2018年10月15日

●「闇に潜みし者は一体何をやったか」(EJ第4868号)

 JAL123便の墜落事故──いや、あえて「事件」と書くこ
とにします。123便が墜落にいたる一連のプロセスにおいて、
事故として起きたことは、ミサイル標的機が123便の垂直尾翼
にぶつかり、同機の垂直尾翼を破壊したことだけです。
 しかし、事故調の最終報告書では、ボーイング社の圧力隔壁修
理ミスと金属疲労により、JAL123便が飛行中に圧力隔壁が
破壊し、それによる急減圧で噴出した空気が瞬時に垂直尾翼を吹
き飛ばしたという「圧力隔壁破壊説」を結論としています。
 ところがここまで検討してきているように、これに関する疑問
点、矛盾点は数多くありますが、事故調は主張を頑として曲げず
垂直尾翼に外部から何かが衝突したのではないかという可能性す
ら、まったく検討していないのです。
 垂直尾翼の破壊によって操縦不能になった123便は、高濱機
長による神業ともいえる操縦によって機体を立て直し、横田基地
の許可をとって、横田飛行場に着陸しようとしますが、浜松基地
から発進した2機の自衛隊戦闘機によって、横田への着陸を阻ま
れ、山の方向に誘導されます。
 ここで「自衛隊」とか「政府」とかいう言葉は、使いたくない
ので、あえて「闇に潜みし者」という表現を使います。もしやっ
ていることが真実であると、人道にもとる残酷な行為であるから
です。闇に潜みし者は、なぜ、横田への着陸を認めなかったので
しょうか。もし横田基地に降りていれば、たとえ胴体着陸であっ
ても、相当多くの生存者が出たと思われます。しかし、闇に潜み
し者にとっては、横田着陸には米軍が絡むので、何としても避け
たかったのです。
 闇に潜みし者としては、あくまで標的機が123便にぶつかっ
た痕跡を隠したかったのです。しかし、それと引き換えに520
人もの尊い命が失われています。もし、これが本当であるとする
と、闇に潜みし者は、人道に反する行為をしたことになります。
それに、何度もいうように、闇に潜みし者は、浜松基地発進の2
機のファントム戦闘機の存在を認めていないのです。しかし、こ
れには多くの目撃情報があり、動かし難い事実です。あったこと
をなかったことにしようとしているのです。
 横田基地に着陸できず、山の方向に向った123便ですが、そ
れでも高濱機長をトップとする123便のコックピットは、広大
なレタス高原への不時着を試みますが、レタス高原には人がいて
降りられず、次の不時着地点を探して、飛行を続けるのです。つ
まり、何としても山への激突は避けたかったのです。
 しかし、闇に潜みし者の狙いはあくまで「乗客乗員全員死亡」
です。死人に口なしであり、生存者はいない方が都合がよいから
であり、標的機の衝突がバレないで済むからです。ところが、1
23便はどこかに不時着しようとしている。少しでも生存者を増
やすためです。そこで闇に潜みし者が決断したのは、追尾する2
機のファントム機からのミサイル発射です。
 これについて、池田昌昭氏は「ミサイルによる強制撃墜」と題
して次のように書いています。
─────────────────────────────
 御巣鷹山付近に懸命に操縦杵を握り、不時着もしくは、なだら
かな高原への胴体不時着を決意したJAL123便操縦クルーに
とって、また乗客にとって最期のときが近づいていた。
 樹木をクッションにして、かなり水平姿勢で不時着できたかも
知れないJAL123便にとって、人為的で物理的なちからが外
部から加わって、墜落の決定的要因となった。
 それはまた墜落原因だけではなく、御巣鷹山への墜落に先立つ
おそらく1分から2分か前に、撃ち込まれたと思われる撃墜ミサ
イルの破壊力により、機体前部・中部付近の乗客は機内で粉砕さ
れた。そして私は、この撃墜ミサイルは、あるいは2発、撃ち込
まれたのではないかと想像する。いずれも、不時着寸前のJAL
123便にたいして、機体右後方から2発撃ち込まれたものと思
われる。
 エンジン出力を絞って、スピードを落とし、フラップを出して
不時着態勢にあったJAL123便の最終段階近くに、ミサイル
が機体に撃ち込まれた際の「ガーン」という衝撃音があったはず
である。それはコックピットにも聞こえたと思われる。その「ガ
ーン」という衝撃音は、ボイスレコーダーには記録されていない
のだろうか?
 ジャンボ機は、ボーイング社の軍用輸送機の発想から出発して
いる。その機体構造は頑丈であり、機体金属材質も銃弾を跳ね返
すくらいに頑丈なのかも知れない。空飛ぶ戦車とまではいかなく
とも、相当頑丈だとみてよい。    ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル3/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 多くの人が生存できる可能性の高かった横田基地への着陸を阻
んだだけでも人道にもとる行為です。それを生存者が出るのを恐
れて、満身創痍の123便に対して、ミサイルを撃ち込むという
のですから、恐ろしい話です。
 なぜ、それが疑われるかといえば、他の航空機の墜落事故の遺
体の状況もひどいものですが、123便の遺体があまりにも悲惨
の一言に尽きるからです。しかも、機体の前後、中部と、機体後
部の乗客・乗員の死傷レベルに相当大きな差があるのです。池田
昌昭氏は「人為的なミサイルなどによる機内爆発以外には考えら
れない」と述べています。
 しかし、青山透子氏の本を読むと、このこと以上に恐ろしいこ
とが書かれています。闇に潜みし者は、生存の可能性が十分あっ
た横田基地着陸を阻止しただけではなく、その後も123便を追
尾し、何回も不時着を試みようとする123便に対して、ことも
あろうに、2発のミサイルを撃ち込んで、強制墜落させたといわ
れています。青山氏の本では、それに加えて闇に潜みし者がもっ
と恐ろしいことをしていることを強く示唆しています。
         ──[日航機123便墜落の真相/038]

≪画像および関連情報≫
 ●自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真
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   自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81
  年から73パーセントも増加している。(一省庁のなかで1
  年間で90人。これだけの自殺者が出るのは、不自然であり
  不審であるが、報道すらされなかった。
   最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、2人の航
  空自衛隊パイロットだった。そしてつづいて同年9月12日
  14日と航空自衛隊員が2人自殺する。これを皮切りに謎の
  自殺数増加がはじまる)。
   そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた2
  枚の写真があるのだが、1枚は7月に自殺した同僚2人の写
  真(a)である。
   この時の状況だが、2人は自殺をはかった直後に発見され
  自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も
  検視解剖もされなかった。だが、この写真の異様さに気づく
  だろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなに
  もない、しかもパラシュートコードを使ったというが、この
  コードは6ミリで、00キログラム近い耐力があり、首への
  食い込みは、太いロープなどと違い血管も神経も切断する。
  それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送す
  るまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人と
  も遺書は残していない)。    https://bit.ly/2QSkTw3
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自衛隊員の持っていた2枚の写真のうちの1枚.jpg
自衛隊員の持っていた2枚の写真のうちの1枚
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
北朝鮮がグリコ森永ハウス事件の締めとしてハウス社長暗殺のためにJAL123便を爆破したのに、朝鮮人の池田の妄説プロパガンダを信じて、どうする?  冷静になって多方面から検証して下さい。
Posted by 桐田 at 2018年10月15日 08:14
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