123便の墜落現場には、ヘリを含む日米4機の飛行体が現場上
空に飛来し、位置情報を送っています。墜落現場上空に到着した
順に並べると、次の通りになります。
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1. C−130(横田基地) ・・・・ 19:10
2. F4−EJファントム2機 ・・・・ 19:21
3.KV−107ヘリ(百里基地) ・・・・ 20:42
4.KV−107ヘリ(入間基地) ・・・・ 0:36
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123便の墜落現場の上空に一番早く到着したのは、横田基地
所属のC−130輸送機です。19時10分に墜落現場から横田
基地に一報を入れています。操縦していたのは、アントヌッチ空
軍中尉です。このアントヌッチ空軍中尉は、後になって重要証言
をすることになります。彼は、そのまま現場上空を旋回し、ひた
すら横田基地からの「救助せよ」の指示を待ったのです。
続いてやってきたのは、茨城県百里基地所属のF4−EJファ
ントム2機です。19時21分のことです。20分にわたる旋回
で位置情報を送っています。
このように書くと、123便をずっと追尾してきたF4−EJ
ファントムだと誰でも思うはずです。しかし、自衛隊は、これら
2機が百里基地を発進した19時5分以前には、一機のファント
ムやヘリを発進させていないと断言。自衛隊のいうことが正しい
とすると、あの多くの目撃情報は何なのでしょうか。
続いてやってきたのは、同じ百里基地から飛来した救難用ヘリ
KV−107です。このヘリは高度1650メートルまで降下し
て墜落現場の状況を調べています。最後にやってきたのは、墜落
現場から一番近い入間基地所属の救難用ヘリです。到着は13日
の0時36分です。墜落現場がわからなくて大騒ぎになっている
のですから、もっと早く発進すべきであったといえます。
これらの4機は、いずれも墜落現場の位置情報を送っています
が、これについて、角田四郎氏は、自衛隊の乗客・乗員の救助の
あり方に強い疑問を呈しているのです。
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同じ航空自衛隊でも、さらに墜落現場に近い埼玉県の入間基地
から、13日になった午前0時36分、同型ヘリKV・107が
飛んだ。今度は入間基地のTACANをとって、さらに夜間でも
はっきり上空から見える目標物を近くに求め、その距離をTAC
ANで調べる。地図上の距離とTACAN測定の誤差を出し、そ
の比で墜落現場を決めるという手の込んだことをやった。
後に判明したのであるが、このとき出した「入間タカンから2
19度、36・3マイル」というのはドンピシャリ本当の墜落現
場を指していたのである。ここで一つ疑問なのは何故、より現場
に近い入間基地からはこんなに遅くなるまで一機も発進しなかっ
たのかということと、最初から横田、入間両TACANからの距
離を測定していれば、さらに誤差は小さかったのではないのかと
いうことである。
13日午前1時頃には、現場が確定できていたはずのこの情報
が、またもやどこかで操作されてしまう。今度は「現場はぶどう
峠の210度、3マイル。御座山南斜面」北斜面が南斜面になり
現場から西へ7キロもはずれている。いったい何事であろうか。
実は、米軍機を含め計4機が行った計測の中に長野県御座山を指
したのは指したものは1件もないのである。
──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
/このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
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重要なことは、これら4機の墜落場所の測定は、若干の誤差は
あるものの、ほぼ正確だったということです。とくに入間基地所
属のKV−107ヘリの位置計測はドンピシャリだったのです。
したがって、4つの情報を合わせて位置が判明しないことはあり
得ないことです。まして「長野県御座山」を指したのは、一機も
なないのです。それなのに、どのような情報を入れてもNHKは
「墜落地点は御座山付近」を繰り返すのみです。明らかに、フェ
イクニュースであり、正確な墜落場所の特定を遅らせようとして
いるとしか思えないのです。
航空自衛隊では、現場から上げられてくる情報は、航空幕僚監
部空幕運用室に送られます。運用室には、当時、副幕僚長の大村
空将以下、30〜40名の幕僚がつめて全体の指揮と調整を行っ
ていたのです。ここを通すと、どのような情報も、「長野県佐久
付近」に化けてしまうのです。そのため、メディア各社の報道は
いずれも次のようなものになってしまいます。
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航空自衛隊からの連絡によると、123便は長野県佐久付近
に墜落した模様である。 ──報道会社の報道
──角田四郎著による前掲書より
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添付ファイルを見ていただくとわかるように、123便墜落現
場と御座山とは、県も違いますし、距離も相当離れています。し
かも、4機の日米の軍用機が測定したデータがすべて間違ってい
るはずがないのです。これは本当の墜落場所を意図的に隠そうと
したとしか思えないのです。
さて、墜落現場に一番早く到達し、「救助せよ」の指示を待っ
て現場上空で旋回していたC−130のアントヌーチ航行士に対
して横田基地から意外な指示が届いたのです。それは、次のよう
なものでした。
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諸君は直ちに帰還せよ。JASDF(航空自衛隊)の救難ヘ
リがそちらに向っている。──角田四郎著による前掲書より
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──[日航機123便墜落の真相/023]
≪画像および関連情報≫
●多くの証言から浮かび上がる疑惑
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奇跡的に生還した川上慶子さん(当時12歳?)の証言。
同乗していた両親が亡くなったので島根の祖母宅へ帰ったと
きの話。「墜落したあと、ふと気が付いたら、周囲は真っ暗
だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生き
ていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の
光が近ずいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意
識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の
人は、誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた」。
慶子さんから上記の話を聞いた祖母はご近所のひとに伝えた
らしい。しかし「慶子は夢でも見たんじやろう。」で終わっ
てしまった。
エンジンがバラバラになりすぎている。乗客の遺体の損傷
が激しすぎる。事故直後に、日航の技術者が現地入りしてい
る。会社の上司の人で同窓生にJALの整備士と自衛隊の人
がいて、この二人は事故現場に派遣されて捜索に加わってた
そうです。最近同窓会で10年ぶりにこの2人に会って、こ
の事故について話を触れたらしく、話の中で驚く事を言って
おられました。現場に派遣された2人の話ではこの墜落機の
尾翼部分に『模擬弾』が当たった跡があったらしく、尾翼が
発見された周辺にも『米軍の模擬弾』と見られる物も一緒に
見つかったそうです。 https://bit.ly/2QM9GxQ
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123便墜落現場と御座山の位置関係
最後の「多くの証言から浮かび上がる疑惑」で述べられた内容についてコメントします。
A, 川上慶子さんに関する記述は、誤りです。
「米田憲司著・御巣鷹の謎を追う」のP43〜P47に詳しいが、要旨は次のとおり。
慶子さんは、国立高崎病院で8月14日に医師と警察から事情聴取を受け、その際、付き添いの叔母(父英治さんの妹)も話を聞いた。
「墜落後、母は動かなかったが、父と妹は動いていて、互いに声を掛け合っていた。そのうち、父は冷たくなり、妹の声もしなくなった。」
警察と医師からは口止めされたが、この後、他の叔母二人にもこの話をし、重要なことなのでメモをした。
8月16日に島根県大社町で3人のお通夜が行われた際、この事を叔母の一人が身内に話し、これを赤旗の記者が聞いた。
川上家の了解をとった上で、8月18日に「しんぶん赤旗」が、一面トップのスクープ記事として報道した。
その後、各新聞・テレビが後追い取材して報道し、父と妹が生きていたことは全国的に知られていた。
従って、慶子さんが大社町に帰った時、このことは近所の人にも周知のことですから、「慶子は夢でも見たんじやろう。」はありえません。
後に、落合由美さんも、墜落直後に複数のうめき声が聞こえたことを語っています。。
B, 「現場に派遣された2人の話ではこの墜落機の尾翼部分に『模擬弾』が当たった跡があったらしく、
尾翼が発見された周辺にも『米軍の模擬弾』と見られる物も一緒に見つかったそうです。」とあるが、根拠のない作り話または空想です。
「尾翼部分」とは、「水平尾翼」か「垂直尾翼」か、あるいはどちらかを固定する機体尾部か?
墜落時の損傷が多数ある中で、「『模擬弾』が当たった跡」をどのように識別できたのか?
「『米軍の模擬弾』と見られる物」と判断できた根拠は何か?
仮に、「模擬弾」が日航機の飛行中に「尾翼部分」に当たったのなら、模擬弾は、墜落地点のはるか前に、尾翼部分から離れて落ちているはずなのに、なぜ近くにあったのか?
2023,10,11―3
鷹富士成夢