2007年07月03日

●恒久的な税制改革と恒久的な減税(EJ第2114号)

 その後の橋本政権のことも書いておく必要があると思います。
米クリントン政権の要請を受け入れるわけではないが、G7の共
同声明は無視できなかったのです。
 というのは、この共同声明を受けて円相場も東京株式市場も急
落し、橋本政権としては何らかの総合経済対策を打ち出さざるを
得なかったのです。そのとき、三塚蔵相と小村大蔵事務次官は大
蔵省不祥事で引責辞任しており、蔵相には松永光、大蔵事務次官
には田波耕治、主計局長には桶井洋治が就任していたのです。
 国際的な状況を受けて、97年度の補正予算で実施した2兆円
の減税だけではとても収まる状況ではなかったのです。しかし、
減税の積み上げをするとなると、その財源は赤字国債の増発しか
ない――そうなると、財政構造改革法の改正は避けることはでき
なくなる。これは明らかに政策転換になります。
 加藤、山崎、野中らの執行部は、この政策転換によって橋本首
相の責任問題が浮上し、政局が大混乱になって、1998年7月
の参院選に影響が及ぶことを心配したのです。
 ことは急を要する――とにかくここは公共投資を積み上げるし
かないということになったのです。問題は総額をいくらにするか
です。市場に対するメッセージとしては、少なくとも過去最大の
額にする必要がある――執行部はそう判断したのです。
 これまでの最大は、村山内閣の事業規模14兆2200億円。
したがって、15兆円の大台に乗せれば史上最大になる――これ
を大蔵省に求めたのです。大蔵省は、2兆円の特別減税を99年
度に限って継続するなら、それを含めて15兆円ではどうかと提
案してきたのです。
 執行部としては減税を入れないで15兆円、だから17兆円を
認めるよう大蔵省に迫ったのですが、大蔵省は減税込みで15兆
円をなかなか譲らなかったのです。結局加藤幹事長の裁定で16
兆円ということで双方が折り合ったのです。
 しかし、官邸からはこの執行部の案に対して、冷ややかな反応
が帰ってきたのです。「減税が2兆円程度ではもはや不十分であ
る」というのです。官邸は例によってあくまで「橋本主導」にこ
だわっており、「自民党とは違うこと」を電撃的に発表すること
によって政権浮揚を図ろうとしていたのです。この時点で、橋本
官邸と加藤執行部のミゾは決定的なものになっていたのです。
 官邸では橋本は江田だけを使って、独自に案を練り上げていた
のです。そして、江田はその案について官房長官の村岡兼造と官
房副長官の額賀福志郎と密かに協議を重ねています。もちろん、
加藤執行部には一切何も知らせずにです。
 なぜ村岡と額賀が協議に加わったのかというと、額賀は、19
98年1月はじめに訪米し、ホワイトハウスの意向を聞いていた
からです。彼らは極秘のうちに次のような大型減税シナリオづく
りを画策していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 98年度の2兆円の特別減税を99年度も継続し、4兆円の
 減税を行い、減税の恒久化をはかる。
―――――――――――――――――――――――――――――
 なぜ減税なのかというと、クリントン政権としては公共投資の
上積みよりも減税による景気刺激策を重視していたからです。そ
こで橋本は、額賀を通してクリントン大統領の側近のスパーリン
グに対して、次のことを伝えていたのです。あくまで極秘を条件
としてです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 98年度当初予算の成立後に、2兆円の所得・住民税減税の補
 正予算での追加、あるいは恒久化が考えられないか検討する。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ホワイトハウスは、日本の複雑な政治事情はわかっていたので
秘密を守ることは同意したが、これは事実上の対米公約であると
受け取ったのです。この密約があったので、橋本としては執行部
の案には乗れなかったのです。
 最大の問題は「減税の恒久化」という言葉です。橋本としては
税制全般を見直し、結果として個人も法人も前よりも税金が安く
なる「恒久的な税制改革」を意味して使った言葉なのですが、そ
れが「恒久減税」と受け取られてしまい、参院選直前までこの問
題で紛糾することになります。
 大型減税の発表は、1998年4月9日だったのです。その当
日の朝、橋本は竹下と宮澤に電話を入れ、大型減税について伝え
ていますが、額については話していないのです。そして会見直前
に橋本は、加藤、山崎、野中などの執行部を緊急招集し、財革法
の改正と大型減税に踏み切ることを打ち明けたのです。
 加藤幹事長は、財政構造改革会議の結論を待つべきであると主
張したのですが、橋本は「自分でやる」といって譲らなかったの
です。あくまで「橋本主導」にこだわったからです。
 しかし、橋本の発表に市場は好感せず、日経平均株価は反発し
なかったのです。あとに残ったのは「恒久的な税制改革」か「恒
久的な減税」の論争だけです。
 この問題は何度も記者会見で取り上げられ、橋本の微妙な言い
回しを記者が読み切れず、次のような相反する見出しが新聞紙上
に踊ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         首相が恒久減税を表明
         首相が恒久減税を撤回
―――――――――――――――――――――――――――――
 党執行部と一体感のない橋本政権は1999年7月の参院選ま
でそのまま迷走を続けたのです。そして、自民党は参院選で大敗
し、橋本は退陣に追い込まれます。
 首相官邸と与党の両者が並び立つ「双頭の鷲」型日本の政策決
定メカニズム――橋本はこれに必死に立ち向かったが、結局は何
もできないまま一敗地にまみれたのです。現在も自民党は似たよ
うなことをやっています。  ――[日本経済回復の謎/23]


≪画像および関連情報≫
 ・1999年7月5日の橋本首相の発言
  ―――――――――――――――――――――――――――
  私は「恒久的な税制改革」と申し上げたのであり、「恒久的
  な制度減税」とは申し上げていません。見直した結果、増税
  になるとは思わない。税収中立かもしれない。
                       ――橋本首相
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本経済回復の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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