2019年11月25日

●「明治維新のとき発行した政府紙幣」(EJ第5135号)

「ヘリコプターマネー政策」(以下、ヘリマネ政策)は、その
命名が、ヘリコプターからお金をばらまくというところからきて
いるので、「怪しいもの」、「やってはいけないもの」、「究極
の経済政策」という印象が強いと思います。その一般的な定義は
次の通りです。
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◎ヘリコプターマネー政策とは何か
 ヘリマネ政策とは、中央銀行が生み出した返済する必要のない
お金を、政府が国民に配る政策である。国が元利払いの必要がな
い債券(無利子永久債)などを中央銀行に渡し、引き換えに受け
取ったお金を商品券などの形で国民にばらまく。
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 ヘリマネ政策には、反対意見が多く、とくに日本では評判がよ
くない。お金というものは、ひたいに汗して働いた対価として得
られるもので、印刷して作るなんてとんでもないという考え方で
す。これは、国の政策を一般家庭のそれと同等に見ていることか
らくる誤解です。これについて、経済アナリストの森永卓郎氏は
次のように説明しています。
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 ヘリコプターマネーというのは、政府や中央銀行が、まるでヘ
リコプターからおかねをばらまくように、市中に貨幣を供給する
ことから名づけられた。このヘリコプターマネーは、日本ではと
ても評判が悪い。まるで打ち出の小槌のような魔法がありうるは
ずがないという先入観があるからだ。だから、主要政党のなかで
ヘリコプターマネーを支持する政党はないし、官僚も、財界人も
そして安倍総理までが、ヘリコプターマネーの実施を否定してい
る。しかし、私は、このヘリコプターマネーに対する無理解こそ
が、バブル崩壊以降、四半世紀にわたって日本経済を低迷させた
最大の原因だと考えている。
 ヘリコプターマネーは、けっしてあやしいものでほない。ヘリ
コプターマネーのアイデアは、ノーベル経済学賞受賞者であるミ
ルトン・フリードマンが1969年に提唱し、同じくノーベル経
済学賞受賞者であるポール・クルーグマンが、同様の政策を日本
経済に対して提案し、ベン・バーナンキ元FRB(連邦準備制度
理事会)議長が導入を推奨するなど、多くの偉大な経済学者が支
持をしている。      ──森永卓郎著/角川新書K126
  『消費税は下げられる!/借金1000兆円の大嘘を暴く』
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 なぜ、世界の名だたる経済学者が、日本にヘリマネ政策を勧め
るのかというと、日本の経済ががデフレ下にあり、そこから長い
間にわたって脱出できていないからです。それに、日本の場合、
既に検討したように、ヘリマネ政策を実施するさいに生ずる恐れ
のある副作用が起きる心配がほとんどないからです。しかし、安
倍政権は思い切りが悪く、実施できていません。
 それどころか、それらの著名な経済学者がやるべきではないと
アドバイスした消費増税を2回にわたって実施し、税率を5%か
ら10%に倍増させるという愚かな政策をとっています。経済と
いうものが、まるでわかっていない人たちです。
 歴史を遡ると、事実上のヘリマネ政策を日本は、明治維新のと
き、実施しています。ただ、明治維新のとき使ったのは「政府紙
幣」です。当時日本には中央銀行がなかったからです。ところで
「政府紙幣」とは何でしょうか。
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◎「政府紙幣」とは何か
 政府紙幣とは、「通貨発行権」を持つ政府が直接発行する紙幣
または、持たない場合において中央銀行が発行する銀行券と同じ
法定通貨としての価値や通用力が与えられた紙幣のことである。
        ──ウィキペディア https://bit.ly/2QIPcby ─────────────────────────────
 江戸時代には、地方の諸侯が領内での流通に限定した藩札を発
行していました。これも一種の地方政権の発行する政府紙幣の一
種であって、発行目的のひとつに領内の殖産興業があり、藩によ
っては濫発したため、額面よりも実際の価値が幕府発行の貨幣に
対して著しく低い場合も少なくなかったといいます。
 明治維新──日本の経済社会を根こそぎ作り替える大改革です
から、膨大な資金が必要だったのです。その資金を明治政府は、
政府紙幣の発行でまかなったのです。政府が発行する紙幣ですか
ら、その発行額から印刷経費を差し引いた全額が、通貨発行益と
して、直接政府の手元に残るのです。
 具体的にいうと、1868年(慶応4年)に明治政府は、政府
紙幣「太政官札」を発行します。その発行残高は次の通りです。
当時の物価はわからないが、現在まで物価がおよそ1万倍になっ
ていると仮定すると、現在の物価で4800億円になります。巨
額な資金です。
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     太政官札4800万両 → 4800億円
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 太政官札は、期限付きの政府紙幣であったので、1872年に
明治政府は、新しい政府紙幣「明治通宝」を発行し、太政官札の
大部分は、明治通宝に引き継がれたのです。しかし、その5年後
の1877年に西南戦争が勃発します。明治政府は戦費調達のた
め、明治通宝の大量発行に踏み切るのです。
 しかし、その結果、激しいインフレに見舞われます。そこで明
治政府は、1882年に日本銀行を設立し、1885年から日本
銀行券(兌換銀行券)が発行されたのです。これによって、明治
通宝は1899年に正式に運用停止になっています。
 太平洋戦争のときも日本政府は戦費調達のため、戦時国債が大
量に発行され、それを日銀に引き受けさせたので、インフレが昂
進し、戦後になってもなかなか収まらなかったのです。
            ──[消費税増税を考える/033]

≪画像および関連情報≫
 ●明治維新150年に振り返る「日本のお札」
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   ところで、日本にお札(紙幣)が誕生したのはいつ頃かご
  存じですか。日本銀行金融研究所貨幣博物館によれば「16
  00年頃、伊勢の山田地方で、神職でもあった商人(御師)
  により秤量銀貨の釣り銭の代わりに山田羽書(小額銀貨の預
  り証)が発行され、紙幣として同地域で流通した」のが始ま
  りだとか。最初は私札だったのです。その後、各藩で藩札が
  大量に発行されました。
   全国で通用する紙幣が発行されたのは、明治政府誕生以降
  です。1868年(明治元年)に初めての政府紙幣「太政官
  札(だじょうかんさつ)」が発行されました。ただし、独立
  行政法人国立印刷局によれば「単純な製法のため偽造券が多
  発した」そうです。
   そのため、ドイツや米国などに製造を依頼し、「明治通宝
  札(十円券)」、「神功皇后札(十円券)」、「国立銀行紙
  幣(十円券・旧券)」などを発行しました。国産第1号の洋
  式紙幣は1877年に発行された「国立銀行紙幣(5円券・
  新券)」です。
   日本で初めて全国通用の政府紙幣「太政官札」が発行され
  て、間もなく150年になります。お札の発行に関して大き
  な転機となったのが、1882年に日本銀行が誕生したこと
  です。当時の紙幣は金や銀と交換できる兌換(だかん)券で
  した。しかし、1877年に西南戦争が勃発したことから、
  大量の政府紙幣や国立銀行紙幣が発行され、激しいインフレ
  ーションが発生し、実際には金銀と交換できない不換紙幣に
  なっていました。        https://bit.ly/2Da13r7
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明治通宝.jpg
明治通宝
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 消費税増税を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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