突する事故としては、1971年7月30日の「全日空機雫石衝
突事故」があります。このとき、乗客乗員162人が亡くなって
います。JAL123便墜落事件の14年前のことです。
この雫石衝突事故のことをこのテーマの最後に取り上げるのは
2つの事件に共通性があるからです。まずは、雫石衝突事故とは
どんな事故であったかについては、次をご覧ください。
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「ばんだい号」墜落から間もない(1971年/昭和46年)
7月30日、午後2時過ぎ、今度は岩手県雫石町上空で、乗員乗
客162人を乗せた千歳発羽田行き全日空ボーイング727型機
(以下、B727)に、訓練飛行中の航空自衛隊のジェット戦闘
機が衝突した。自衛隊機の操縦士はパラシュートで脱出して無事
だったが、全日空機は空中分解して乗員乗客全員が死亡し、遺体
が広範囲に飛散する大惨事となった。当時としては、世界航空機
史上最大規模の事故だった。
原因は自衛隊機が民間航空路上で訓練をしていたことで、しか
もその危険性は十年前から行政管理庁が指摘しており、明らかな
人災であった。当然、自衛隊への批判が沸騰、自衛隊も責任を認
め、増原恵吉防衛庁長官は引責辞任した。以後、民間航空路と自
衛隊の訓練空域は分離された。尊い犠牲を払ってようやく改善が
実現したのである。乗客のうち123人は、北海道への団体観光
旅行から帰る途中の静岡県富士市の軍人遺族会の老人たちであっ
た。彼らにとっては、戦争につづき、2度も国家によって災厄を
こうむったことになる。 ──古川隆久著
『歴史エンタテインメント=昭和戦後史(下)』/講談社刊
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雫石衝突事故と123便事故は3つの点で共通性があります。
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1.民間航空路上に自衛隊の飛翔体が入り込んで、民間航空
機に衝突したこと。
2.自衛隊機はもちろんのこと、民間航空機の機長も自衛隊
出身の機長である。
3.ともに世界航空機史上、最大にして最悪の大規模な航空
機事故であること。
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どういう状況での衝突事故かというと、自衛隊は2機のF86
F戦闘機で、1機に隅太茂津一尉教官、もう1機に訓練を受ける
市川良美二曹が搭乗していたのです。訓練空域では、基本隊形、
疎開隊形、機動隊形および単縦陣隊形の訓練と、教官機が予告な
しに左右の急旋回を繰り返すのを市川二層が等間隔で追尾する訓
練などを行っていたのです。
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教官機 ・・・・・・ 隅太茂津一尉
訓練機 ・・・・・・ 市川良美二曹
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これら2機の戦闘機は、航空自衛隊第1航空団松島派遣隊の所
属であり、訓練空域は、秋田県横手市付近で、横手訓練空域の北
部をその一部に含む臨時の空域であったといわれています。
14時02分、教官機を追って、市川二曹の訓練機が羽田に機
首を向けて飛行している全日空機に接近し、回避する間もなく訓
練機(時速840キロ)に全日空機(時速900キロ)が追いつく形
で衝突が起きたのです。
この衝突事故については、裁判で刑事と民事で最高裁まで争わ
れ、最終的に次の判決が出ています。昭和58年(1983年)
9月22日の最高裁判決です。
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隅太茂津一(教 官) ・・・ 禁固3年執行猶予3年
市川良美二(訓練生) ・・・ 無罪
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実はこの裁判は「自判」というかたちで決着がついたのです。
この裁判では、昭和50年(1975年)3月11日に、第1審
で教官は禁固4年、訓練生は2年8月の実刑判決が言い渡された
のですが、控訴審では、教官は控訴棄却、訓練生は無罪が言い渡
されています。
しかし、最高裁では、この1、2審判決を破棄し、裁判長自ら
が「自判」し、上記の判決で決着をつけたのです。これはきわめ
て異例のことです。通常では、1、2判決を破棄し、第1審に差
し戻すのですが、差し戻してまで審理することはないという裁判
官の判断で、「自判」したのです。
この雫石衝突事件に対して、異論を唱えている人がいます。軍
事評論家の佐藤守氏です。雫石事故の真相は、別にあるというの
です。佐藤守氏は、防衛大学航空工学科を卒業し、航空自衛隊に
入隊、戦闘機パイロットとして、総飛行時間3800時間を記録
しています。岡崎研究所の理事・研究員を務めています。
佐藤守氏は、この雫石衝突事故について、「事実に反する」と
して次のように主張しています。
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これは全く事実に反します。既に事故直後にはB727の左水
平尾翼が、86Fの右主翼をはば真後ろから切断したことを示す
明確な証拠が発見されていたので、B727が86Fに「追突」
したことは歴然としていたのですが、盛岡地裁の第一審でなぜか
自衛隊が有罪にされたのです。間違った事故調査によって、2人
の自衛隊パイロットが裁判にかけられましたが、追突され、パラ
シュート降下して生還した訓練生は仙台高裁で無罪が確定したも
のの、奇妙なことに離れた位置で指導していた教官が有罪になっ
たのです。 ──佐藤守著/青林堂
『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
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──[日航機123便墜落の真相/061]
≪画像および関連情報≫
●実刑を主張する裁判官中村治朗の反対意見
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航空機の空中衝突は、瞬時にして多数の人命を奪う結果に
つながる重大かつ悲惨な事故であり、これを防止するために
は万全の措置と配慮が施されなければならず、殊に、具体的
な飛行の進路及び態様の決定につき最終的な判断権を委ねら
れた航空機の操縦者の責任は、極めて重大である。
このような見地から本件をみると、被告人は、飛行訓練空
域として指定された空域内に本件ジエツト・ルートJ11L
が存在していることを漠然と意識していながらも、その位置
を確認したうえ、衝突の危険を回避するような具体的な訓練
飛行計画を樹てることをせず、また、絶えず自機及び追随機
の進路と右ジエツト・ルートとの位置関係を確かめながら訓
練飛行を実施する等の配慮を施すこともなく、漠然と右ジエ
ット・ルートは実際のそれよりもかなり東方の盛岡市上空附
近を通つているものと誤信したまま、漫然と本件ジエツト・
ルート空域に進入して本件訓練飛行を実施したものであつて
被告人のこのような不注意については、たとえこれに関連し
て多数意見の指摘するような諸般の事情が存在することを考
慮に入れても、なおそれ自体として責められるべき点が少な
くない。そして現に、その結果として本件衝突事故が発生し
162名の多数の生命が失われた。禁錮2年の実刑をもって
臨むのが相当であると考える。 https://bit.ly/2RRoRoS
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全日空機雫石衝突事故犠牲者慰霊碑