日の夕方から夜にかけて何を見たかについてまとめた小学生と中
学生の冊子があると書いてあります。群馬県上野村立上野小学校
と中学校における子ども達の証言です。
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1.文集『小さな目は見た』 1985年9月30日発行
群馬県上野村立上野小学校/148名
2.冊子『かんな川5』 1985年10月1日発行
群馬県上野村立上野中学校/ 87名
──青山透子著/河出書房新社
『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
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「1」については、群馬県上野村立上野小学校の148名の小
学生による日航機墜落事故についての文集です。上野小学校の当
時の校長神田箕守氏は、この文集について、次のように書き記し
ています。
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子ども達は多くのものを見聞し、多くのことを知りました。多
くのことを考えました。だがこの貴重な体験もそのまま放置する
ならば、やがて忘却の彼方に消え去ることは必至であります。体
験が生々しい中に、考えが新鮮な中に、それを深め、まとめてお
くことが、子ども達の長い人生に役立つことであり、尊い犠牲者
の御供養にも通ずるものと「日航機事故について」の文集を作る
ことにしました。 ──神田箕守氏
──青山透子著の前掲書より
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「1」と「2」は、小学校と中学校がとくに相談して作成され
たものではなく、偶然に小学校と中学校で、子ども達による文集
が作られていたのです。注目すべきことは、作成された時期が事
故直後の証言であることです。目撃情報としては、価値があると
いうことです。
青山透子氏は、これら2つの文集をていねいに読み、分析して
数値化しています。事故当日の12日分について、墜落の前、墜
落前後、墜落後に見たもの、聞いたものの統計です。これによる
と、当日小学校と中学校で、なんらかのものを見た子どもたちは
次の通りになります。
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小学校 ・・・・・ 51%
中学校 ・・・・・ 55%
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小学校の「墜落前」の次の記録です。小学校5年生のH・H君
は、次のように述べています。
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8月12日の夕方、6時45分ごろ南の空の方からジェット機
2機ともう1機大きい飛行機が飛んできたから、あわてて外へ出
てみた。そうしたら神社のある山の上を何回もまわっているから
おじさんと「どうしたんだんべ」といって見ていた。おじさんは
「きっとあの飛行機が降りられなくなったからガソリン減らして
いるだんべ」と言った。ぼくは「そうかなあ」と思った。それか
らまたも見ていたら、ジェット機2機は埼玉県の方に行ってしま
いました。 ──青山透子著の前掲書より
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大きい飛行機と小さな2機のジェット機──どう考えても、J
AL123便と2機のファントム機としか考えられません。8月
14日のEJで取り上げた小林美保子さんも同じ証言をしている
のです。子どもはウソをつきませんから、見たままをいっている
と思います。
中学校の文集でもこれと似た証言があります。大きい飛行機と
2機のジェット機の目撃──中学3年生のY・K君の作文です。
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その日は、やたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく
思って外に出て行って「おい、Y、飛行機が飛んでいるぞ。来て
みろ」と言ったので、行ってみた。飛行機は大きいような飛行機
と小型のジェット機が2機飛んでいた。5分以上もたっているの
に、さっきから、ぐるぐる回ってばかりいた。外にいると、蚊に
さされるので、家の中にはいった。そしてテレビを見ていたら、
「キロリン、キロリン」と音がして、なお、いっそうテレビに注
目した。ニュース速報で、大阪行き日航ジャンボジェット機12
3便が、レーダーから消えました。と書いてあった』。
──青山透子著の前掲書より
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中学生の文集は、さすが小学生よりも具体的です。場所も本谷
時計山、御巣鷹山というように地名が出てくるし、そのとき、周
りにいた親戚や近所の人たちの会話も出てきます。そのなかに、
「赤い飛行機」という記述があります。中学1年生のY・K君は
次のように述べています。
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午後7時少し前、蚕にくわを入れていたら、雷のような音がし
ました。ぼくの家の下の人は、真っ赤な飛行機を見たといいまし
た。ぼくはその時、どうして飛行機がこんな方に飛んで来たのか
と思いました。それも真っ赤な飛行機。ぼくはその時、いやなこ
とがおこらなければよいと思いました。
──青山透子著の前掲書より
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このような子ども達の証言を分析すると、墜落前はJAL12
3便のうしろに2機のジェット機が追尾していたというのは、複
数の証言があり、間違いのない事実のようです。2機のジェット
機は、小林美保子さんの証言とも合わせると、ファントム機であ
ると思われます。なぜ、追尾する必要があったのでしょうか。
──[日航機123便墜落の真相/021]
≪画像および関連情報≫
●JAL123便墜落事故/真相が語られるとき
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早いもので、私が123便事件に疑問を抱いて7年、この
ブログを始めてから、6年近い年月が経過しようとしていま
す。自分のブログを読み返すと、書き始めの当初は情報量の
少なさ、そして事実認識の甘さから、誤っている部分が多い
ことに気がつきます。言い訳ではありませんが、このブログ
は調査の進展と共に進化前進しています。読者の皆様におか
れましては、管理人である私が、何をきっかけに考えを改め
るようになったのか、表現を変えるようになったのか、その
変化、成長過程も含めご理解いただければ幸いです。
さて、このブログが主力テーマとして取り上げてきた12
3便事件の真実、すなわち「あの日、日航123便に何が起
きたのか」についてですが、調査開始から7年、100%と
は言えないまでも、その概要についてほぼ全体像を把握する
ことができました。
ならば、早くそれを書けと皆様は思われるかもしれません
が、残念ながら、その真相はあまりに深く、とても一言、二
言でお伝えすることはできません。123便事件の真相を理
解するには、まず読者の皆様に理解に必要な予備知識、周辺
知識をお備えいただく必要があります。現場調査を継続し、
当局の激しい妨害を潜り抜けてきた私ですら、7年かかった
事件です。メディア、ネット上の限られた情報しか持ち得な
い読者の皆様にそれをお伝えするのはかなり難しいと感じて
います。そして、何より難しいのが、123便事件の真相は
読者の皆様と現在でも密接に関連しており、真実のいきなり
の全公表は、皆様の社会通念を破壊するばかりでなく、皆様
が置かれている社会的な利害関係を崩壊させる危険があると
も認識しています。 https://bit.ly/2CXLZ2r
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F4−EJファントム



下記、当該文章を引用しながら説明します。
まず、小学校5年生のH・H君の文章。
『8月12日の夕方、6時45分ごろ南の空の方からジェット機2機ともう1機大きい飛行機が飛んできたから、あわてて外へ出てみた。
そうしたら神社のある山の上を何回もまわっているからおじさんと「どうしたんだんべ」といって見ていた。
おじさんは「きっとあの飛行機が降りられなくなったからガソリン減らしているだんべ」と言った。
ぼくは「そうかなあ」と思った。それからまたも見ていたら、ジェット機2機は埼玉県の方に行ってしまいました。』
青山氏は、「大きい飛行機は日航機で、墜落前の情景だ」と主張していますが、それはありえません。
1、18時45分には、日航123便は山梨県(JR中央線梁川駅の北、約5km)の上空にいたことがDFDRに基づく経路から確認できます。
2、CVRの18時46分6秒には、「相模湖まで来てます」と録音されていて、この時点で相模湖の近く。
3、日航機の墜落直前の旋回は上野村の人家のある所からは見えないから、大人の目撃情報がありません。
4、長野県川上村梓山地区からは見えるので、墜落直前の旋回を示す目撃情報が複数あります。
5、日航機が「何回もまわっている」ことはありえません。
6、南の方からきて、上野村上空を旋回して、最後に御巣鷹の尾根に墜落したなら、左旋回しながら北西方向からの墜落になり、それは現場の状況(南東からの墜落)に合致しません。
6、米軍のアントヌッチ氏(当時、中尉)の手記(「米田憲司著・御巣鷹の謎を追う」のP105〜P108に和訳全文)によれば、
米軍C130H輸送機が19時15分に墜落現場上空に来て、21時20分まで2時間余、墜落地点の上空を通る経路で長時間の旋回を続けています。
従って、H・H君の「6時45分ごろ」は記憶違いで、実際には(C130Hが旋回している)「7時15分以降」とすれば、全て辻褄が合います。
その時間帯には自衛隊の戦闘機も飛んでいました。
次に、中学3年生のY・K君の作文です。
『その日は、やたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく思って外に出て行って「おい、Y、飛行機が飛んでいるぞ。
来てみろ」と言ったので、行ってみた。飛行機は大きいような飛行機と小型のジェット機が2機飛んでいた。
5分以上もたっているのに、さっきから、ぐるぐる回ってばかりいた。外にいると、蚊にさされるので、家の中にはいった。
そしてテレビを見ていたら、「キロリン、キロリン」と音がして、なお、いっそうテレビに注目した。
ニュース速報で、大阪行き日航ジャンボジェット機123便が、レーダーから消えました。と書いてあった』
こちらは、「大きい飛行機と小型のジェット機」を米軍輸送機と自衛隊の戦闘機として、全く矛盾がありません。
青山氏は、時間的な経過や多様な情報を総合的に矛盾なく理解する能力に欠けています。
2023,10,11 鷹富士成夢