と略記)を「妄想の世界」として陰謀論扱いにしている本が多く
出ています。確かにその内容が事故調の最終報告書と大きく異な
ることや、そのやったと思われることが、あまりにもおぞましい
というか、口にするのも憚られることなので、この事件をよく調
べていない一般読者が読むと、陰謀論になってしまうのです。
EJでこの事件を取り上げるのは3回目ですが、その内容は基
本的には陰謀論といわれる内容に沿っています。それはあくまで
仮説レベルに止まっていたのです。しかし、青山本は、今まで仮
説にしか過ぎなかったことを、その膨大な証言によって裏付ける
ことに貢献しています。JAL123便を追尾する2機のファン
トムなどはその典型です。これは、多くの目撃証言によって裏付
けられています。
炭化遺体についてはどうでしょうか。
元共同通信社記者の堀越豊裕氏は、2018年の新年早々、東
京のある出版社において青山透子氏に会っています。そのとき、
堀越氏は炭化遺体の写真を見せられています。そのときの様子に
ついて堀越氏は次のように書いています。
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「きょうはちょっと、内部情報、写真を持ってきたんですけど
たぶんそれを見たらわかっていただけるかな」と。
青山はそう言い、手元から当時の新聞のコピーやいくつかの写
真を取り出し、テーブルに広げた。
「どこまでが事実で、どこまでが想像なのかとか思われること
がおありだと思うんで。これ100パーセント真実なんで。それ
は申し訳ないんですけど、膨大な資料があって、引き出しを開け
ればいくらでもある」
そう強調して示された新聞のコピーは事故から間もない時期の
ものだった。日にちが前後する複数の記事を読み比べると矛盾や
不審点があるという説明だった。ある日の新聞記事に出ていた事
象が、後日の記事では抜け落ちていたり、意味が変わったりして
いる点を指していた。
炭化して真っ黒焦げになった遺体の一部という写真も見せてく
れた。サッカーボールぐらいの形や大きさに見え、人間の形では
ない。遺体安置所で撮影した写真とみられ、白いひつぎがたくさ
ん並んでいた。
飛行機の燃料だけではこんなに焼けるはずがないと示す目的の
写真だったが、日航機事故では、遺体の損傷がひどかったという
のはよく知られる。
写真の遺体は確かに真っ黒焦げだが、大量の燃料を積んだ旅客
機が山に激突して、炎上すれば、これぐらい炭化しても不思議で
ないと私には思えた。彼女はおかしいと言った。「これ、ご遺体
に見えますか。明らかに夏山で普通にケロシンで焼かれたとは全
く思えない、っていうより成分が違うんですよ」
──堀越豊裕著『日航機123便墜落最後の証言』
平凡社新書/885
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炭化遺体を見せられて堀越氏は、「日航機事故では、遺体の損
傷がひどかったというのはよく知られているが、大量の燃料を積
んだ旅客機が山に激突して炎上すれば、これぐらい炭化しても不
思議でない」といっています。つまり、素人的な感覚から一歩も
出ていないのです。事故調の説が正しいという観点に立つと、そ
れに反する主張にいくらでも反論できるのです。
たとえば、自衛隊が認めていないが、多くの目撃者がいる2機
のファントムによる123便の追尾や、墜落現場特定の遅れにつ
いて堀越氏は、自衛隊員の話が載っているという『上毛警友』/
1985年10月号を読んでいます。彼は青山本については、よ
く調べているといえますが、一番大事なところで、逃げている感
じがします。「お上のやっていることは間違いない」と思ってい
るのでしょうか。
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閲覧すると、確かに「一等陸曹」の肩書きを持つ男性が実名入
りでその旨を語っていた。警察の部内誌なのだから、適当に選ん
だ人でもないのだろう。「群馬県東村の実家に帰省中、8月12
日の午後6時40分ごろ、上空を航空自衛隊のファントム2機が
低空飛行していった」と明確に書いている。東村は現在東吾妻町
になり、上野村の北方に位置する。
日航機の取材では、意味のある話を聞ける期待がありそうかど
うかは脇に置いて、とにかく会える人にはすべて会おうという意
気込みで臨んできた。この隊員が当時20代とすれば、今は60
代になっている。会ってみるアイデアも即座に頭に浮かんだが、
連絡先を調べることすら簡単でないだろう。仮に会えたとしても
聞くべきポイントは、2機の戦闘機が日航機墜落の前に飛んでい
たか、後に飛んでいたかだけである。彼に「間違いなく6時40
分ごろでした」と言われたら、それ以上に検証するすべがない。
そう思って諦め、前橋を後にした。(中略)
だが、日航機の捜索や調査は衆人環視の中で進められた。撃墜
や誤射といったような重大な事態を30年以上も秘しておけるも
のものなのか。 ──堀越豊裕著の前掲書より
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日航機墜落事件では、123便を追尾する2機のファントムの
存在は、疑惑解明の重要なカギを握っています。堀越豊裕氏は、
123便を追尾する2機のファントムの目撃者の一人である自衛
隊員の手記を読み、青山本の書いていることの正しさを確かめな
がら、ヘンな理屈をつけて、その自衛隊員に会いに行こうとして
いません。もし、会って「事実は間違いない」といわれたら、こ
の事件の見方が大きく変わってしまうからです。
それに日航機の捜索は衆人環視のもとで行われてはいないし、
33年経っても真偽が明らかにされないからこそ、いま蒸し返さ
れているのです。 ──[日航機123便墜落の真相/041]
≪画像および関連情報≫
●科学的常識から権力犯罪を疑う/小川洋氏
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さて日本において、科学的常識からしてありえない公式見
解が出され、公的な検証が終わっている事件としては、19
85年8月に発生した日航123便の墜落事故がある。その
事故報告書が科学的な検証に耐えうるものだと考えるものは
ほとんどいない。
事故報告書では、事故機はボーイング社による修理を受け
ていたが、その修理にミスがあったのが原因だったとする。
羽田から大阪に向かうべく上昇していた事故機の後部隔壁に
亀裂が入り、加圧されていた客室から垂直尾翼に向けて激し
い空気の流出があり、垂直尾翼を破壊し、油圧系統もすべて
使えなくなった結果、操縦不能となり墜落に至った、という
ものである。我々は高層ビルでエレベーターに乗れば、耳の
異常を感じる。高度一万メートルで、突然、機内から大量の
空気が流出すれば、激しい耳の痛みを生ずるだけでなく、酸
素不足から直ちに意識を失うはずである。しかし、生存者の
証言や機長らの交信記録から、そのような状況が、発生しな
かったことは明らかだ。この7月、元日本航空の乗務員だっ
た青山透子氏による『日航123便墜落の新事実』が出版さ
れた。副題は「目撃証言から真相に迫る」である。青山氏は
2010年に『天空の星たちへ/日航123便/あの日の記
憶』(マガジンランド)を上梓し、亡くなられた元同僚への
鎮魂の文と、ジャーナリストなどによって指摘されてきた事
故の疑問点を取り上げている。 https://bit.ly/2IYFYly
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123便/コックピット内計器
傷がひどかったというのはよく知られているが、大量の燃料を積んだ旅客機が山に激突して炎上すれば、これぐらい炭化しても不思議でない」といっています。つまり、素人的な感覚から一歩も出ていないのです。
・・・ ↑ あのぉ、素人的な感覚ではなく常識的な感覚です。朝鮮人の青山と、その仲間たちが、いくら「捏造証言」したところで、グリコ森永ハウス事件の締めとしての、北朝鮮によるハウス社長暗殺目的の爆破テロである事は揺るがない。