2018年11月16日

●「なぜ、新証拠の審理をしないのか」(EJ第4892号)

 雫石空中衝突事故──この事故のことを知っている人は、民間
航空路上で訓練していた自衛隊機が、その航空路を飛行してきた
全日空58便に衝突し、自衛隊機のパイロットはパラシュートで
脱出して助かったものの、全日空機は空中分解、乗客乗員162
人は全員が死亡するという痛ましい航空機事故であると認識して
いるはずです。
 つまり、自衛隊側が一方的に悪いのです。自衛隊は責任を認め
増原恵吉防衛庁長官が引責辞任しています。その後、民間航空路
と自衛隊の訓練空域は完全に分離されたのです。当然のことが尊
い犠牲を払って実現したことになります。
 しかし、元自衛隊空将南西航空混成団司令の佐藤守氏によると
これらは全く事実に反するというのです。真相は、全日空機の方
が自衛隊の訓練空域に入り込んで来て衝突したのです。したがっ
て、執行猶予付きとはいえ、実刑になった隈一尉は無罪であり、
冤罪であると主張しています。佐藤守氏は、その理由について、
次のように述べています。
─────────────────────────────
 それは─────
 @非科学的分析を多々抱える政府事故調査報告書に基づき、
 A3次元空間における航空機の相対的な動きなどの理解能力に
欠ける裁判官が、
 B反自衛隊感情をむき出しにしたマスコミが誘導した風潮と
 C直後に明らかになったロッキード事件にまつわる政治がらみ
の圧力に押されて、無理やり判決を急いだものだからです。
 さらに付け加えるならば、全日空社が事故の補償を負担するこ
とになれば、昭和60年8月12日にB747が御巣鷹山に墜落
して、520名もの犠牲者を出した日本航空のように倒産の危機
にさらされる。これは同社に天下りしている運輸官僚達にとって
は是が非でも防がねばならない喫緊の課題でしたから政治家の力
を借りて、防衛庁(当時)航空自衛隊側の一方的な責任にさせ、
国に全額補償させて生き延びる、そんな陰謀がめぐらされた事
件≠セったといえるでしょう。         ──佐藤守著
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
                         青林堂刊
─────────────────────────────
 刑事事件としての決着については、昨日のEJでも書きました
が、詳しく書くと、次のようになります。
─────────────────────────────
  ●罪状/業務上過失致死罪/航空法違反
  ◎一審判決「盛岡地裁」/1975年 3月11日
    隈 被告 ・・・   禁固4年
    市川被告 ・・・ 禁固2年8月
  ◎二審判決「仙台高裁」/1978年 5月 9日
    隈 被告 ・・・ 控訴棄却/禁固4年
    市川被告 ・・・ 無罪
  ◎最高裁判決     /1983年 9月22日
    隈 被告 ・・・ 禁固3年/執行猶予3年
    市川被告 ・・・ 無罪
─────────────────────────────
 二審の仙台高裁の判決の後、58便の乗客が撮影したと見られ
る8ミリフィルムが証拠として提出されたのです。ところが、そ
のフィルムの分析の結果、その場所は空自が定めていた「臨時訓
練空域内」であることが判明されたのです。
 そうであるとすると、ジェット・ルートを逸脱して空自の訓練
空域に侵入したのは、全日空機ということになります。この場合
本来であれば、最高裁は二審の仙台高裁に差し戻し、そこで新証
拠を含めた審理を行うのが普通です。
 ところが、最高裁は、一審の盛岡地裁判決と二審の仙台高裁判
決を破棄し、「自判」で上記の判決を出したのです。これは何を
意味するかというと、新証拠を改めて審理しないということを意
味します。しかし、隈被告が「再審請求」をすれば、審理が行わ
れますが、隈被告は再審請求をしなかったので、刑事事件として
は、これで結審になったのです。
 はっきりしていることがあります。それは、新証拠の分析では
全日空機は、明らかに自衛隊の訓練空域に入り込んでいるという
ことです。この8ミリフィルムは、全日空側から提出されたもの
ですが、逆に全日空側を不利にする結果に終っています。
 どうやら、この航空機事故は、最初から自衛隊側の敗訴を前提
としていたものと思われます。「禁固3年/執行猶予3年」の判
決の理由について、1983年9月22日付、読売新聞夕刊は、
次のように書いています。
─────────────────────────────
 最高裁判決は、最大の争点になつた@全日空機と自衛隊機の位
置関係、A接触地点、B自衛隊機から見えたかどうか(視認可能
性)──などの事実認定については、二審判決を大筋において認
めた。そして、隈被告に教官として事故を起こした訓練機(市川
機)に対する見張り注意義務はあった、と認定した。しかし「義
務を十分果たすのは難度の高い作業だ」とし、本件事故の場合、
訓練機と全日空機の両機を見つけ、訓練機に的確な指示を与えて
事故を回避できた可能性は「ごく限られたものであつたといわざ
るを得ない」とした。
 こうした事故を避けるためには、民間機の常用ルート付近の空
域での訓練事態はできるだけ避けるべきであった、との見解を示
した。その上で判決は、隈被告に結果的に民間航空機のルートを
侵犯″した義務違反があったとしたものの、こうした空域侵犯
には訓練計画を作成した第一航空団松島派遣隊にも大きな責任が
あると指摘した。           ──佐藤守著/青林堂
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/062]

≪画像および関連情報≫
 ●空から降った「人の雨」 雫石とウクライナ
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   「空から人の雨が降ってきた」
   英デーリー・エクスプレス紙が報じた、7月17日発生の
  ウクライナ東部におけるマレーシア航空機ボーイング777
  撃墜の目撃者証言。昭和46(1971)年7月30日と同
  じだ、と思った。この日午後2時過ぎ、北海道・千歳を離れ
  東京・羽田を目指していた全日空ボーイング727が、航空
  自衛隊訓練機に岩手県雫石町上空で追突した。追突されたは
  ずの自衛隊機の《一方的過失》をメディアが創り出し、刑事
  裁判も3次元空間を理解できないなど、問題をはらんだ大惨
  事を取材したとき、似たような目撃証言を聴いたのだ。
   「天から人が降ってきた」
  といっても、リアルタイムの取材ではなく、事故を検証した
  産経新聞の大型長期連載《戦後史開封》を執筆するためだっ
  た。取材ノートの表紙には、《平成7年9月13日〜》とあ
  る。陸上自衛隊第二十二普通科連隊第一中隊長・S一尉以下
  130人は当日夜、宮城県多賀城市の駐屯地を出発し、雫石
  に翌日未明に到着。他の中隊とともに乗客・乗員の遺体収容
  に向け、山中に分け入った。S一尉らが見たのは、「戦場」
  だった。隊員は早々に金縛りに遭う。木という木に、おびた
  だしい数のストッキングや、下着、衣類、着物の帯が引っ掛
  かっていた。S一尉は回想した。「不謹慎だが、夏に見慣れ
  た仙台の七夕まつりの短冊のようだった」
                  https://bit.ly/2PXlFeb
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F86F戦闘機.jpg
 
F86F戦闘機
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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