でしょうか。当時航空事故の調査に当る機関は、政府が設置する
「政府事故調査委員会」です。しかし、このときは、事件が「自
衛隊=防衛庁」と「航空行政=運輸省」にまたがり、その問題を
「裁く=法務省」なので、総理府総務長官委嘱の委員会として設
置されています。
しかし、総理府の役人に専門的事項を調査する能力はないので
実質的には運輸省主導で次の5人が決められています。
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山県昌夫 ・・・・ 宇宙開発委員会委員
荒木 浩 ・・・・ 東洋大教授
井戸 剛 ・・・・ 東海大教授
瀬川貞雄 ・・・・ 日航航務本部長
後藤安二 ・・・・ 日航航務副本部長
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この政府事故調のメンバーについて佐藤守氏は、当時航空評論
家の楢林寿一氏が上げている以下の「事故の原因が曖昧になる9
つの項目」をベースとして、次のように批判しています。楢林氏
は、元運輸省航空局技官を務める専門家です。
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@利害関係 E無能力
Aセクショナリズム Fお粗末実験
B血縁関係 G死人に口なし
Cこじつけ論理 H調査担当者の適性不良
D各個撃破
この場合、瀬川、後藤の両氏は日航の航務本部長と副本部長と
いう関係だから@利害関係、Aセクショナリズム、B血縁関係に
該当するといえます。中でも瀬川氏は日航職員になる前は運輸省
航空局の参事官、いわば天下りでした。彼は事故調査も峠を越し
た翌昭和47年春に、運輸省管轄下にある航空大学校長に任命さ
れています。
須藤氏は「ジェット・ルートJ11Lの中に、瀬川氏の航空大
学学長就任が運輸省の願望に寄与したことへの論功行貿であった
のか、逆に、同氏に「全日空機側の過失も見逃さない」とする強
い姿勢があったので、それを懐柔するためだったのか、或いは事
故調査問題とは全く無関係だったのか、その辺の真相は分からな
い」と意味深長な書き方をしていますが、JR西日本の事故調査
で事故調と会社が癒着していたことを思い出します。
委員長の山県氏は、宇宙開発委貞、東大名誉教授、学士院会員
という輝かしい肩書きの造船工学の権威ではありましたが、航空
機、特に運用関係は全くの素人だったといっても過言ではないで
しょう。(中略)
その他の委員に2人の大学数授が入っていますが、空中勤務を
経験しない「教授殿」に、設計や構造力学的な問題を調査しても
らうのならいざ知らず、空中での運行に関わる事故原因調査が出
来るとは私には思えません。とりわけ井戸剛・東海大教授は、事
故発生翌日、「毎日」「読売」新聞に登場して、散々自衛隊側を
罵倒したご本人です。こんな偏向した素人教授が、なぜ委員会に
入ったのか?
事故当日中に既に4人の委員が決定していたが、31日追加さ
れて入ったのが井戸教授だということは、あまりにも出来すぎて
いて不自然ではありませんか。少なくとも彼は、楢林氏の説に照
らせば、C〜Hの全てに合致する「不適格者」ですが、裁判の過
程を見ると、@にも適合するのは明らかですから、彼が事故調査
委貞に入ったのは何らかの策謀≠セったと言われても仕方ない
でしょう。 ──佐藤守著/青林堂刊
『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
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問題は、この政府の事故調が何をしたかです。事故調は次の2
つのことを主張しているのです。
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1.全日空機は、飛行計画書に記載されている通り、J11
Lに沿って飛行している。
2.全日空機は、少なくとも接触約7秒前から、86F機を
視認していたはずである。
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「1」に関しては、何をもってそういい切れるのか証拠がない
のです。この部分をもっと正確にいうと、58便は7月30日、
午後1時33分に予定時刻より53分遅れて千歳空港を離陸し、
千歳のレーダー管制を受けつつ上昇し、札幌管制所の管制下に移
行、午後1時46分に函館NDBを高度22000フィートで通
過、そこで次の松島NDB通過予定時刻は、午後2時11分であ
ると通報しています。さらにその4分後の午後1時50分に高度
28000フィートに到達したことを札幌管制所に報告し、水平
飛行に移った時点で自動操縦に切り換え、計画書通りに松島ND
Bに向けて南下したことになっています。
これはあくまで報告であって、本当にそうであったかどうかは
わからないのです。そのように報告して、実際は仙台VORに向
かうことは、全日空では日常茶飯事になっていたからです。
まして「2」に関しては、何の証拠もないのです。もし、本当
に接触約7秒前から86Fを視認していたのであれば、なぜ回避
行動をとらなかったのでしょうか。証拠がないのです。
実際に民事訴訟の東京地裁は「接触するまでまったく視認して
いなかった」と事故調報告を完全否定しています。まさに「死人
に口なし」であり、生存者がいなければ何とでもいえるのです。
そうすると、衝突時間は午後2時2分39秒とされているので
自動操縦に切り換えてから12分28秒後に衝突されたことにな
ります。この間、全日空クルーは食事をしていたのであり、見張
りはしていなかったと考えられます。このように事故調の結論は
かなり恣意的です。──[日航機123便墜落の真相/067]
≪画像および関連情報≫
●雫石事故について〜国軍の名誉とは何か〜 by朝大嫌
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須藤・阪本両氏の緻密な研究を「文系のバカ」の私が要約
するのは至難の業なのだが、私にも理解出来る重要ポイント
だけに絞って縷々、述べることとしよう。
最初にハッキリさせておくべきことは、「ANA機の方が
空自機(F86F戦闘機)より優速だった」ということであ
る。空自機は、ANA機(ボーイング727−200)より
遅かった、ということなのだ。
世間一般の常識は「戦闘機は旅客機よりスピードが速い」
というものだろう。その常識は一般論として正しいが、雫石
事故の場合は断じて「否」である。
しかも、F86Fは将来の戦闘機乗りが使う練習戦闘機と
いうべき機種であり、事実、ANA機に背後からぶつけられ
たF86Fを操縦していた市川二曹は、編隊飛行訓練中の訓
練生だったのである。
航空自衛隊の戦闘機が「無謀にも」民間航空路に侵入し、
民間機(旅客機)と衝突して空中分解・墜落させ、罪もない
民間人を162名も殺した、とマスゴミは狂気のように吠え
立て、防衛庁長官(当時)を辞職に追い込んだ。科学的検証
など皆無であり、一方的な自衛隊叩きはマスゴミの底知れぬ
左翼偏向ぶりと反軍思想を如実に示すものだった。当時の新
聞縮刷版を読むたび、吐き気を催す。須藤・阪本両氏の疑問
のエッセンスは、こういうことである。
──「幻の憲法」サイトより
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最悪の雫石空中衝突事故