2018年11月14日

●「大きな航空機事故にはウラがある」(EJ第4890号)

 8月20日から続けてきている今回のテーマは、そろそろ終了
します。EJでは、このテーマを3回にわたって取り上げました
が、基本的なことに変化はありません。ただ、青山透子氏の本に
よって、多くのことが裏付けられたといえます。そこで起きた6
つのことを再現します。
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 1.護衛艦「まつゆき」から発進したとみられるミサイル標
  的機が、JAL123便の垂直尾翼を破壊する。
 2.JAL123便の高濱機長は、操縦困難の飛行機をコン
  トロールし、横田基地へ緊急着陸しようとする。
 3.浜松基地から発進し、123便を追尾していた2機の戦
  闘機が横田着陸を阻止し、山の方向に誘導する。
 4.123便はなおも不時着を試みようとするので、戦闘機
  2機は123便にミサイルを発射し、撃墜する。
 5.自衛隊は墜落場所が特定されないようニセの情報を流し
  その間に特殊部隊が現場から証拠物を搬出する。
 6.自衛隊特殊部隊が現場から立ち去るさい、火炎放射器を
  使って、墜落現場を万遍なく焼き尽くしている。
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 この「事件」、政府はあくまで「事故」といっていますが、こ
れは「事件」です。33年経っても解決していないからです。こ
の事件で、政府関係者、日本航空関係者、自衛隊関係者は、誰ひ
とり責任をとっていません。裁判も全員不起訴で、時効が成立し
ています。しかし、520人もの人が死亡しているのです。
 ただ、事件はけっして風化していないのです。だからこそ33
年も経っているのに、青山透子氏の本をはじめとして、多くの新
事実が続々と出てきています。しかるにこの青山氏の主張を「陰
謀論」扱いし、葬り去ろうとする動きもあります。
 この事件のキーは、羽田空港に戻ろうとしたJAL123便を
追尾した2機のファントム戦闘機の存在です。自衛隊はこの事実
を完全否定しています。自衛隊は、ファントム戦闘機の発進につ
いて、次のように述べています。
─────────────────────────────
 1985年8月12日、19時01分、大中一佐、松永空将の
了解にて、スクランブル発信命令。空自百里F−4EJファント
ム戦闘機2機(第305飛行機、式地豊二将ら発進)。この時間
より以前、自衛隊はファントム機、ヘリなど発進させていない。
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 しかし、2機のファントムについては、青山透子氏をはじめと
して、角田四郎氏の本などでも明らかにされている多くの目撃情
報があり、否定のしようがないのです。しかも、かなりの低空で
123便の後を2機の戦闘機が追尾しているのです。まだ、夜に
なっておらず、大きな旅客機を追尾する2機の戦闘機はよく見え
たといっています。同じ情景を多くの人が目撃しているのです。
もし、それが自衛隊機ではないとしたら、どこの国の戦闘機だと
いうのでしょうか。
 しかし、自衛隊としては、この2機のファントムの存在を認め
てしまうと、「自衛隊は関わっていない」という主張がすべて崩
れてしまうので、完全否定です。
 青山透子氏は、とくに上記「6」について、あくまで客観的に
詳細極まる分析をしています。これを否定することは、本を読ん
だ人にはできないと思います。それほど詳しいし、それが正しい
ことを示す証拠はたくさんあるからです。政府事故調は、遺体に
ついては、あまり力を入れて調べておらず、青山氏の分析は、そ
れを補って余りある貴重なものです。
 この墜落事件のことを詳しく知らない人たちは、「自衛隊がそ
んなひどいことをするはずがない」といって、あたまから信じよ
うとはしません。ここでいう「自衛隊」とは、正確には国、政府
を意味します。
 護衛艦「まつゆき」から発進した標的機は偶然とはいえ、乗客
乗員524人が乗る旅客機の垂直尾翼を破壊し、操縦不能の状態
に陥れたのです。しかし、機長は4つのエンジンをコントロール
して、機首を立て直し、横田基地への緊急着陸態勢に入ったとこ
ろ、2機の自衛隊機にスクランブルをかけられ、御巣鷹山方向に
誘導されます。それでも、2機のファントムは、何とか不時着し
ようとする123便にミサイルを発射し、撃墜させたのです。そ
して、直ちに墜落現場に入ってミサイルなどの証拠品を回収し、
最後に生存者を含め、墜落現場を火炎放射器で焼き尽くしている
のです。あってはならないことですし、そんなことがあったと思
いたくはありません。しかし、墜落現場の状況、遺体の状況を詳
しく分析した結果は、それを裏付けているのです。
 この事件のすべてが明るみに出るチャンスは、昨日のEJで述
べたように、民主党が政権を奪取したときです。しかし、そのと
き、最高責任者である中曽根康弘氏と当時の防衛庁長官の加藤紘
一氏は生存しており、それが公開のネックになったのではないか
と思われます。なお、中曽根元首相は、現在も健在であり、この
事件については、「墓場まで持って行く」といっています。
 なお、自衛隊と民間航空機のからむ事件といえば「雫石事件」
があります。1971年(昭和46年)7月30日、午後2時に
発生した航空機事故です。自衛隊機と全日空の航空機の空中衝突
事件です。自衛隊機が民間航空路上で訓練していたことが原因で
乗客乗員162人を乗せた千歳発羽田行き全日空ボーイング72
7型機に自衛隊機が衝突したのです。明らかに、自衛隊側に非が
あります。自衛隊機の操縦士はパラシュートで脱出して無事でし
たが、乗客乗員162人は全員死亡したのです。
 実は、この航空事故にはウラがあります。このテーマの最後に
この「事件」について明らかにすることにします。
         ──[日航機123便墜落の真相/060]

≪画像および関連情報≫
 ●ネットで語り継がれる機長の言葉、事故の記憶
  ───────────────────────────
   コントロールを失った飛行機は、右旋回や左旋回を繰り返
  しながら不安定な飛行を続けていた。それでも機内には、懸
  命な操縦を続ける機長や副操縦士たちがいた。緊張の続く現
  場の会話の中で、やがて機長は誰にいうともなくつぶやく。
  「これはだめかも分からんね」
   1985年8月12日、日本航空123便は御巣鷹の尾根
  に墜落した。今年はそれからちょうど20年目にあたる。墜
  落による犠牲者は520人に上り、日本航空史上では最悪の
  事故だと言われている。
   年月が過ぎたとはいえ、いまウェブ上で検索すれば事故の
  情報をいくらでも収集できる。ネット上では当時の事件を報
  じる新聞画像、墜落現場の写真などが見つかる。たった4人
  の生存者のうちの1人による証言なども読むことができる。
   そんな中に、操縦席の会話を記録したとされるボイスレコ
  ーダーの音声を公開しているサイトがある。異常発生から墜
  落まで約30分の音声を短くまとめて再生したもので、ウェ
  ブでは事故機の飛行ルートも重ねて表示している。
   ボイスレコーダーの記録自体は、事故後15年を経過した
  時点で報道向けに公開された。サイト運営者はこうした音声
  ファイルをもとに、コンテンツを編集したようだ。会話内容
  は当時新聞などに掲載されたものとぴったり符号している。
                  https://bit.ly/2DeYKEk
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全日空雫石事故.jpg
全日空雫石事故
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
興味深く拝読しております。
私は1968年生まれですが、小学校の教師が
『中曽根だけは政治家にあるまじき人間、ましてや総理大臣にでもなった日には日本がいずれ滅びる。そういうう意見を持つ人はたくさんいる。』と話されていたことがありました。今から考えるとその教師は自民党員だったと思うのですが、まだ4年生だった私には全く理解できず、しかし、とても強烈な印象が残ったのでよく覚えております。
中曽根はどのような人間だったのでしょうか。
そして私の教師は何故、123便事件の何年も前から的確な評価を成し得たのでしょうか。
とても気になります。
Posted by 風向次第によっては死ぬところでした at 2018年11月14日 00:21
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