面を下から上へ駆け上がるように不時着したと考えられます。高
濱機長が「頭を上げろ、フラップアップ!」と叫んでいたのは、
機首が下がると山に激突してしまうからです。機首を少しでも上
げることによって、山の斜面への激突を回避しようとしていたか
らです。激突では、全員死亡が確実になってしまうからです。
青木透子氏は、123便の遺体の分散状況をていねいに調べて
遺体の損傷別に統計をとっています。本来このような調査は政府
の事故調が責任をもって行うべきですが、事故調は遺体について
は、通り一遍の調査しかしていないのです。最初から真実を追求
しようという気持ち自体が事故調には欠けています。
添付ファイルをご覧ください。まず、機内の客席状況を次のよ
うに、前方から4段階に分けています。
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A ・・・ 1F: 48名
2F: 16名
B ・・・・・・ 81名
C ・・・・・・ 127名
D ・・・・・・ 89名
E ・・・・・・ 144名
──青山透子著/河出書房新社
『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
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Xの棒グラフは、座っていた席別(コンパートメント別)の遺
体の状況を示しているグラフです。遺体の状況は次の3つに分か
れています。
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1. 完全遺体
2.ほぼ完全遺体
3. 離断遺体
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これを見ると、2階席を含むA、Bでは、完全遺体は8体のみ
(5・5%)、ほぼ完全を含めても19体(13・1%)しかあ
りません。遺体の損傷度はかなり高く、85・5%が、離断遺体
(バラバラの遺体)です。機体前方は、どうしても正面から突っ
込むことになり、遺体の損傷は激しくなります。
機体の中央のBとCについては、完全遺体60体(29%)、
完全とほぼ完全を加えると102遺体(49%)となり、機体の
前方(A、B)よりは完全遺体が多くなります。しかし、この部
分の離断遺体は114遺体で、その比率は55%とかなり高い数
字です。これは、ミサイルによる破壊が原因ではないかと考える
見方もあります。
しかし、機体のEの乗客・乗員144名に関しては、完全遺体
は127体(88%)であり、ほぼ完全を加えたときの比率は、
93%、ほとんどが完全遺体の状況です。
JAL123便の墜落状況について、青山透子氏は次のように
述べています。
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飛行機は前方のAコンパートメントから激突して、ひっくり返
り、B、C、Dとそれぞれぶつ切り状態となって転がり、一番後
ろのEコンパートメントだけが、スゲノ沢方向に機体ごと背中か
らジェットコースターのように木々をなぎ倒しながら一気に滑落
していったのである。
最も見てほしい部分は、生存者が発見された場所である。最後
部のEコンパートメントに座っていた144人は重なり合い、そ
の遺体状況はほぼ完全な遺体であったと記録されている。実はこ
こは山頂からは全く見えない場所で、沢へ滑落して深い森の木々
に囲まれている。すぐそばに第1エンジンと第2エンジンが2つ
も転がっていたにもかかわらず、さらにジェット燃料の貯蔵部分
の右主翼の一部があるにもかかわらず、燃えていないのである。
つまり、他の遺体と異なり、「ジェット燃料で燃えた」という
ことよりも、むしろ山頂から見えないところだったので、燃えな
かったと言わざるを得ない状況である。同じように、燃料貯蔵部
分の左右の主翼を見ていくと、左主翼のところも燃えていない。
右主翼はその周辺が燃えている。 ──青山透子著の前掲書より
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続いて、Yの棒グラフをご覧ください。これは、コンパートメ
ント別の炭化遺体と火傷の遺体の数を表しています。既に述べて
いるように、通常飛行機墜落事故で、炭化遺体はあり得ないので
す。火炎放射器でも使って燃焼させない限り、遺体が炭化するこ
とはないのです。
グラフを見ると、突出しているのはCです。127名中62遺
体(49%)が炭化遺体になっています。さらに、2階席を含む
A、B、145人の45遺体(31%)も炭化しています。全体
としての炭化の状態について、青山透子氏は本に次のようにまと
めています。
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亡くなった乗客のみを分析すれば身元未確認2人を除く503
人のうち、確認された炭化は116人、火傷は41人、それ以外
の遺体(不明または燃えていないもの)は346人となり、全体
の約3分の1が燃えた状態であった。
──青山透子著の前掲書より
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ここで注目すべきは生存者4人のいた場所です。そこはスゲノ
沢といい、山頂からはまったく見えない場所です。つまり、墜落
現場に最初に入った自衛隊(特殊部隊?)は、夜のことであり、
スゲノ沢に滑落した飛行機の部分を見落とした可能性が十分あり
ます。だから、助かったのではないか。ここは、火災も起きては
いないのです。なお、山頂の方にも生存者がいたという情報はあ
ります。 ──[日航機123便墜落の真相/045]
≪画像および関連情報≫
●乗員乗客の壮絶な遺体確認作業の記録/JAL123便
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1985年8月に発生した日航機墜落事故を題材にしたド
キュメンタリーである。著者の飯塚氏は、当時遺体確認作業
の陣頭指揮をとった警察関係者である。
飛行機が単独で起こした事故としては航空史上最悪の惨事
となったこの墜落事故。これに関する書籍は非常に多く出版
されている。ジャーナリストがマスコミの視点で書いた物、
機体に起こった現象について航空工学の専門家が詳しく分析
した本、亡くなった乗員乗客の遺族が、思いをつづった本な
ど。しかし、遺体確認作業の詳細を綴った本はなかなか出版
されなかった。きっと、遺族への配慮なども考慮してのこと
だったのだろう。
現場で回収された遺体や遺品は、全て地元の中学校の体育
館に集められた。真夏の猛暑の中、マスコミの視線を遮るた
めに全ての窓を閉め、暗幕を張って関係者以外の出入りが一
切禁止となった。連日40°Cを超える体育館の中で繰り広
げられた遺体確認作業は壮絶な物だった。亡くなった人は後
に520名と判明したが、ほとんどの遺体は墜落の衝撃でバ
ラバラの肉片と化し、原形をとどめた遺体はわずかだった。
急遽、全国の歯科医に協力を要請し、カルテの提示とポータ
ブルのレントゲン撮影機の手配が行われた。
https://bit.ly/2Cx7gyg
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JAL123便墜落事故/遺体の状況