専門家としての経営者
にとって必須の知識のはずだ。しかし、日本では、必ずしも必要
なこととは考えられていない。
            ──野口悠紀雄著/日本経済新聞出版
            『良いデジタル化/悪いデジタル化/
         生産性を上げ、プライバシーを守る改革を』
─────────────────────────────
 野口教授のいうように、「真の経営者は専門的な職業である」
とするならば、システムの経験のない石倉洋子氏についても、ご
自身が経営のプロフェッショナルであるので、ナビスコのルイス
・ガースナーのように、デジタル庁の「デジタル監」は務まると
いう考え方はあります。
 しかし、その場合は、石倉洋子氏がデジタル庁の事実上のトッ
プ、デジタル改革担当相(デジタル庁長官)であればわかります
が、デジタル監の仕事はあまりにも専門的であり、いかに能力の
ある人であっても、困難ではないかと考えられます。いずれにし
ても、デジタル庁では、日本政府がこれまで積み重ねてきた失敗
を絶対に繰り返してはならないと考えます。
             ──[デジタル社会論V/018]

≪画像および関連情報≫
 ●プロ経営者が明かしたIBMの再建の鍵は「変化」
  /ルイス・ガースナー氏が答える
  ───────────────────────────
  問:IBMが1990年代初めの経営難を乗り越えてここま
   で復活できた最大の要因は何でしょうか。
  答:非常に複雑で、一言で答えるのは難しいですが、IBM
   が抱えていた問題は、リーダーシップと企業文化の危機に
   あったということでしょう。IBMは長年大きな成功を収
   めてきたために、変化に抵抗しました。成功した企業が必
   ずかかる病です。ですが、根本的な問題によって競争力が
   失われていたわけではなかったのです。経営危機の間も、
  ずっと、IBMは優れた知的財産を生み出していました。I
  BMは過去30年間、国籍を問わずあらゆる国から優れた人
  材を採用してきた、私が来た当時も、それらの人たちがまだ
  会社に残っていました。だから復活できたのだと思います。
  問: 企業文化の変革は難しいと思いますが、最高経営責任
   者(CEO)に就任された当初、何から手をつけたのです
   か。
  答:第1にやったことは会社を安定させ、社員や顧客に「I
   BMは復活できるし、IBMには将来があるのだ」と信じ
   てもらうことでした。当時、財務状況は急速に悪化してお
   り、顧客どころか社員からの信頼も失っていたからです。
   最初の2年間は、まず土台の再構築に費やしました。損失
   に歯止めをかけるべく、市場でのシェアを上げ、高収益体
   質に変えるようにしました。その間、新たな戦略の策定を
   進めてはいましたが、当時はまだそれを打ち出す時期では
   ありませんでした。社員が、「新しい戦略が会社を救って
   くれる」と安易な考えに陥らないようにするためです。
                  https://bit.ly/3DnHHgd
  ───────────────────────────
NHKコンピュータ講座テキスト.jpg
NHKコンピュータ講座テキスト
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | デジタル社会論V | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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