イルの標的機が、JAL123便の尾翼に衝突し、123便は尾
翼と油圧を失い、操縦困難に陥ります。これは操縦機能を失った
に等しいのです。そのため、尾翼は飛行機のなかでも非常に頑丈
に作られています。あの「ハドソン川の奇跡」を成し遂げた元U
Sエアウェイズの機長であるチェスリー・サレンバーガー氏は、
「ほとんど操縦不可能である」といっています。
しかし、123便の高濱機長は、エンジンは問題がないので、
飛行機を空気抵抗の強いところまで、高度を落とし、何とかエン
ジンをコントロールして、横田飛行場か羽田空港の近くまで戻っ
てきたのです。これはまさに神業そのものといえます。連絡を受
けた横田飛行場では、万全の準備をして、123便を待ち受けて
いたのです。油圧が効かないので車輪が出ず、必然的に胴体着陸
になるので、火災に備えて、消防の準備まで整えていたのです。
さて、以下は、『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛
隊が撃墜した』(文芸社刊)の著者、池田昌昭氏による諸資料に
基づく仮説の世界の自衛隊内部のやり取りです。少し長いですが
そのウラ側の事情がわかるので、引用します。
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・JAL123便の様子は
・右旋回中で、羽田か横田に緊急着陸するかも知れません。
・スクランブル発進は既にしていると思うが、なお、試運転護衛
艦『まつゆき』の訓練態勢下、もしくは支援下にある自衛隊機
に出動させ、JAL123便を追跡し、逐一JAL123便の
様子を報告させるように。
・いや、JAL123便を誘導するように。羽田や横田に着陸さ
れると困る。
・交信内容は
・「操縦不能」を東京航空管制部に連絡しています。
・米軍は交信内容を傍受し、把握しているか。
・そのはずです
・都合の悪い交信の時は、妨害電波を出せるか。
・出せます。
・米軍は行動しているか。
・既に付近を飛行中の米空軍C−130輸送機が横田基地に連絡
しています。
・羽田や横田に着陸されるとまずい。
・東京航空管制部は名古屋着陸を打診したが、JAL123便は
羽田に戻ると言っています。
・横田基地が近い。
・操縦士は横田着陸を試みるかもしれない。
・それはまずい。左へ誘導し、横田や羽田から遠ざけるように。
・極限状態にありながら、操縦士は機体を立て直し、横田への着
陸コースに乗っています。このままいくと、うまく横田に着陸
するかも知れません。
・横田に着陸されたら万事休すだ。民間機の横田への着陸は米軍
の軍事上と付近民家の問題で着陸できないと言い、山岳地帯へ
誘導するように。
・誘導の自衛隊機は何機か。
・2機です。
・自衛隊機は、JAL123便と交信するように。
・はい、そのように誘導させます。
・自衛隊機はどこから発進したか。
・浜松基地からです。
・何分ころか。
・午後6時31分に浜松基地を発進しています。
──池田昌昭著/文芸社
『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
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会話の中に2機のF−4EJファントムが登場します。午後6
時31分に浜松基地を発進し、そして、自衛隊高官の指示にした
がい、JAL123便を追尾します。そしてJAL123便にス
クランブルをかけます。ちょうど123便が横田基地に最も近づ
いた18時47分の時点です。添付の123便の航跡図をご覧く
ださい。そして山岳地帯に誘導するのです。
もし、JAL123便に対してミサイルを発射したとすれば、
この2機のF−4EJファントムということになりますが、自衛
隊は、多くの目撃情報があるにもかかわらず、この2機の存在を
否定しています。自衛隊は2機のF−4EJファントムを発進さ
せていますが、時間が約30分異なるのです。
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◎諸情報による推理
18時31分/浜松基地発進
F−4EJファントム2機
◎自衛隊の公式発表
19時05分/百里基地発進
F−4EJファントム2機
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標的機がJAL123便の尾翼にぶつかったのは、わざとでは
なく、ミスであったと思われます。それなら、自衛隊は、その事
実を認め、謝罪すべきだったのです。しかし、真実を公開すると
おおごとになります。
それに、当時は米ソ間で緊張が高まっており、日米はそれに備
えて、密かにミサイルの性能向上の研究開発実験をやっていたの
です。誘導ミサイルの開発です。公表すれば、そのこともバレて
しまうことになります。時の政権は、米国はレーガン政権、日本
は中曽根政権、いわゆる「ロン・ヤス」の時代です。米軍と自衛
隊の軍事的関係が緊密になろうとしてきた時期です。結局、自衛
隊というより日本政府が隠蔽に加担することになります。
──[日航機123便墜落の真相/030]
≪画像および関連情報≫
●事故ではなく、犯罪の隠蔽である
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日航123便航空機事故は国際刑事裁判の案件である。日
本航空123便は、墜落したのではなく、山腹への胴体着陸
という不時着である。過去の航空機事故で、離陸直後や着陸
時の事故では生存者がいるが、飛行中からの墜落では生存者
は一人もいない。生存者がいたということは、123便は不
時着したのだ。日本航空123便は4名の生存者が出て、生
存者の証言では事故直後には他にも多数の生存者がいたとい
う。8月12日の18時56分26秒に123便は群馬県多
野郡上野村の高天原山の尾根に不時着。救護隊が遭難現場を
発見したのは翌13日の4時で、救出が始ったのが、8時す
ぎ。1995年8月、当時123便を捜索したロッキードC
−130輸送機に搭乗していた元在日アメリカ軍中尉は、同
機が事故現場を特定していたこと、米軍座間基地から、飛び
立った救難ヘリが現場に到着していたこと、そして、日本政
府がこの救難作業を断ったことを証言している。この元在日
アメリカ軍中尉の証言は、生存者の一人の落合由美さんの手
記とも符合する。 https://bit.ly/2R9QvOA
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横田基地に最も近い場所で方向転換