2018年10月26日

●「『影の軍隊』は果して存在するか」(EJ第4877号)

 JAL123便墜落事件には、33年も経っているのに、まだ
明らかになっていないことがたくさんあります。添付ファイルの
新聞を見てください。これは、1985年8月13日付、日本経
済新聞夕刊です。見出しは次のようになっています。
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                   生存者7人発見
       日航機残がい 山腹に散乱/群馬長野県境
    ──1985年8月13日付、日本経済新聞夕刊
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 8月13日といえば、JAL123便墜落事件の翌日の夕刊で
す。驚くべきことに「生存者7人」となっています。生存者は4
人のはずです。しかし、当初は「7人」だったのです。ところが
とくに何の説明もないまま「4人」になったのです。あと3人は
どこに消えたのでしょうか。
 9月28日のEJ第4858号では、事故当日の8月12日の
夜に仲間と一緒にオフロードバイクに乗って、JAL123便が
墜落した御巣鷹山の現場に入ったMさんの話を取り上げました。
 その時点では、123便の墜落場所は判明していなかったので
すが、既に現場には70〜80人の自衛隊とみられる隊員がおり
何か作業をしていたのです。それは、明らかに乗客乗員の救出で
はない作業です。そのときの様子について、まとめた部分を再現
します。
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 1.墜落現場では、自衛隊とみられる70〜80人が暗視ゴー
  グルを付けて何やら現場から“破片”とみられるものを採取
  する作業をしていた。何を採取していたのか。
 2.自衛隊員とみられる一団は、当時現場には50人ほどの生
  存者が呻き声を上げて苦しんでいたにもかかわらず、救助し
  ようとはせず、破片採取に専念していたこと。
 3.墜落現場近くの上空にはヘリがホバリングしており、自衛
  隊員が採取した物質を入れたバッグを数十個単位で釣り上げ
  て運搬していた。明らかに救助ではないこと。
 4.Mさんと2人の仲間は、生存者10人ほどと話しをしてい
  るが、そのなかには、指を負傷しただけとみられる男性もお
  り、すぐ死ぬような状況でない人もいたこと。
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 重要なことですが、このMさんの入った墜落現場は、御巣鷹山
の山頂部分の現場とみられます。少なくとも、4人の生存者が救
出されたスゲノ沢の現場ではないことは確かです。なぜかという
と、スゲノ沢は相当距離が離れており、山頂からは見えないから
です。まして夜間のことであり、見えるはずがないのです。
 そうであるとすると、完全遺体でない遺体の多かった山頂の墜
落現場にも相当数の生存者がいたことになります。実際にMさん
は生存者の何人かと話しており、生存者のいたことは確かです。
 それでは、この山頂の墜落現場に入って作業をした自衛隊とみ
られる部隊は、どのような任務を持つ部隊なのでしょうか。これ
については、池田昌昭氏が「影の軍隊」と称して、次のように記
述しています。
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 航空自衛隊からは、戦闘機や、統制機等が参加。戦闘機のスク
ランブルと、侵入機に見立てての訓練実施の可能性。統制機と航
空基地指令との連絡態勢。
 陸上自衛隊からは、ゲリラ戦専門部隊出動の可能性。グリーン
ベレー特殊部隊は、山岳地帯での行動を専門とする。その行動内
容は、すべてを含む。サバイバルは言うに及ばず、武器習熟、隠
蔽工作等々、軍事超人の出現である。
 なぜこのように、先にカムフラージュ部隊が出動したのであろ
うか。その理由は何なのか。
 理由はただ一つ。バレたときに備えての方策をあらかじめ考え
てのことだった。つまり正式部隊の展開の前に、それを一時スト
ップさせておき、その一方でカムフラージュ部隊が、都合の悪い
証拠物件をすべて回収してしまったということなのである。
 逆に言えば、このカムフラージュ部隊の動きが、JAL123
便墜落事故のすべてを知っているので、あとから出動したたとえ
ば陸上自衛隊の本隊部隊は、現場に近づくことを阻止され、すべ
ての証拠隠滅が終了してから、現場に入ったということなのであ
る。すべての隠蔽工作が終わるまでには、翌13日の午前8時ぐ
らいまで必要だった。それまでは救助部隊の投入は押し止められ
た。もちろんそのことに伴って、墜落現場特定も翌日の午前5時
ぐらいまで引き延ばされていた。   ──池田昌昭著/文芸社
          『御巣鷹山ファイル3/空白の14時間』
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 自衛隊にこのような「影の軍隊」のようなものがあるとすると
この123便墜落事件で大きな役割を果たした浜松基地から発進
したという2機のファントム戦闘機は、まさしく航空の影の軍隊
に属するのです。横田基地に着陸しようとする123便にスクラ
ンブルをかけて山岳地帯に誘導し、最終的にミサイルを発射して
撃墜するなど、大活躍をしています。自衛隊がその存在を否定す
るのは当然です。
 実は、いち早く墜落現場に入った陸上の影の軍隊は、13日の
朝になって本物の自衛隊が現場に到着してからも、現場に残って
本物の自衛隊と一緒に作業したことがわかっています。証拠の写
真もあります。本物の自衛隊は救助を行い、影の自衛隊は標的機
とミサイルの痕跡を示すものの撤去と役割は分かれていますが、
見た目は大勢の自衛隊員が救助作業をしているように見えます。
 そのとき、影の自衛隊員が子供の生存者を抱いている写真があ
ります。しかし、その後、この子供がどうなったのかについては
まったく不明です。なお、山頂の現場からは一人の生存者も出て
いないのです。子供はその後どうなったのでしょうか。
         ──[日航機123便墜落の真相/047]

≪画像および関連情報≫
 ●なぜ、7人が4人に減ったのか/123便の生存者
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   7人であるか、8人であるかは分からない。少なくとも、
  4人以上であることは確かだ。御巣鷹の日航機123便生存
  者の可能性である。当時の日経新聞にもはっきりと一面トッ
  プに出ているではないか。その検証は、必要だ。何故、その
  ニュースが消えたか?
   消えたのではなかろう!消したのだろう。記事を消したの
  は許そう。命を消すことは許せない。3人はその後どうなっ
  たのか?徹底解明が求められる。情報の交錯なら、その事実
  を明らかにすべきだ。誤報なら、誤報の経緯を解明すべきで
  ある。それが蓉として為されていないのは、大きな疑問であ
  る。はたして正確な調査・報道があったなら、こういう事に
  はならなかったであろう。隠されたものは顕れるのである。
  しかし、調べれば調べるほど、到底、明らかに出来ない闇の
  事情が垣間見える。そう感ずるのは投稿者だけであろうか。
  しかし、真実は明かされる必要がある。その理由は簡単だ。
  まっとうな人間は、偽善に生きることを潔くしない。真理は
  真実にこそ宿る。        https://bit.ly/2SgVKfL
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1985年8月13日/日本経済新聞夕刊.jpg
1985年8月13日/日本経済新聞夕刊
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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