2019年03月18日

●「なぜ、中国の技術は急進展したか」(EJ第4969号)

 このようにいうと失礼ではあるが、かつて中国の「技術」など
とるに足らないものであったはずです。少なくともそういう時代
が長く続いたことは確かなことです。
 しかし、「中国製造2025」を立ち上げた2015年以降は
中国は多くの技術面で米国を猛追する存在になりつつあります。
宇宙などの特定分野では、既に米国を抜いています。それをイヤ
というほど世界に見せつけたのは、今年の1月3日発表の中国の
宇宙技術での大成果です。
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 ◎月面争覇/中国「宇宙強国」掲げ巨費/軍関与
 月探査に本格参入して十数年という中国が、3日、半世紀を超
える歴史を持つ米ロ両国に先んじて月の裏側への着陸を成功させ
た。習近平指導部の大号令のもとで、「宇宙強国」の実現にひた
走る。資源の埋蔵が有望視される月を「主戦場」に、各国の競争
が激しくなるのは確実だ。
          ──2019年1月4日付、朝日新聞より
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 経緯を簡単にいうと、中国が月面の撮影を目的とする「嫦娥1
号」を打ち上げたのは、2007年のことです。その時点では、
中国は技術開発で出遅れ、月探査では、旧ソ連、米国、日本、欧
州に続く存在だったのです。
 しかし、2013年に中国は「嫦娥3号」を月の表側に着陸さ
せることに成功します。この時点で、中国は、旧ソ連、米国に続
き、3番目に月面着陸に成功した国に躍進します。
 そして、それから5年後、中国は「嫦娥4号」を月の裏側への
着陸に成功させ、月面探査の分野では、世界のトップに立ったの
です。さらに今年は、「嫦娥5号」を打ち上げ、月の裏側の表土
の試料を地球に持ち帰る計画を進めています。
 これだけではないのです。月探査に続いて、2022年に完成
を目指す中国独自の宇宙ステーション、中国版「GPS」の衛星
測位システム「北斗」の構築など、宇宙関連の技術開発は激しさ
を増しています。まさに「米中2強時代」が現実のものとなりつ
つあります。
 そういう宇宙技術開発の進展は、人類に寄与するのであればよ
い傾向といえますが、中国の宇宙開発には人民解放軍が深く関与
し、情報はほとんど開示されないのです。そういう先端技術の軍
事利用を目指しているからです。情報自体が開示されないので、
そういう分野でのノーベル賞受賞者が少ないのではないでしょう
か。これまでの中華人民共和国としてのノーベル賞受賞者は、わ
ずか3人しかいないのです。
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     2010年     平和賞/  劉暁波
     2012年     文学賞/   莫言
     2015年 生理学・医学賞/屠ユウユウ
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 注目すべきは、中国の技術開発の速度の速さです。どのように
してそのような高度な技術開発を可能にしたのでしょうか。
 遠藤誉氏によると、そのヒントは、1964年の中国の核実験
の成功にあるとして次のように述べています。
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 1964年10月16日、中国は初めての核実験に成功し、世
界を驚かせた。農民を中心とした革命戦争に勝利して、1949
年10月1日にようやく誕生した新中国(中華人民共和国)に、
科学技術などあり得るはずもないと、誰もが思っていただろう。
あのとき、中国における農民の割合は90%に近く、毛沢東は農
奴の屈辱的なエネルギーを味方に付けて革命に成功している。
 1917年のロシア革命は、都市の労働者が中心だったので、
旧ソ連のスターリンは毛沢東を「田舎バター」として軽蔑し、ロ
シア革命の中心となった都市労働者がいないような「文明的に遅
れた中国」で、革命など成功するはずがないとバカにしていたの
だ。ところが毛沢東は、その予想に反して中国の革命戦争に勝利
して新中国を建国しただけでなく、核実験に成功する。世界が驚
かないはずがないだろう。       ──遠藤誉著/PHP
              『「中国製造2025」の衝撃/
            習近平はいま何を目論んでいるのか』
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 銭三強という人物がいます。1936年に精華大学を卒業して
フランスに渡り、マリー・キューリー研究所に留学します。あの
ノーベル賞を2回も受賞したマリー・キューリーの研究所です。
キューリー自身は1934年に他界していたものの、娘のイレー
ヌ・ジョリオ・キューリーがいたのです。銭三強は、彼女の下で
原子核の研究に没頭し、原子物理学で博士号を取得しています。
 1946年にウラニウムの核分裂において成功をおさめ、この
功績で、銭三強はフランスアカデミーの物理学賞を受賞し、19
48年に中国に帰国しています。その翌年の1949年10月1
日に新中国──中華人民共和国が誕生するのです。まさに絶妙の
タイミングだったのです。
 実は、毛沢東は、原子爆弾の製造に執念を燃やしていたといわ
れています。それは、当時中国から見て、戦争での圧倒的な強さ
を誇っていた日本が、米国による原子爆弾2発で降伏したのを見
て、これによって、自分が誕生させた新生中国を強国にしようと
考えたからです。
 1949年11月に中国科学院が設立されると、銭三強は、そ
の傘下の近代物理学研究所の所長に任命されます。朝鮮戦争が休
戦協定を締結した1955年、毛沢東は早速動き始めます。中国
の核の力を強めるために、プロジェクトチームを立ち上げさせ、
銭三強をそのリーダーに任命します。そして1956年、銭三強
は、40数名の科学者を引き連れて、毛沢東の命令でソ連に行き
原子爆弾についての調査と研究をスタートさせるのです。
           ──[米中ロ覇権争いの行方/050]

≪画像および関連情報≫
 ●「毛沢東の狂気」が蘇る時/毛沢東 語録
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   最近、中国の国内メディアで、「毛沢東」にまつわるいく
  つかの興味深い記事が見つかった。1つは、人民日報社の自
  社サイトである「人民網」が2011年1月17日に掲載し
  た記事で、1957年11月に毛沢東がソ連で開かれた社会
  主義陣営の各国首脳会議に参加したときのエピソードを紹介
  したものである。
   記事によると、毛沢東はこの会議で、当時のソ連共産党フ
  ルシチョフ第一書記の提唱する「西側との平和的共存論」に
  猛烈に反発して次のような過激な「核戦争論」をぶち上げた
  という。
   「われわれは西側諸国と話し合いすることは何もない。武
  力をもって彼らを打ち破ればよいのだ。核戦争になっても別
  に構わない。世界に27億人がいる。半分が死んでも後の半
  分が残る。中国の人口は6億だが半分が消えてもなお3億が
  いる。われわれは一体何を恐れるのだろうか」と。
   毛沢東のこの「核戦争演説」が終わったとき、在席の各国
  首脳はいっせいに凍りついて言葉も出なかったという。さす
  がの共産党指導者たちも、「世界人口の半分が死んでも構わ
  ない」という毛沢東の暴論に「圧倒」されて閉口したようで
  ある。毛沢東という狂気の政治指導者の暴虐さをよく知って
  いる中国の知識人なら、この発言を聞いても別に驚かないの
  だが、筆者の私が興味深く思ったのはむしろ、人の命を何と
  も思わない共産党指導者の異常さを露呈し、党のイメージダ
  ウンにつながるであろうこの「問題発言」が、他ならぬ共産
  党機関紙の人民日報社の自社サイトで暴かれたことである。
                  https://bit.ly/2HqfTOe
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毛沢東総書記.jpg
毛沢東総書記
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 米中ロ覇権争いの行方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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