します。EJでは、このテーマを3回にわたって取り上げました
が、基本的なことに変化はありません。ただ、青山透子氏の本に
よって、多くのことが裏付けられたといえます。そこで起きた6
つのことを再現します。
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1.護衛艦「まつゆき」から発進したとみられるミサイル標
的機が、JAL123便の垂直尾翼を破壊する。
2.JAL123便の高濱機長は、操縦困難の飛行機をコン
トロールし、横田基地へ緊急着陸しようとする。
3.浜松基地から発進し、123便を追尾していた2機の戦
闘機が横田着陸を阻止し、山の方向に誘導する。
4.123便はなおも不時着を試みようとするので、戦闘機
2機は123便にミサイルを発射し、撃墜する。
5.自衛隊は墜落場所が特定されないようニセの情報を流し
その間に特殊部隊が現場から証拠物を搬出する。
6.自衛隊特殊部隊が現場から立ち去るさい、火炎放射器を
使って、墜落現場を万遍なく焼き尽くしている。
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この「事件」、政府はあくまで「事故」といっていますが、こ
れは「事件」です。33年経っても解決していないからです。こ
の事件で、政府関係者、日本航空関係者、自衛隊関係者は、誰ひ
とり責任をとっていません。裁判も全員不起訴で、時効が成立し
ています。しかし、520人もの人が死亡しているのです。
ただ、事件はけっして風化していないのです。だからこそ33
年も経っているのに、青山透子氏の本をはじめとして、多くの新
事実が続々と出てきています。しかるにこの青山氏の主張を「陰
謀論」扱いし、葬り去ろうとする動きもあります。
この事件のキーは、羽田空港に戻ろうとしたJAL123便を
追尾した2機のファントム戦闘機の存在です。自衛隊はこの事実
を完全否定しています。自衛隊は、ファントム戦闘機の発進につ
いて、次のように述べています。
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1985年8月12日、19時01分、大中一佐、松永空将の
了解にて、スクランブル発信命令。空自百里F−4EJファント
ム戦闘機2機(第305飛行機、式地豊二将ら発進)。この時間
より以前、自衛隊はファントム機、ヘリなど発進させていない。
──青山透子著/河出書房新社
『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
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しかし、2機のファントムについては、青山透子氏をはじめと
して、角田四郎氏の本などでも明らかにされている多くの目撃情
報があり、否定のしようがないのです。しかも、かなりの低空で
123便の後を2機の戦闘機が追尾しているのです。まだ、夜に
なっておらず、大きな旅客機を追尾する2機の戦闘機はよく見え
たといっています。同じ情景を多くの人が目撃しているのです。
もし、それが自衛隊機ではないとしたら、どこの国の戦闘機だと
いうのでしょうか。
しかし、自衛隊としては、この2機のファントムの存在を認め
てしまうと、「自衛隊は関わっていない」という主張がすべて崩
れてしまうので、完全否定です。
青山透子氏は、とくに上記「6」について、あくまで客観的に
詳細極まる分析をしています。これを否定することは、本を読ん
だ人にはできないと思います。それほど詳しいし、それが正しい
ことを示す証拠はたくさんあるからです。政府事故調は、遺体に
ついては、あまり力を入れて調べておらず、青山氏の分析は、そ
れを補って余りある貴重なものです。
この墜落事件のことを詳しく知らない人たちは、「自衛隊がそ
んなひどいことをするはずがない」といって、あたまから信じよ
うとはしません。ここでいう「自衛隊」とは、正確には国、政府
を意味します。
護衛艦「まつゆき」から発進した標的機は偶然とはいえ、乗客
乗員524人が乗る旅客機の垂直尾翼を破壊し、操縦不能の状態
に陥れたのです。しかし、機長は4つのエンジンをコントロール
して、機首を立て直し、横田基地への緊急着陸態勢に入ったとこ
ろ、2機の自衛隊機にスクランブルをかけられ、御巣鷹山方向に
誘導されます。それでも、2機のファントムは、何とか不時着し
ようとする123便にミサイルを発射し、撃墜させたのです。そ
して、直ちに墜落現場に入ってミサイルなどの証拠品を回収し、
最後に生存者を含め、墜落現場を火炎放射器で焼き尽くしている
のです。あってはならないことですし、そんなことがあったと思
いたくはありません。しかし、墜落現場の状況、遺体の状況を詳
しく分析した結果は、それを裏付けているのです。
この事件のすべてが明るみに出るチャンスは、昨日のEJで述
べたように、民主党が政権を奪取したときです。しかし、そのと
き、最高責任者である中曽根康弘氏と当時の防衛庁長官の加藤紘
一氏は生存しており、それが公開のネックになったのではないか
と思われます。なお、中曽根元首相は、現在も健在であり、この
事件については、「墓場まで持って行く」といっています。
なお、自衛隊と民間航空機のからむ事件といえば「雫石事件」
があります。1971年(昭和46年)7月30日、午後2時に
発生した航空機事故です。自衛隊機と全日空の航空機の空中衝突
事件です。自衛隊機が民間航空路上で訓練していたことが原因で
乗客乗員162人を乗せた千歳発羽田行き全日空ボーイング72
7型機に自衛隊機が衝突したのです。明らかに、自衛隊側に非が
あります。自衛隊機の操縦士はパラシュートで脱出して無事でし
たが、乗客乗員162人は全員死亡したのです。
実は、この航空事故にはウラがあります。このテーマの最後に
この「事件」について明らかにすることにします。
──[日航機123便墜落の真相/060]
≪画像および関連情報≫
●ネットで語り継がれる機長の言葉、事故の記憶
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コントロールを失った飛行機は、右旋回や左旋回を繰り返
しながら不安定な飛行を続けていた。それでも機内には、懸
命な操縦を続ける機長や副操縦士たちがいた。緊張の続く現
場の会話の中で、やがて機長は誰にいうともなくつぶやく。
「これはだめかも分からんね」
1985年8月12日、日本航空123便は御巣鷹の尾根
に墜落した。今年はそれからちょうど20年目にあたる。墜
落による犠牲者は520人に上り、日本航空史上では最悪の
事故だと言われている。
年月が過ぎたとはいえ、いまウェブ上で検索すれば事故の
情報をいくらでも収集できる。ネット上では当時の事件を報
じる新聞画像、墜落現場の写真などが見つかる。たった4人
の生存者のうちの1人による証言なども読むことができる。
そんな中に、操縦席の会話を記録したとされるボイスレコ
ーダーの音声を公開しているサイトがある。異常発生から墜
落まで約30分の音声を短くまとめて再生したもので、ウェ
ブでは事故機の飛行ルートも重ねて表示している。
ボイスレコーダーの記録自体は、事故後15年を経過した
時点で報道向けに公開された。サイト運営者はこうした音声
ファイルをもとに、コンテンツを編集したようだ。会話内容
は当時新聞などに掲載されたものとぴったり符号している。
https://bit.ly/2DeYKEk
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全日空雫石事故
私は1968年生まれですが、小学校の教師が
『中曽根だけは政治家にあるまじき人間、ましてや総理大臣にでもなった日には日本がいずれ滅びる。そういうう意見を持つ人はたくさんいる。』と話されていたことがありました。今から考えるとその教師は自民党員だったと思うのですが、まだ4年生だった私には全く理解できず、しかし、とても強烈な印象が残ったのでよく覚えております。
中曽根はどのような人間だったのでしょうか。
そして私の教師は何故、123便事件の何年も前から的確な評価を成し得たのでしょうか。
とても気になります。
冒頭の6項は、第4873号の内容の再掲だが、それに対してはコメント済み。
以下、今号での平野氏の説明に関してコメントします。『・・・』の中は今号からの引用、その下に私のコメント。
A,『しかるにこの青山氏の主張を「陰謀論」扱いし、葬り去ろうとする動きもあります』。
私は「陰謀論」とは思わない。もっと単純に、非科学的・非論理的・主観的なフィクション(小説)と評価している。文章表現は確かに巧み。
B,『2機のファントムについては、青山透子氏をはじめとして、角田四郎氏の本などでも明らかにされている多くの目撃情報があり、
・・・・・かなりの低空で123便の後を2機の戦闘機が追尾している』
まず、藤枝市の女性の目撃情報は、第4850号に対するコメントに述べたとおり作り話。
青山著「墜落の新事実」P111の自衛隊の一等陸曹M・K氏の証言によると、「実家の我妻郡東村の上空を午後6時40分頃ファントム2機が低空飛行していった」。
我妻郡東村は上野村から北へ約60kmだから、
浜松基地を発進して我妻郡東村の上空を飛んでいるなら、東北に向かっていることになり、時間的にみても、日航123便に対する追尾とは無関係。
仮に、入間基地発進だとしても、西へ向かっていることになり、結論として同じ。
上野村小学生の作文の内容は、時刻を記憶違いしていることを第4851号に対するコメントで指摘した。
これら3件以外には、ファントムらしき目撃情報は青山著にはない。
いずれにしても、迷走する日航機がどこへ行くのかわからないのに、ファントムが上野村の上空付近に先回りして待ち伏せすることもありえない。
角田著「疑惑」のP55に、「西空に・・・・ごく小さな機影が北西に向かって」と記されている目撃情報は、おそらく1機のみで、
日航機の旋回を見たすぐ後だから18時45分頃とすれば、角田氏が居た梁川駅近くのキャンプ場から上野村へは北西方向へ約60kmなので、
小さな機影は日航123便より遥かに早く(50分頃に)上野村の上空に達するから、これも日航123便に対する追尾とは無関係。
C,『青山透子氏は、とくに上記「6」について、あくまで客観的に詳細極まる分析をしています。これを否定することは、本を読んだ人にはできないと思います。』
私は、第4873号に対するコメントも含め、青山説の主要部分が誤りであることを具体的に指摘している。
青山著は、詳細ではあるけれど、客観的とは言えず、主観に基づく根拠のない仮説を成立させるために無理をしている。
私は、青山著の6冊を全て(図書館から借りて)読んだ上で批評し、これまでのコメントで指摘した以外にも誤りは多数あるが省略した。
私同様に批判する人は多々あるが、馬鹿馬鹿しくて、彼らは青山著を買わない。
D,ご承知と思うが、青山氏は「遺物は真相を語る」に続いて「圧力隔壁説をくつがえす」と題する著書を出している。
この中で青山氏は、事故調報告書別冊の付録―6、P116にある図に表示されている「異常外力着力点」という言葉を取り上げ、
事故調は垂直尾翼が外からの力で破壊したことを認めていた、と論じている。
これは、構造力学の用語「外力・着力点」の意味を誤解し、付録―6の内容も理解できない、極めて幼稚な屁理屈で、
構造力学を履修した人なら大学生でも大笑いしそうな馬鹿げた解釈です。
青山著「圧力隔壁説をくつがえす」は、それ以前の著作と同様に非科学的・非論理的な著作になっている。
事故調報告書別冊の付録―6の全体は、圧力隔壁破壊による内圧上昇で垂直尾翼が破壊する力を解析している。解析の結論は誤りだが。
E、これもご承知と思うが、青山氏の最新の著作「JAL裁判」では、遺族・吉備素子氏が原告として提起したDFDRとCVRの生テープの開示請求の訴訟を扱っている。
吉備氏の請求自体が無意味なものなので控訴審まで敗訴になっているが、この訴訟に関し青山氏の著作数点が原告側裁判資料として提出されている。
自著が虚構の産物であることを認識しない馬鹿げた対応であり、裁判官はこれらを虚構の物語と認識した可能性もあり、
この訴訟自体が青山氏の著作のネタ作りに利用されている。
2023,10,19―2
鷹富士成夢