2019年06月19日

●「香港大規模デモについての3疑問」(EJ第5029号)

 「逃亡犯条例」改正案について、林鄭月娥香港行政長官は「先
送り」を表明しましたが、これについて、日経ビジネスの池田信
太朗氏は、次の「3つの疑問」を上げ、解説を行っているので、
EJスタイルでご紹介します。
─────────────────────────────
   第1の疑問:審議延期ということは「再開」するのか
   第2の疑問:今回の延期判断は中国政府の意向なのか
   第3の疑問:今後デモはどうなるのか、継続するのか
         ──池田信太朗氏 https://bit.ly/2KkW6kS ─────────────────────────────
 第1の疑問「審議延期ということは『再開』するのか」につい
て考えます。
 林鄭月娥長官は、この改正案は、北京政府から指示されたもの
ではなく、あくまで香港政府としての判断であることを強調して
います。そのためか、長官は撤回はせず、「期限を定めず、延期
する」と発表。混乱を招いたのは「説明不足」としており、この
文脈から考えると、再現の可能性は十分あります。
 しかし、池田氏は、2003年の「香港基本法第23条」条例
(EJ第5028号で解説)の頓挫に言及しています。2003
年のときも「撤回」ではなく、「延期」だったのですが、その後
この条例案は審議されていないことを指摘し、「延期」という言
葉で香港政府のメンツを保ち、現時点では、事実上の「廃案」に
なっています。
 第2の疑問「今回の延期判断は中国政府の意向なのか」につい
て考えます。
 林鄭月娥長官は、「香港政府の判断を北京政府は尊重してくれ
た」といっていますが、これを額面通りに受け取る人は少ないと
思います。なぜなら、今回の改正案は一国二制度の根幹にかかわ
る改正だからです。もしこれが成立すると、香港は中国本土と変
わらなくなる、つまり、香港が香港でなくなるぐらい重要な条例
になります。「逃亡犯条例」は、政治犯を対象にしていないと香
港政府はいっていますが、そんなことは、銅鑼湾書店の関係者の
失踪事件をはじめ、中国政府の強面(こわもて)を知る香港市民
は、香港政府のバックには中国共産党がいることを信じて疑う人
は誰もいないのです。
 池田信太朗氏によると、今回の延期の決定の前に、林鄭月娥長
官は深センに飛び、そこに滞在する共産党最高指導部で香港政策
を担当する韓正副首相と会談しているとの情報があり、複数の現
地紙がその事実を報道しています。会見では、記者から「韓正副
首相と会談したのか」と質問されていますが、長官は否定せず、
回答を拒否しています。そして、林鄭月娥長官は、「これは中国
にいわれてやっているのではない。香港政府の考え方である」と
の主張を繰り返したのです。
 それでは、中国政府は、なぜ、延期を容認したのでしょうか。
 それは、あまりにも時期が悪過ぎるからです。現在、中国は、
米国と貿易戦争の真っ最中であり、しかも6月末には、習近平主
席も出席するG20大阪サミットがあります。もしデモで死傷者
が多数出る事態になったら、中国は国際社会から非難を浴びてし
まいます。そこで事態の収拾を図ったものとおもわれます。
 今回の問題を受けて米国はさらに中国に圧力を加えようとして
います。米国は現在、「香港政策法」に基づいて、関税や投資で
香港を優遇していますが、上下両院の超党派議員は、同法の見直
しを視野に、香港の「高度な自治」に関する検証を毎年、米国務
省に義務づける法案を提出しています。
 第3の疑問「今後デモはどうなるのか、継続するのか」につい
て考えます。
 この原稿は、6月16日の夜に書いていますが、既に香港では
黒が基調の服を着た大勢の若者たちが大規模なデモを始めていま
す。今回のデモは、前回のデモの103万人を大幅に超えそうな
勢いです。デモは、香港政府が、「延期」ではなく、法案の「撤
回」を宣言するまで続くはずです。それにこの事態を招き、大勢
の負傷者を出した林鄭月娥長官の辞任も要求しています。デモは
200万人を超える、とんでもない規模になりつつあります。
 デモの様子を伝える毎日新聞の動画をご紹介します。デモは、
16日午後9時現在(日本時間)、まだ続いています。
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 ◎香港で再び大規模デモ 政府に「逃亡犯条例」改正の撤回
  要求(毎日新聞動画)     https://bit.ly/2WKRx50
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 これら3つの疑問の総括として、日経ビジネスの池田信太朗氏
は、次のように述べています。
─────────────────────────────
 今回のデモが異例の規模に発展したのは、64集会(天安門事
件への反対集会)などと異なり、政治的に強い「反中」意識を持
っている人たちだけでなく、香港が当たり前に享受してきた安全
と自由が脅かされることに危機感を持った市井の人たちも参加し
たからだ。今後も政府に対して強硬な要求を続ける勢力はデモを
継続する可能性が高いが、そうでない人たちの参加は減っていく
と思われる。
 今後の争点は、デモの主宰者に対する「処分」だ。雨傘革命の
首謀者たちは逮捕、起訴され、一部が入獄した。ただし、雨傘革
命については政府は強硬な姿勢を崩さず、デモの要求は退けられ
た。今回は会見で、行政長官が遺憾の意を表明し、改正案の審議
を延期するというアクションを取った。政府が誤りを認めたから
デモ活動は不問に付すのか、それとも道路占拠や破壊などの不法
行為について粛々と処罰するのか。どこまで強面(こわもて)の
処分を下すかに、中国政府の怒りの強さが表れてくるだろう。
           池田信太朗氏/https://bit.ly/2KkW6kS
─────────────────────────────
              ──[中国経済の真実/028]

≪画像および関連情報≫
 ●【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景
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   香港で市民が立法会(議会)や主要道路をふさぎ、抗議デ
  モを行っている。警察はこれに催涙ガスやゴム弾で対応して
  いる。この抗議活動は表面上、犯罪容疑者の中国本土への引
  き渡しを認める「逃亡犯条例」の改正案に反対するものだ。
  だが、そこには改正案以上の理由がある。何が起きているの
  かを知るには、数々の重要な、中には数十年前から始まって
  いる文脈を見ていく必要がある。
   思い出して欲しいのは、香港が他の中国の都市と大きく違
  う場所だということだ。これを理解するには、歴史を振り返
  る必要がある。香港はかつて、150年以上にわたってイギ
  リスの植民地だった。香港島は1842年のアヘン戦争後に
  イギリス領となり、その後、イギリスは当時の清朝政府から
  「新界」と呼ばれる残りの地域を99年間租借した。
   それからの香港は活気ある貿易港となり、1950年代に
  は製造業のハブとして経済成長を遂げた。また、中国本土の
  政局不安や貧困、迫害などを逃れた人たちが香港に移り住む
  ようになった。
   99年の返還期限が迫った1980年代前半、イギリスと
  中国政府は香港の将来について協議を始める。中国の共産党
  政府は返還後の香港は中国の法律に従うべきだと主張した。
  両国は1984年に、「一国二制度」の下に香港が1997
  年に中国に返還されることで合意した。香港は中国の一部に
  なるものの、返還から50年は「外交と国防問題以外では高
  い自治性を維持する」ことになった。
                  https://bit.ly/31Agynf
  ───────────────────────────

2019年6月16日の香港デモ.jpg
2019年6月16日の香港デモ

posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 中国経済の真実 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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