2018年09月25日

●「測量するヒマがあれば降下すべし」(EJ第4855号)

 JAL123便の墜落場所が特定できたのは、8月13日、午
前5時10分ということになっています。これは、自衛隊が後に
なって発表したものです。しかし、この自衛隊の発表は、とても
信じられるものではありません。なぜなら、20日のEJで述べ
たように、12日の19時以降に日米の軍用機4機が墜落現場上
空に達しているからです。日米の軍用機と墜落現場への到着時間
を再現します。
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 1.   C−130(横田基地) ・・・・ 19:10
 2.  F4−EJファントム2機 ・・・・ 19:21
 3.KV−107ヘリ(百里基地) ・・・・ 20:42
 4.KV−107ヘリ(入間基地) ・・・・  0:36
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 このうち「2」の自衛隊F4−EJファントム2機については
墜落する前から123を追尾しており、このことは多くの目撃情
報があるのです。そして、墜落後、その現場上空を20分かけて
旋回しながら、その位置情報を基地に送っています。にもかかわ
らず、軍用機でありながら、正しい墜落場所を伝えきれていない
のです。123便ほどの大きさのジャンボジェット機が山に墜落
すれば、大火災が発生します。それは夜目に明らかであり、それ
を目撃しながら、その位置を正しく伝えられないなどということ
は考えられないことです。
 F4−EJファントム2機が現場上空から去った約1時間20
分後の20時42分には、百里基地から空自のKV−107ヘリ
が墜落現場に到着しています。百里基地というのは、茨城県小美
玉百里・与沢にある航空自衛隊の基地です。ちなみに2010年
からは、茨城空港として、民間共用飛行場になっています。
 はっきりしないのは、この空自のKV−107ヘリは、どのよ
うな情報に基づいて、正確に墜落現場を特定できたかです。情報
は、横田基地の米軍C−130からも、F4−EJファントム機
からも、もたらされているはずです。そうであるとすれば自衛隊
ともあろうものが、現場を特定できないなどということは考えら
れないことです。それに空自のKV−107ヘリは救難用です。
その救難用ヘリが現場上空に達しながらも、危険と判断して現場
を降りようとせず、現場から離脱しています。どうして、離脱し
たのでしょうか。これは、上層部から、帰還の指示があったとし
か、考えられないことです。
 ところで、8月13日の「東京新聞」朝刊は、12日に墜落現
場から帰還した百里基地のKV−107の操縦士、大森泉一尉の
インタビューを次のように掲載しています。
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 記者:現場に着いたのは
 一尉:20時42分です。
 記者:場所はすぐわかりましたか
 一尉:山の中腹に炎が10ヶ所出ていた。夜といっても、まだ
 明るさがあるので、山のりょう線がはっきり見えた。
           ──1985年8月13日付、東京新聞
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 『プレイボーイ』誌は、この件について、実にていねいに調査
して記事にしています。同誌は、米軍関係者の話として、次のよ
うに書いています。しかし、娯楽系の雑誌の情報なので、その信
用性を疑った人もいるかもしれませんが、『プレイボーイ』誌の
記事内容は非常に正確です。角田四郎氏の本から、その部分を引
用します。
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 われわれは基地(横田)のレーダーから日航機の機影が消え、
ついで、輸送機(C−130)からの第1報が入ると、ただちに
基地内にいる3人の医官、3人の医療関係者、500ポンドの医
療装備品を用意し、いつでも飛べる状態にあるヘリのわきで待機
させた。また475ABW災害対策チームは、警備官、捜索救難
チーム、火災防止スペシャルチームのコマンドスタッフによって
編成され、これまた、いつでも出動できる態勢になっていた。わ
れわれは、3日間待ったが、日本側からの出動要請は、ついにな
かった。
 私の友人に数人の横田基地軍人がいた。その中の一人は、制服
組の中尉である。このノバック中尉に当時のことを聞いたことが
ある。編成は厚木基地の軍人も動員され、30分以内にスタンバ
イ(出動準備完了)したという。厚木からは軍用ヘリ3機が人や
資材を運んだという。スタンバイ完了とともに、日本側3ヶ所に
そのむね伝えたという。『週刊宝石』85年9月13日号によれ
ば、「19時45分、横田基地救難調整センターは、自衛隊入間
基地に対し『レスキュー隊が待機中、要請あれば出動すると通告
した』とある」。
 ノバック氏は事故後に日本に着任した人だから、これは記録に
よるものらしい。ノバック氏は自衛隊に気をつかいながらも「も
しアメリカ軍なら、火を目標に飛びますね。測定は人を降ろして
からで充分です。現場は消えてなくなるわけじゃないが、人の命
は消えます」。つまり測量よりも、人員投入が先というわけであ
る。ノバック氏はさらに「われわれなら降下困難なら、そこから
一番近い降下場所を見つけて降下させ、後は上空から彼らを現場
に誘導するでしょう。基地に戻ったりしたら、笑いものになりま
す・・・」と語ってくれた。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
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 「米軍なら、位置の測量をしているヒマに現地に降りる」──
これは、米軍から自衛隊に対する痛烈な皮肉です。その測量が正
しいならともかく大間違いなのですから、自衛隊の責任は、すこ
ぶる厳しいものにならざるを得ないのです。
         ──[日航機123便墜落の真相/025]

≪画像および関連情報≫
 ●JAL123便事故/機長の判断や捜索・発見まで
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   墜落から約20分後の19時15分頃、米空軍C−130
  輸送機が、群馬・長野県境付近の山中に、大きな火災を発見
  と上空位置での横田タカン方位(305度)・距離(34マ
  イル)を航空自衛隊中央救難調整所に通報。19時21分ご
  ろ、航空自衛隊の百里基地を緊急発進したF−4戦闘機の2
  機も、墜落現場の火災を発見して、上空位置での横田タカン
  方位(300度)・距離(32マイル)を通報した。
   これらの航空機が通報に利用した「横田TACAN」とは
  設置された極超短波電波標識(超短波全方向式無線標識)な
  どを基準にした方位と距離から、現場の上空位置を搭載の距
  離測定装置で測定したものである。本来これらの設備や機器
  は、航空機の航法用として用いられており、この墜落現場の
  位置報告は正しい情報であった。
   墜落から約1時間後の19時54分に、救難・救助のため
  見切り発進した百里基地救難隊のKV−107ヘリコプター
  は、46分後の20時42分に現場上空に到着した。20時
  33分になって、救難調整本部(東京空港事務所長)から、
  航空自衛隊へ航空救難の要請(災害派遣要請)が行われた。
  しかし、当時のKV−107救難ヘリは両側面のバブルウィ
  ンドウ横に、救難用ライト4灯を装備して夜間の救難作業は
  可能だったが、赤外線暗視装置などの本格的な夜間救難装備
  の無いことなどを理由に、事故当夜の救難員が降下しての救
  助活動は行われなかった。    https://bit.ly/2O4AxGI
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墜落現場に降りない救難ヘリ.jpg
墜落現場に降りない救難ヘリ
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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