2018年09月19日

●「自衛隊が否定する追尾ファントム」(EJ第4852号)


 低空で飛行するJAL123便とみられるジャンボジェット機
の後を追尾する自衛隊の2機のファントム戦闘機──これには多
くの目撃情報があることがわかっています。この2機のファント
ムは、何の目的でJAL123便を追尾していたのでしょうか。
 実は、当時自衛隊は、次の2機種のファントムを保有していた
のです。
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            F4−EJ
            RF−4E
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 ここで知っておくべきことがあります。それは「TACAN」
(タカン)と呼ばれるものです。TACANは、電波航法の一部
で、軍用の極超短波(UHF)による方位・距離測定装置で,米
国海軍によって航空母艦への帰投用として開発されたものです。
つまり、自衛隊は、その装置の付いているファントム機を飛ばし
JAL123便の墜落場所を探ろうとしたのです。
 つまり、墜落寸前の危機にあるJAL123便を2機のファン
トム機が追っていたのは、墜落場所を早く正確に特定するためと
考えられます。確かに素早く生存者を救助するためには、墜落場
所を特定する必要があるからです。
 しかし、軍事に詳しくない一般国民には絶対にわからないこと
があります。ファントム機には当時上記の2種類があり、位置測
定の能力としては、RF−4Eがダントツに優れているというこ
とです。F4−EJでは約5キロの誤差が出てしまうからです。
生存者救助を第一に考えるのであれば、なぜ、能力の高いRF−
4Eを飛行させなかったのか疑問が残ります。
 もっとも、RF−4Eが飛ばなかったわけではないのです。R
F−4Eに飛行命令が出たのは8月13日午前5時50分のこと
です。墜落場所は既に確定しています。つまり、墜落場所を特定
するための飛行ではなく、現場の「写真撮影」が目的です。救助
や地上部隊をサポートする任務ではないのです。それなら、何の
ためにRF−4Eを飛ばしたのでしょうか。
 JAL123便の機影がレーダーから消えたのは、18時57
分です。その後ヘリを含む複数の飛行体が何機も現場上空に飛来
しています。これについて、角田四郎氏は、自著で次のように述
べています。
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 実は、米軍横田基地所属の「C130」輸送機が19時10分
に墜落現場上空から基地に一報を入れている。そのときの位置は
横田TACANから305度、34・6マイルと報告がある。後
に判明した現場から北に5キロはずれていた。
 次に例のF4−EJファントム2機が19時21分に現場上空
に到着、20分にわたる旋回で送って来たデータは、現場の南東
へ5キロずれていた。ファントムに遅れること53分、同じ百里
基地をたった救難用ヘリコプターのKV・107(バートル)が
現場上空着が20時42分、百里基地から現場までヘリでは48
分もかかるものなのだろうか。このKV・107が知らせた位置
は地図では初めて長野県側に入った現場の南西3キロ。それでも
現場からは5キロも南の川上村の扇平山を指した。この機は、高
度1650メートルまで降下したというから、落合さんが手を振
ったのはこのヘリだったかもしれない。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
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 実はJAL123便がレーダーから消えたとき、自衛隊は次の
公式発表を行っています。
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18時59分:峯岡山基地吉田一尉、中部航空方面隊司令部防衛
 部長・大中康生一佐を通じ、松永貞昭司令官に日航機123便
 レーダー消滅を伝達。「北緯36度02分、東経138度41
 分」
19時01分:大中1佐松永空将の了解にて、スクランブル発信
 命令。空自百里F−4EJファントム戦闘機2機(第305飛
 行隊。式地豊二将ら発進)。この時間より以前、自衛隊はファ
 ントム機、ヘリ等発信させていないと発表
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
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 この自衛隊の公表は、2つの不可解なことがあります。
 不可解なことの1つは、123便のレーダーの消えた場所とさ
れる「北緯36度02分、東経138度41分」は、長野県北相
木村、御座山北斜面」の位置に当たります。これは、百里基地を
飛び立った救難用ヘリコプターの情報に基づいていますが、墜落
場所が異なっています。問題はなぜ間違えたのかです。
 これに基づいてNHKは、テレビで何回も「墜落場所は長野県
御座山」と報道しているのです。これによって、全国的に墜落場
所の誤情報が伝わってしまったのです。
 不可解なことの2つは、19時1分に自衛隊は、空自百里基地
からF−4EJファントム戦闘機2機を発進させたとし、それ以
前は、ファントム機もヘリも発進させていないといっていること
です。そうであるとすると、123便を追尾していたあのファン
トム機2機は何なのでしょうか。123便が墜落前から追尾して
いたのですから、まるで時間が異なります。
 このようなわけで、123便の墜落現場発見は大幅に遅れ、墜
落直後は、生存者の証言によると、100人以上が生きていたと
される乗客・乗員のほとんどが亡くなり、生存者は4人のみとい
うことになったのです。なぜ、救助できなかったのでしょうか。
 墜落場所を間違えたのではなく、あえて誤情報を流し、場所を
特定させなかった疑いも捨てきれないのです。
         ──[日航機123便墜落の真相/022]

≪画像および関連情報≫
 ●日航123便はなぜ墜落したのか/第76回/森永卓郎氏
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   青山透子氏の本のなかでまず注目すべきことは、墜落直前
  の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していたと
  いう複数の目撃証言だ。この証言のなかには、当時の小学生
  が事故の状況を綴った文集のなかでの証言も含まれている。
  子どもたちがうそをつくはずがない。しかし、この証言を前
  提にすれば、日本政府は、当初から墜落現場を完全に把握し
  ていたことになる。
   それでは、公式に機体を発見したとされる翌朝まで、自衛
  隊は一体何をしていたのだろうか。本書に掲載された証言に
  よると、現場にはガソリンとタールをまぜたような強い異臭
  がしていたそうだ。また、現場の遺体は、通常の事故では、
  あり得ないほど完全に炭化していたという。自衛隊を含む軍
  隊が使う火炎発射機は、ガソリンとタールを混合したゲル状
  燃料を使用している。つまり、墜落から翌朝までの間に、何
  者が証拠隠滅のために強力な燃料で焼き尽くしたのではない
  かということだ。
   消すべき証拠とは何か。青山氏の著書によると、123便
  から窓の外を撮った写真を解析すると、オレンジ色の物体が
  飛行機に向かって飛んできているという。それは地上からも
  目撃されている。青山氏は、次のような可能性を提示してい
  る。自衛隊の訓練用ミサイルなどの飛行体は、オレンジ色で
  塗られていた。何らかの理由で、その飛行体が123便の尾
  翼を破壊したため、123便は制御不能に陥ったのだ。
                  https://bit.ly/2w2TvlU
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RF−4Eファントム.jpg
RF−4Eファントム
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(2) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
平野浩様

最後の部分で、「青山透子氏の本のなかでまず注目すべきことは、」に続いて述べられている内容について下記コメントします。

1、「墜落直前の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していたという複数の目撃証言だ。」とありますが、そのような目撃証言はありません。
2、小学生文集については、先に第4851号に関してコメントしたとおりで、時刻に関して子どもの記憶違い。
3、「123便から窓の外を撮った写真を解析すると、オレンジ色の物体が飛行機に向かって飛んできている」が誤りであることは、先に第4849号に関してコメントしたとおりで、青山氏の誤解です。
4、「青山氏の著書によると、自衛隊の訓練用ミサイルなどの飛行体は、オレンジ色で塗られていた。
何らかの理由で、その飛行体が123便の尾翼を破壊したため、123便は制御不能に陥ったのだ。」とあるが、
「遺物は真相を語る」までの青山氏の著書3冊のどこにも、そのような記述はありません。
5、「ガソリンとタールを混合したゲル状燃料を使用している」に関してコメントします。

青山著「墜落の新事実」のP156に、「●ガソリンとタールの異臭について・・・・・事故当日の朝、極めて早い時間に現場に足を踏み入れた消防団の人々による証言をもとに、現場に漂っていた臭いから推定されるものについて・・・・・・・・」と記し、それに続くページで、「ガソリンとタールの異臭」に関する質問を様々な方面に質問しています。
ところが、肝心の異臭を感じた場所、当時の風向・強さ、時間などの情報が不明です。

消防団の人たちは、最初にスゲノ沢に着いて、機体後部の残骸が積み重なった場所で、落合さんなど生存者を最初に発見しています。

異臭を感じた場所はどこか?
最初の、機体後部の残骸があった場所なのか?
上方の、機体中央部などの残骸があった場所なのか?
双方含めて全域なのか?
特定の狭い局地なのか?
風向と風速はどの程度か?
沢山の消防団員のうち、何人が、どの場所で感じたのか?

タールの臭いは何を根拠に識別できたのか?
(ガソリンの臭いは自動車を運転する人なら馴染の臭いだが、タールを扱う人は極めて稀だし、常温では殆ど臭いがしない。)

異臭に関する情報としては曖昧で、情報価値が極めて乏しい。

墜落現場には燃料のケロシンの他、内装材のプラスチック、タイヤなどのゴム、少し残った油圧システムのオイル、機械油、倒れた樹木、遺体および衣服、
など、多様な物が燃え、複雑な臭いがしていたはずで、それは場所と時間によって異なるはずです。
ケロシンは短時間で燃え尽きるかもしれませんが、他の固体は消化活動をしなければ長時間燃え続けていたかもしれません。
単純に「ガソリンとタール」と決め付ける根拠はありません。
臭いは、数値化も図示もできない極めて主観的なものだし、時間の経過と共に薄れていくものなので、
客観的に評価できる他の情報により補足できない限り、単純に何の臭いと決め付けることはできません。

  2023,10,11−2
            鷹富士成夢
Posted by 鷹富士成夢 at 2023年10月11日 17:30
Posted by とんぬら at 2024年09月01日 08:55
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