2018年10月25日

●「墜落現場での4つの不可解な状況」(EJ第4876号)

 JAL123便の墜落現場の状況には、不可解なことが多いと
青山透子氏は指摘しています。それを4つにまとめます。
─────────────────────────────
 1.遺体は墜落現場の広範囲に広がっていたが、それらの遺体
  に沿うように大火災になっている。
 2.ディズニーランド帰りの乗客が多かったが、お土産のミッ
  キーマウスは意外に燃えていない。
 3.燃料貯蔵箇所の左右主翼から遠いところまで燃えているが
  遺体のない場所では燃えていない。
 4.生存者が発見された場所は、山頂からはまったく見えない
  場所で、火災は全然起きていない。
─────────────────────────────
 青山透子氏は著書のなかで事実しか述べていません。したがっ
て読者は、その事実から青山氏がいわんとしていることを読み取
る必要があります。
 1の「遺体に沿うように大火災になっている」というのは、遺
体に対して、墜落後火炎放射器のようなもので、火炎を吹き付け
たのではないかということです。どうしてこのようなことをする
必要があるのでしょうか。
 まして、123便の高濱機長は、最後まで不時着を試みている
ことがわかっており、事前に少しずつ燃料を減らしていることは
確実で、朝まで燃えるような大火災になどならないはずです。
 2は遺体に対して何らかの火炎を吹き付けたことの傍証になる
ものです。墜落現場では、当然燃えてもいいはずのものが燃えず
に残っているのです。
 1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園している
ので、その2年後ということで、123便の乗客にはディズニー
ランド帰りの人が多く、墜落現場ではそのお土産のミッキーマウ
スが散乱していたといわれます。ミッキーマウスは化繊でとても
燃えやすいはずですが、燃えていないのです。遺体だけに火炎を
吹き付ければそうなります。
 3は、発火源であるはずの燃料貯蔵箇所の左右主翼のある近く
でもあまり燃えておらず、それとは逆に左右主翼からかなり離れ
ているところでも燃えているところがあるとの指摘です。いずれ
にしても、遺体のない場所は燃えていないのです。
 ちなみに、客室乗務員の制服はほとんど燃えていなかったとい
われます。服の素材は果して不燃布なのでしょうか。遺体は炭化
しているのに服は燃えていないスチュワーデスの遺体もあったと
いいます。しかし、青山透子氏は、そのような話は訓練所でも聞
いていないとして次のように述べています。
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 紺色のワンピースが燃えずに綺麗な状態で残っていたというが
よほどその印象がつよかったのだろう。「あの制服は燃えないに
違いない」と確信するほど、11名の女性客室乗務員の服装は焼
けていなかったということになる。実はその時、私は疑問を持っ
たのである。普通のニットの素材であったし、私も訓練所でもそ
ういう話は一切聞いていない。もし、そのような素材ならば、エ
マージェンシー訓練の際に必ず言われていたはずである。なぜ、
スチュワーデスの制服がいずれも綺麗な状態だったのだろうかと
私の心にその言葉がずっしりと重く残った。
               ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 ここで「あの制服は燃えないに違いない」といったのは、その
とき現場で精力的に歯型の検死活動を行っていた土肥福子歯科医
師(当時木村福子)です。群馬県歯科医師で警察医である大国仁
医師の助手として検死に活躍していたのです。
 その土肥福子氏は、機長の遺体の制服について、次の疑問を呈
しています。
─────────────────────────────
 それから機長さん、あれは本当にわからなかった。どうしてな
んでしょうね。副操縦士さんとか、隣の席でもそこまでひどくな
い。機長さんは私たちのところにきたのも、服も何もなくなって
骨のこれだけしか検死箱に入ってなかったですから。制服はどこ
に行ったのでしょうね。         ──土肥福子歯科医
         ──青山透子著/河出書房新社の前掲書より
─────────────────────────────
 これは奇怪なことです。コックピット内の操縦席で、機長の隣
の席に座っていた副操縦士やすぐ後ろの席の航空機関士は、服装
や所持品で身元確認ができたのです。遺体は炭化していましたが
欠損はなかったといいます。
 しかし、機長については、肉体的原形をとどめないほどバラバ
ラになっており、遺体も顎の一部しか発見されず、制服のかけら
も燃えカスすらも発見されていないのです。これは、一体どうい
うことなのでしょうか。
 少なくともいえることは、墜落現場の遺体の状況は、飛行機が
山の斜面に激突したままの状態ではなく、その後、人為的に何か
が加えられていることは確実だということです。
 4は生存者の発見された場所です。青山透子氏によると、機内
の客席最後部(Eコンパートメント)だけが、墜落現場からかな
り離れたスゲノ沢方面に滑落し、山頂からはまったく見えない場
所であったということです。この場所は、火災が発生していない
のです。おそらく墜落場所に最初に乗り込んだ一団(自衛隊特殊
部隊といわれる)は見落したのではないかと考えられます。
 このスゲノ沢の遺体の状態は「完全遺体」が多かったことから
墜落直後は、相当の生存者がいたと思われます。そのことは生存
者の一人である落合由美氏の証言で明らかになっています。もっ
と早く自衛隊が救助活動に入っていたら、きっと多くの生存者が
出たものと思われます。
         ──[日航機123便墜落の真相/046]

≪画像および関連情報≫
 ●墜落遺体/御巣鷹山の日航機123便
  ───────────────────────────
   「何だこれは・・・」毛布の中から取りだした塊を見て、
  検視官がつぶやく。塊様のものを少しずつ伸ばしたり、土を
  落としたりしていくうちに、頭髪、胸部の皮膚、耳、鼻、乳
  首二つ、右上顎骨、下顎骨の一部、上下数本の歯が現れてき
  た。二歳くらいの幼児。顔の損傷が激しく、半分が欠損して
  いる。それなのに、かわいい腰部にはおむつがきちっとあて
  がわれている。
   五二〇人という数字も大変だが、実際に回収される遺体は
  数千体にもなっている。「目が三つある死体があるのですぐ
  来てください」中には一週間もたっていないのに白骨化して
  いるのもある。
   連日の猛暑のため、遺体に蛆が湧き、腐敗の進行も早いた
  め、数日後からの回収遺体は原形をとどめていないものが多
  く、確認作業は困難を極めた。焦点が合わないんです」写真
  担当の若い巡査が、カメラを両手でもったまま泣きべそをか
  いている。           https://bit.ly/2Pg9gSu
  ───────────────────────────
  ●画像出典/青山透子著/河出書房新社の前掲書より

遺体安置所で検死する木村福子歯科医.jpg
遺体安置所で検死する木村福子歯科医
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(2) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
平野浩様


「日航123便墜落の真相」と題する、2018年の一連の記事78件を興味深く読ませていただきました。 
これらは第3段とされていますので、将来、第4段も予定されているものと推察します。

この78件の中で引用された書籍の記事は、大部分は私も読んだことがあり、全体として的確に整理されたと感じ入りましたが、これらについて私の意見を以下に述べさせていただきます。

誤解を避けるために予め述べておきますが、私は、事故調の「圧力隔壁破壊説」は誤りであり、日航機の垂直尾翼が破壊したのは垂直尾翼の上端に何らかの飛翔体が衝突したためと考えていますし、自衛隊の不可解な対応にも大きな疑問を感じています。
また、池田著や青山著などの内容について疑問を呈すると、感情的に反発する人もありますが、私の意図は合理的・科学的に真実を知ることで、それ以上のことではありません。

以下、記事の順に沿って、コメントさせていただきます。


第4843の末尾に、「しかし、報告書の各論の部分には事実を述べている部分も多い。写真や資料などについてもそのことが言える。」と述べられている点には概ね賛成です。
具体的に例を挙げると、DFDRの解読結果には問題はないが、別冊の「付録ー1}、「付録ー4」、「付録ー6」の解析はデータの捏造があり誤りと考えています。

第4849で、乗客が撮った窓外の写真について紹介されています。この写真の下部に写る海岸線は逗子・鎌倉付近で、日航機は三浦半島東端上空を、高度3800メートル付近を真南に向かって上昇中であることが確認できます。写真に写る黒点について、青山著では何らかの飛翔体が日航機に向かって飛んでくると解説しています。
この時、日航機は秒速180メートルの飛行中であり、シャッタースピードを1/125としたら、その間に1.4メートル動いています。飛翔体の直径を1メートルとしたら大きくブレて写るはずですが、ブレがないから、この黒点は、フィルムの傷もしくはゴミです。

第4850で、藤沢市の女性の目撃情報を紹介されています。
「「キャーン、キャーン」と2回にわたり、女性の金切声のような音を聞き、空を見上げると、目の前を低く右斜めに傾きながら、巨大なジャンボジェットが低空で飛んでいたといいます。窓がはっきり見えるほどの低空でしたが、飛行そのものは、安定しているように見えたとしています。」
飛行機の窓ガラスは新幹線よりも分厚く、機内の叫び声が機外に聞こえる事はありえません。これほどの超低空飛行なら、多くの人が目撃したはずなのに、そのような情報は記録されていません。直ぐ上を低空で飛んでいたら、エンジンの轟音が聞こえたはずなのに、それがありません。この女性が青山氏を訪ねてきて、この話をしたのは事故から30年も経った2015年です。全体として、不自然で作り話としか考えられません。
池田著と角田著には、焼津市と静岡市の目撃情報が記されていて、こちらは不自然なところがありませんが、焼津・静岡と藤枝は経路としてつながりません。。


第4851で、上野村の小中学生の書いた作文について記されています。子どもたちは、大人の話やテレビ報道から得た情報も含めて想像で事故前後のことを記していて、直接に見たことばかりではなく、割り引く必要があります。上野村の人家のある場所からは、墜落直前の日航機の旋回は見えませんから、大人の目撃情報は皆無です。
日航機の墜落後、米軍の輸送機C130Hが現場付近を旋回し、自衛隊機が飛んでいたのも確認されていますから、これらを子どもたちが見たことは確かと思います。


第4852の末尾付近で、「現場にはガソリンとタールをまぜたような強い異臭がしていたそうだ。」と記されています。墜落現場では、燃料のケロシンだけでなく、機体内装のプラスチック、遺体の肉、なぎ倒された樹木、少し残った油圧オイルなど、多様なものが燃えて複雑な臭いがしていたことが想像できます。このような中で、「ガソリンとタールをまぜたような強い異臭」とはどのように判断できたのでしょうか?機体残骸が広く散乱している中で、どの場所で異臭を感じたのでしょうか?

第4953の末尾に、「現場に派遣された2人の話ではこの墜落機の尾翼部分に『模擬弾』が当たった跡があったらしく、尾翼が発見された周辺にも『米軍の模擬弾』と見られる物も一緒に見つかったそうです。」と記されています。
「尾翼」とは、「水平尾翼」と「垂直尾翼」のどちらでしょうか?「垂直尾翼」なら、最後に残った前縁下部で、これに側面から当たったのでしょうか?水平尾翼に真上から当たったのでしょうか?日航機が急旋回して急降下中に当たったなら、機体の飛行経路から外れて落ちていたはずです。『模擬弾』と判断した根拠は何でしょうか? いずれにしても、私には、『模擬弾』がどのようにして当たり、尾翼がどのように離脱して現場で収納されたのか想像ができません。

第4869の末尾付近で、「(青山氏が)墜落現場の遺物をたくさん持ち帰り、精密検査をしたところ、多量のベンゼン環が発見されたのである」と記されています。
この部分は、青山著の「遺物は真相を語る」に載っていることですが、検査のために地元の人から預かったのは「たくさん」ではなく2個です。
ここで疑問は、遺物の採取場所・日時および保管状況が不明なことで、これでは試料価値が減じます。検査では微量に残る表層のガス成分を抽出しており、事故から長時間を経ており、採取後に付着した成分も、蒸発して失われた成分もありえます。また、青山著の、GC-MS分析によるベンゼンなどの有機物とICP-MS分析による硫黄は、タイヤのゴムが燃えて生じた可能性もあります。

第4871で、元自衛隊員の話、「「群馬県東村の実家に帰省中、8月12日の午後6時40分ごろ、上空を航空自衛隊のファントム2機が低空飛行していった」と記されています。
これは疑う余地はないと思いますが、日航133便との関連はわかりません。他に、角田氏の目撃情報にも戦闘機らしきものがありますが、これも日航123便との関係がわかりません。

炭化遺体に関する堀越豊祐氏の意見には私も同意できます。青山氏が主張する2度焼きには根拠がないと思います。

青山著「遺物は真相を語る」のP49で、「筋肉や骨まで炭化し、二度焼きした形跡がある。」と記していますが、長時間焼けたら筋肉が炭化するのは当然で2度焼きと決める根拠にならないし、まして、カルシュームを主成分とする骨が高温で焼けてもカーボンに変化することはありません。

第4876に「墜落現場での4つの不可解な状況」が記されていますが、私には、特に不可解とも思えません。
青山著「遺物は真相を語る」のP82〜83に、墜落現場での遺体の散乱状況を図示し、「事故調報告書にもとづき作成」と記しています。
しかし、事故調報告書には墜落現場の機体残骸の散乱状況と樹木の焼損区域などは示していますが、遺体は示していません。
遺体に関する情報は法医学の観点も含め警察の管轄であり、青山氏はなんらかのルートで警察からの情報を得ています。
情報をどのように得て、どのように解析し、どのように現場の図に示したのかを説明されていないので、第3者が評価できません。


青山氏の著作には、根拠の曖昧な推測の積み重ねが多く、事実関係を丁寧に読み分ける必要があります。

私は、垂直尾翼破壊原因の究明と、そのための相模湾海底の再調査が重要と考えています。


                          2023,9,23      鷹富士成夢





Posted by 鷹富士成夢 at 2023年09月23日 14:09
平野浩様

以下、『・・・』の中は、今号の記事からの引用。その下に私のコメント。


A,『1.遺体は墜落現場の広範囲に広がっていたが、それらの遺体に沿うように大火災になっている。』

遺体の散乱範囲と火災による焼損区域とは合致していない。遺体のない場所でも広く焼けている。
焼損区域は、燃料タンクのある両主翼の散乱域に関係している。
これらのことは、青山著「遺物は真相を語る」P82〜83と飯塚訓著「墜落遺体」P56の図で明らか。

B,『2.ディズニーランド帰りの乗客が多かったが、お土産のミッキーマウスは意外に燃えていない。』

ミッキーマウスが何個機内に持ち込まれ、そのうち何個が燃え、何個が燃えなかったのか、確かめずにこの判断はできない。
子どもたちの席は、主に前部のAコンパートメントまたはBコンパートメントだが、この部分の炭化遺体数は乗客数の約3分の1。
仮に、30個持ち込まれ10個が燃え20個が残っていたなら、地元消防団の人から見れば意外に多く残っているような印象を受けたはず。

C,『3.燃料貯蔵箇所の左右主翼から遠いところまで燃えているが遺体のない場所では燃えていない。』

青山著と飯塚訓著の図を見ると、遺体の無い場所でも広く燃えている。
主翼から離れた所も焼損しているのは、墜落の衝撃で主翼が分解して燃料も分散したため。

D,『4.生存者が発見された場所は、山頂からはまったく見えない場所で、火災は全然起きていない。』

墜落場所は「山頂」ではなく、西から東へ急勾配で下る尾根筋の途中。
機体は機首からとんぼ返りをするようにして地面に激突し、ドアのある部分から折れて全体が5つに分かれ、そのうち最後部が遠く離れた位置まで滑り落ちていった。
最後部に火災が起きていないのは、この地点には燃料が届かなかっただけ。
完全遺体が多く生存者もいたのは、最後部は機首の激突地点から樹木を倒しながら滑り落ちているので衝撃が和らげられているため。
このことは、青山著と飯塚著の図を見れば明らか。

E,『青山透子氏は著書のなかで事実しか述べていません。』

ここまでのコメントで具体的に述べたように、青山著の主要部分は、事実誤認、情報解釈の誤りの羅列で、虚構の物語。
真相に関係のない周辺情報については、事実であろうと思われる。

F,『客室乗務員の制服はほとんど燃えていなかったといわれます。』

客室乗務員の席は、一般乗客とは逆に後ろ向きで、安全ベルトは3点止め。従って、墜落時の衝撃で身体が座席から離れることはなかったので、完全遺体が多いのが当然。
客室乗務員の身体は座席に保護されているので、仮に頭部のみが焼損しても首から下は制服と共に残る可能性が高い。

G,『墜落現場の遺体の状況は、・・・・・・・・・その後、人為的に何かが加えられていることは確実だ』

この主張に合理的根拠はなし。
具体的に、遺体のどの部分がどのような状況になっていて、それは人為的に何かが加えられているせいだという説明が青山著の何処にもない。
それらしき記述は、火炎放射器という架空の物語だけ。

H,『おそらく墜落場所に最初に乗り込んだ一団(自衛隊特殊部隊といわれる)』

そのような集団が乗り込んだ可能性はない。
地上から地元住民に知られずに入ることは不可能。
夜間に空から入ろうとしても当時の自衛隊にそのような部隊は存在しないし、
仮に、集団でヘリから降下したら、長野県警ヘリ、朝日新聞ヘリ、読売新聞ヘリが飛んでいるから気づかれる。
第4859号に対するコメントのE項で説明したように、
自衛隊の習志野空挺団73人が現場へ懸垂降下したのは、午前9時ごろから10時少し前で、それ以前に集団が降下した可能性はない。


  2023,10,17―1
          鷹富士成夢
Posted by 鷹富士成夢 at 2023年10月17日 14:04
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