2018年10月30日

●「墜落現場は自衛隊の支配下にある」(EJ第4879号)

 JAL123便墜落事件について書かれている本はたくさんあ
りますが、青山透子氏の本は別として、EJがここまで何回も取
り上げている本に次の優れた著作があります。
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     角田四郎著/『疑惑/JAL123便墜落事故
   /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
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 角田四郎氏はどういう人なのでしょうか。
 角田四郎氏は、サラリーマン生活を経て、フリーのプランナー
として独立していますが、ライフワークとして山岳歩行記、山岳
酪農の研究、日本古代史の研究を志し、雑誌などに投稿していま
す。つまり、登山は専門家なのです。
 角田四郎氏は、1985年8月19日に御巣鷹山の墜落現場に
行っています。墜落してから7日後のことです。それは、角田氏
の友人K氏から、「一緒に御巣鷹山に行ってくれないか」と頼ま
れたからです。どうしてかというと、K氏の恋人がJAL123
便にスチュワーデスとして乗務しており、墜落事件で、亡くなっ
ているからです。
 しかし、彼女は親には自分(K)のことはいっていないため、
日航は「乗客家族同等」の扱いをしてくれず、仮に遺体安置所の
ある藤岡に行ったとしても、遺体確認もできないし、待合所にも
入れない。もちろん、泊まるところもないそうです。だから、何
とか墜落現場に行って慰霊をしたいというのです。それは途方も
なく困難なことであることはわかっているが、角田氏なら登山の
経験が豊富であるので、何とか墜落現場に行けるのではないかと
懇願されたのです。
 実は、角田氏は、友人のK氏から、深夜に六本木のバーに呼び
出され、その話を聞かされています。角田氏は簡単には返事がで
きなかったそうです。危険だからです。しかし、角田氏はJAL
123便墜落事件について何となくもやもやした気持ちを抱いて
いたのです。釈然としなかったからです。
 角田氏は迷いに迷ったそうです。角田氏は、そのときの思いを
次のように述べています。
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 16日の朝刊に現場を訪れた乗客遺族のことが大きく報道され
ていたのも知っていた。藤岡でじっと待つこともできなくなった
両親のことである。少年を一人で日航機に乗せたそうだ。友人は
その藤岡へすら行けないのである。同情だけで危険を冒してよい
ものであろうか。警察などにより入山を拒否されるではないか。
社会的道義的に見てどうなのだろうか。それにわけもなく恐ろし
くもあった。500人以上が亡くなった所である。
 一方で友人の想いはいかばかりであろうと考えてしまう。愛す
る者を想う気持ちは御両親の思いと、どれ程の違いがあろう。比
較するべきものでもないし、できるものでもない。にもかかわら
ず、社会的にはまったく問題にされない部外者なのである。(中
略)朝、いつの間にか10時を過ぎていた。もう限界であった。
「角田さん、行ける所まででも行かない限り、この人は一生悔い
を残しますよ。生きていた人がいたのに、彼女は何故生き残れな
かったのか・・・ってね!」   ──角田四郎著の前掲書より
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 結局、角田氏は、この店主の言葉でK氏の申し出を引き受ける
ことにしたのです。しかし、登山の経験のないK氏は、途中で高
山病特有の症状に襲われ、あと5分というところで、墜落現場ま
で行くことはできなかったのです。結局、角田氏だけが墜落現場
に登り、K氏に代わって恋人の慰霊を果したのです。
 角田氏には、この決死の登山でわかったことがたくさんあると
いいます。理解できないこともいくつもあり、それが『疑惑』と
いう本の執筆につながることになるのです。それが何であるのか
について述べることは、この事件の解明にもつながるので、それ
をまとめると、次の4つになります。
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 1.角田氏と友人は、墜落事故現場に行く途中で、2人の年配
  の群馬県警機動隊員に会っている。親切に対応してくれたが
  本当に機動隊員であったかどうかは不明である。
 2.そのとき、墜落現場周辺にいた自衛隊員は、19日現在、
  13日に山に入ってから、一度も入れ替えなしでそのまま働
  き続けていることが隊員の口から判明している。
 3.隊員たちのテントには「神奈川県警機動隊」と書かれてい
  るが、ナイフのケースや水筒のヒモには「〇〇師団」と書い
  てあり、靴は軍靴であったことがわかっている。
 4.事故調最終報告書の救援活動の項目に、各協力団体が記載
  されているが、警察庁・群馬県警が協力を要請した県警のな
  かに神奈川県警の名前は入っていないのである。
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 墜落後一週間が経過しているので、いろいろな団体が墜落現場
に立ち入っています。角田氏のような一般人も入ることはできて
います。しかし、現場の支配権は、群馬県警ではなく、自衛隊が
握っているのです。角田氏は次のように述べています。
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 墜落場所。そこは戦場でもなければ自衛隊演習所でもない。群
馬県内国有林の司法権は群馬県警にあって自衛隊にはない。しか
し、この山の支配者は自衛隊であり、全てが自衛隊によって動か
され、牛耳られていたのである。U字接触点の嶺に向かう沢にも
自衛隊員が配備され、入域を押さえていたのである。墜落後6日
目の話である。1日、2日は県警の配備が遅れても理解できるが
一週間にならんとするのに立入禁止域を自衛隊が勝手に作り、勝
手に隊員を配備している。しかも、同じ自衛隊のほかの部隊です
ら、入山させていないのである。 ──角田四郎著の前掲書より
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         ──[日航機123便墜落の真相/049]

≪画像および関連情報≫
 ●JAL123便墜落事故の真相/地球情報局
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   青山透子氏(元日航客室乗務員)ブログ:「あの事件をう
  まく隠ぺいした人は異例の昇進をし、それを追及した人は辞
  職を強要されたそうです。正直な人が辞めさせられて、ずる
  い人が残るとすると、本当にひどいですね。」
   あの日1985年(昭和60年)8月12日、JAL12
  3便に、一体何が起こったのか?事件の背景は?それを知る
  ことは、大きな目覚めになる。「我々は高度にマインドコン
  トロールされ、慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ」
  と。この世界の現実について予備知識の全く無い人が、この
  JAL123便事件の真実をいきなり知ってしまうと、一時
  的に精神のバランスを失うかもしれない。価値観はひっくり
  返り、後生大事に持っていた常識は崩壊する。コメント欄に
  は、そんな人達からのdesperate comment が山ほど寄せられ
  る。中には工作員らしき人物からの撹乱メッセージも。(彼
  らのコメントを公開することは益々混乱を招くと思われるの
  で、現在は公開を控えている。)
  今まで通り「自身の『常識』という殻の中で幸せに生きて行
  きたい」という人はここから先は読まない方が良い。ご自身
  に人生がひっくり返るような事件が起きたとき初めて、この
  JAL123便事件の真実を受け入れられるかもしれない。
  そして『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福
  な人生とは?この世界から争いが消え、真の平和を築くには
  どうすれば良いのか?その答えが見つかる。
                  https://bit.ly/2OcewBT
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角田四郎氏.jpg
角田四郎氏
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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