るに工場のあらゆる装置をインターネットに接続できるようにし
て、製造業をスケールフリーネットワーク化することです。
ドイツのこのような動きに対して、日本は国家ではなく、民間
でしか対応していないのです。菅政権になって、やっとデジタル
庁の設立をしようとするレベルです。これまで日本政府は、何を
してきたのでしょうか。
尾原和啓/島田太郎両氏の本では、スケールフリーネットワー
クの作り方について書かれています。これについては、示唆に富
むことが多いのでご紹介することにします。スケールフリーネッ
トワークを作る方法は、次の3つがあります。
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1. 「お金を燃やす」
2.「デジュールスタンダード」
3. 「アセット・オープン化」
──島田太郎/尾原和啓著『スケールフリーネットワーク/
ものづくり日本だからできるDX』/日経BP
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第1は「お金を燃やす」方法です。
「お金を燃やす」とは、ひたすら製品を無料で提供することを
いいます。これは、GAFAなどのプラットフォーマーの無料サ
ービスのことを指しています。グーグルは、最初検索エンジンを
無料で配布し、一定のこシェアを獲得したうえで、広告などでマ
ネタイズを行っています。
これには当然お金がかかりますが、米国のシリコンバレーでは
有望なスタートアップには資金援助を惜しまない個人投資家やベ
ンチャーキャピタルが多く存在しているのです。尾原和啓/島田
太郎両氏は、そういう意味で、この方法を「アメリカ方式」と呼
んでいます。
第2は、「デジュールスタンダード」です。
これは、デファクトスタンダード(事実上の標準)を積み重ね
て、それをIEC(国際電気標準会議)やISO(国際標準化機
構)といった標準化団体に登録し、その規格を世界に広めていく
方法のことをいいます。現在、ドイツがやっている「インダスト
リー4・0」も、この方式で世界標準を狙っているのです。した
がって、この方法を「ヨーロッパ方式」と呼んでいます。
第3は、「アセット・オープン化」です。
「アセット」というのは、「経済資源」もしくは「価値がある
もの」という意味ですが、ICTの分野では、企業などの情報シ
ステムを構成する機器や資材、ソフトウェア、ライセンス(使用
権)、サービス契約などをまとめて「ITアセット」と呼ぶこと
があります。
「アセット・オープン化」について、尾原和啓/島田太郎両氏
の本では、次のように解説しています。
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製品やサービスをオープン化し、自社製品だけでなく、他社の
製品やサービスも自由に接続できるようにします。そのメリット
を享受するのはユーザーです。これまで連携が取れなかった機器
やサービスが連携できるようになれば、ユーザーは喜んでさまざ
まな機器やサービスをつなぐでしょう。
そうなると、ユーザーのニーズに応じて対応機器がどんどん投
入されていくはずです。こうして自然と、スケールフリーネット
ワークが出来上がり、成長を続けていきます。そして結果的に、
公開した仕様はデファクトスタンダードになるのです。
──島田太郎/尾原和啓著の前掲書より
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さらに尾原和啓/島田太郎両氏の本では、「アセット・オープ
ン化」の例として、1980年代の「IBM互換機」の話が出て
きますが、これについては、私自身がその当時、システム系の仕
事にかかわっていて、実際に体験していることでもあり、EJス
タイルで説明することにします。
1980年代におけるコンピュータの巨人はIBMです。IB
Mは、CPUが8ビットCPUのときは動かず、インテルによる
16ビットCPUの発売に合わせて、自社PCの発売に打って出
たのです。1982年3月のインテルによる「80286」の発
売がそうです。IBMからいわゆる「IBM PC/AT」とし
て、発売されたPCにはCPUに80286が採用され、マイク
ロソフト開発のMS−DOSが「PC−DOS」という名前で搭
載されていましたが、IBMはその内部仕様を公開するオープン
アーキテクチャ戦略を採用したのです。これは、当時としては驚
天動地の戦略だったのです。
仕様が公開されているので、誰でもIBM PC/AT(以下
PC/AT)と同じ仕様のPCを開発することができるし、PC
ATに対応したソフトウェアの開発やその周辺機器メーカーが激
増したのです。このようにしてPC/ATは、あっという間に業
界標準、デファクトスタンダードを獲得したのです。その後、も
はやPCといえばPC/ATということになり、IBMのアセッ
トオープン化戦略は大成功を収めたのです。
ここで重要なことがあります。それは、PC/AT自体は必ず
しも優れた魅力的なPCであったわけではないということです。
1984年には、アッププル社のPC、マッキントッシュが発売
されていますが、こちらの方がPC/ATよりもはるかに魅力的
なPCであったといっても過言ではありません。
しかし、オープンとクローズドの差は歴然だったのです。マッ
キントッシュとデファクトスタンダードを獲得したPC/ATの
シェアは歴然としていたのです。PC/ATは、使えるソフトウ
ェアは多数あり、OSもMS−DOSがウインドウズになり、ま
すますPCとしての使い勝手は向上し、ユーザーのネットワーク
は拡大したのです。これは、まさにアセットオープン化戦略の勝
利といえます。 ──[デジタル社会論U/014]
≪画像および関連情報≫
●なぜ、IBM/PCなのか
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IBMは1981年にIBM/PCをもってパソコン市場
に新規参入し、劇的な成功を収めた。そうしたIBMの成功
を説明する主要な見解の一つに、「IBM/PCは技術的に
は平凡なマシンであったが、IBMのブランド力によって成
功した」というものがある。IBM/PCは、その当時の技
術水準から見て極めて平凡なマシンであったにも関わらず、
IBMが大型コンピュータ(メインフレーム)市場として、
それまでに築き上げてきたブランド力によってPC市場でも
成功した、というのである。
例えばイノベーションに関するドミナント・デザイン論で
有名なアッターバックは、その代表的著作『イノベーション
ダイナミックス』の中で、「(IBM/PCの発売当時に)
ほとんどの専門家は、IBM/PCは、技術的には飛躍的前
進がまったくない (no breakthrough technological break
-through) と評価していたにも関わらず、IBM/PCは瞬
く間に業務用市場の30%を押さえてしまった。・・技術的
にみれば必ずしも十分ではなかったにもかかわらず、IBM
製品は(ドミナントデザインの地位を獲得し)パソコン産業
を普遍的なものとして確立させた。」(アッターバック『イ
ノベーションダイナミックス』有斐閣、引用文中の括弧内は
引用者による補足)とか、「(機械式タイプライターにおけ
るアンダーウッド5型機と同じようにIBM/PCは、ブレ
ークスルーとなる技術を市場に対してほとんど何ももたらさ
なかった。 https://bit.ly/3hdNgoA
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IBM PC/AT