故当時から10年以上隠していたのです。佐藤守氏の本に8ミリ
フィルムについての経過が出ていますので、見やすいように若干
の整理をして次に示します。ざっと目を通してください。
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◎1971(昭和46年)・07・30
事故発生
◎1974(昭和49年)・01・10
国際航業者が解析結果を全日空に提出
◎1981(昭和56年)・10・20
全日空側が、民事訴訟に8ミリフィルムを提出し、その解析結
果「58便の飛行経路は政府事故調査報告書どおり、J11L
沿いである」(むしろ東側である)と主張
◎1982(昭和57年)・03・10
防衛庁、8ミリフィルムを全日空社から借用して複製
◎1982(昭和57年)・03・16
陸上自衛隊第101測量大隊(地図作成専門部隊)に対して、
解析を依頼
◎1982(昭和57年)・07・28
101測量大隊の中間解析結果、飛行経路は函館→仙台VOR
の線に沿う可能性が強まり、アジア航測社に対し、本格的な解
析を依頼
◎1982(昭和57年)・08・02
刑事訴訟において刑事弁護人も8ミリフィルムに関する上申書
を提出
◎1982(昭和57年)・08・24
101測量大隊の解析完了
◎1982(昭和57年)・11・30
アジア航測社の解析、十和田湖上空まで完了
◎1983(昭和58年)・02・22
防衛庁側、8ミリフィルムの解析結果、全日空機は函館→青森
→十和田湖上の仙台VOR向けの線上を飛行。FDRとの関係
から接触地点は訓練空域内とする、全日空機の飛行経路及び接
触地点に関する準備書面を提出
◎1983(昭和58年)・03・22
同上陳述
◎1983(昭和58年)・05・19
刑事訴訟において弁護人が8ミリフィルムの上告趣意の補充書
を提出
◎1983(昭和58年)・06・14
民事訴訟において、8ミリフィルムのコピーを証拠として提出
◎1983(昭和58年)・09・22
刑事裁判で最高裁が自判(隈教官に有罪判決)
◎1985(昭和60年)・01・10
民事訴訟において、十和田湖以南、田沢湖分について、解析結
果を準備書面で提出
◎1985(昭和60年)・02・18
朝日新聞が「深層・真相」欄でこの論争を報じる。
──佐藤守著/青林堂刊
『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
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1985年2月18日に朝日新聞は、「深層・真相」欄で8ミ
リフィルム問題を詳しく取り上げたのですが、その結論的部分が
次のように書かれています。
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コース取りがどうであれ、防衛庁側の過失責任は免れない。最
高裁は一昨年9月、事故原因に関して、教官らの個人責任だけを
問うのではなく、事故当日に問題の訓練空域を臨時に設定した松
島派遣隊幹部のずさんさも強く指摘し、民事訴訟での防衛庁側の
立場は厳しくなったとみられている。
このフイルムがそれをどこまでばん回する材料となりうるか。
一本の8ミリフイルムが巻き起こした「コース論争」は、防衛庁
側、全日空側のメンツの問題もからんで、まだまだ熱く続きそう
だ。 ──昭和60年2月18日付、朝日新聞「深層・真相」
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これは、きわめて不可解です。どうして結論が、こうなるので
しょうか。8ミリフィルムに田沢湖が写っているのであれば、全
日空機がジェットコースJ11Lを西に外れ、自衛隊の訓練空域
に侵入してきていることを示しています。それを「コース取りが
どうであれ、防衛庁側の過失責任は免れない」と書いているので
す。それなら、この記事を書いた意義がなくなるではありません
か。論理が完全に矛盾しています。おそらくこの結論が書かれた
のは、上層部の指示によってそうなったものと思われます。
そもそもこの雫石空中衝突事故は、刑事と民事を合わせると、
多くの裁判が行われていますが、その判決は相互に矛盾をきたし
ており、整合性がとれないのです。ただ、「自衛隊側が悪い」と
言うことで一貫しているのです。
とにかく、何が何でも、どんなに矛盾をきたそうとも、ここは
自衛隊、要するに「国が悪い」ということにしないと、全日空自
体がもたないし、十分な賠償金も払えない。それは、結果として
遺族のためにもなることである──そういう論理で、一貫してい
るのです。不謹慎なことではありますが、ある記者は次のような
ことをいっています。
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どうせ賠償金を支出するのは国民の税金だからさ。これで全て
ハッピー、防衛庁はじめ、国側で腹を痛める者は、誰もいないか
らさ。 ──ある記者の意見
──佐藤守著/青林堂刊の前掲書より
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──[日航機123便墜落の真相/073]
≪画像および関連情報≫
●雫石事故機の破片保存 全日空
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全日空の山元峯生社長は30日、雫石町上空で全日空機と
自衛隊機が衝突し、全日空機の乗客乗員162人が死亡した
1971年7月の「雫石事故」の残存機体について、今後破
棄せずに展示施設を造って、保存していく方針を明らかにし
た。日航ジャンボ機墜落事故の残存機体は日航が保管してい
るが、同社は事故原因とされた後部圧力隔壁以外は将来的に
破棄する方針を固めており、日航と全日空で対応の違いが明
確になった。
日航機事故の遺族には保存を望む声も根強く、8月12日
で事故から20年となるのを前に論議を呼びそうだ。雫石事
故で回収された機体の破片や部品は現在、全日空内の倉庫に
保管されているほか、機長の肩章や救命胴衣などが雫石町の
「慰霊の森」にある施設に展示されている。全日空は、こう
したものや、当時の新聞記事などを展示する施設を来年3月
までに造り、主に社員の研修用として公開する。社員から提
案があったという。遺族や一般への公開は今後検討する。施
設の場所は、東京都大田区の研修センター内や、港区の本社
内が候補として挙がっている。山元社長は「事故を風化させ
ず、社員全体で安全に対して取り組むための展示品と考え、
実現させたい」と話している。 https://bit.ly/2E0z1QL
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朝日新聞「深層・真相」記事