2018年09月18日

●「JAL123便を追尾する戦闘機」(EJ第4851号)

 青山透子氏の本に、御巣鷹山事故のあった1985年8月12
日の夕方から夜にかけて何を見たかについてまとめた小学生と中
学生の冊子があると書いてあります。群馬県上野村立上野小学校
と中学校における子ども達の証言です。
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 1.文集『小さな目は見た』  1985年9月30日発行
          群馬県上野村立上野小学校/148名
 2.冊子『かんな川5』    1985年10月1日発行
          群馬県上野村立上野中学校/ 87名
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
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 「1」については、群馬県上野村立上野小学校の148名の小
学生による日航機墜落事故についての文集です。上野小学校の当
時の校長神田箕守氏は、この文集について、次のように書き記し
ています。
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 子ども達は多くのものを見聞し、多くのことを知りました。多
くのことを考えました。だがこの貴重な体験もそのまま放置する
ならば、やがて忘却の彼方に消え去ることは必至であります。体
験が生々しい中に、考えが新鮮な中に、それを深め、まとめてお
くことが、子ども達の長い人生に役立つことであり、尊い犠牲者
の御供養にも通ずるものと「日航機事故について」の文集を作る
ことにしました。              ──神田箕守氏
                ──青山透子著の前掲書より
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 「1」と「2」は、小学校と中学校がとくに相談して作成され
たものではなく、偶然に小学校と中学校で、子ども達による文集
が作られていたのです。注目すべきことは、作成された時期が事
故直後の証言であることです。目撃情報としては、価値があると
いうことです。
 青山透子氏は、これら2つの文集をていねいに読み、分析して
数値化しています。事故当日の12日分について、墜落の前、墜
落前後、墜落後に見たもの、聞いたものの統計です。これによる
と、当日小学校と中学校で、なんらかのものを見た子どもたちは
次の通りになります。
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        小学校 ・・・・・ 51%
        中学校 ・・・・・ 55%
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 小学校の「墜落前」の次の記録です。小学校5年生のH・H君
は、次のように述べています。
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 8月12日の夕方、6時45分ごろ南の空の方からジェット機
2機ともう1機大きい飛行機が飛んできたから、あわてて外へ出
てみた。そうしたら神社のある山の上を何回もまわっているから
おじさんと「どうしたんだんべ」といって見ていた。おじさんは
「きっとあの飛行機が降りられなくなったからガソリン減らして
いるだんべ」と言った。ぼくは「そうかなあ」と思った。それか
らまたも見ていたら、ジェット機2機は埼玉県の方に行ってしま
いました。           ──青山透子著の前掲書より
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 大きい飛行機と小さな2機のジェット機──どう考えても、J
AL123便と2機のファントム機としか考えられません。8月
14日のEJで取り上げた小林美保子さんも同じ証言をしている
のです。子どもはウソをつきませんから、見たままをいっている
と思います。
 中学校の文集でもこれと似た証言があります。大きい飛行機と
2機のジェット機の目撃──中学3年生のY・K君の作文です。
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 その日は、やたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく
思って外に出て行って「おい、Y、飛行機が飛んでいるぞ。来て
みろ」と言ったので、行ってみた。飛行機は大きいような飛行機
と小型のジェット機が2機飛んでいた。5分以上もたっているの
に、さっきから、ぐるぐる回ってばかりいた。外にいると、蚊に
さされるので、家の中にはいった。そしてテレビを見ていたら、
「キロリン、キロリン」と音がして、なお、いっそうテレビに注
目した。ニュース速報で、大阪行き日航ジャンボジェット機12
3便が、レーダーから消えました。と書いてあった』。
                ──青山透子著の前掲書より
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 中学生の文集は、さすが小学生よりも具体的です。場所も本谷
時計山、御巣鷹山というように地名が出てくるし、そのとき、周
りにいた親戚や近所の人たちの会話も出てきます。そのなかに、
「赤い飛行機」という記述があります。中学1年生のY・K君は
次のように述べています。
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 午後7時少し前、蚕にくわを入れていたら、雷のような音がし
ました。ぼくの家の下の人は、真っ赤な飛行機を見たといいまし
た。ぼくはその時、どうして飛行機がこんな方に飛んで来たのか
と思いました。それも真っ赤な飛行機。ぼくはその時、いやなこ
とがおこらなければよいと思いました。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 このような子ども達の証言を分析すると、墜落前はJAL12
3便のうしろに2機のジェット機が追尾していたというのは、複
数の証言があり、間違いのない事実のようです。2機のジェット
機は、小林美保子さんの証言とも合わせると、ファントム機であ
ると思われます。なぜ、追尾する必要があったのでしょうか。
         ──[日航機123便墜落の真相/021]

≪画像および関連情報≫
 ●JAL123便墜落事故/真相が語られるとき
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   早いもので、私が123便事件に疑問を抱いて7年、この
  ブログを始めてから、6年近い年月が経過しようとしていま
  す。自分のブログを読み返すと、書き始めの当初は情報量の
  少なさ、そして事実認識の甘さから、誤っている部分が多い
  ことに気がつきます。言い訳ではありませんが、このブログ
  は調査の進展と共に進化前進しています。読者の皆様におか
  れましては、管理人である私が、何をきっかけに考えを改め
  るようになったのか、表現を変えるようになったのか、その
  変化、成長過程も含めご理解いただければ幸いです。
   さて、このブログが主力テーマとして取り上げてきた12
  3便事件の真実、すなわち「あの日、日航123便に何が起
  きたのか」についてですが、調査開始から7年、100%と
  は言えないまでも、その概要についてほぼ全体像を把握する
  ことができました。
   ならば、早くそれを書けと皆様は思われるかもしれません
  が、残念ながら、その真相はあまりに深く、とても一言、二
  言でお伝えすることはできません。123便事件の真相を理
  解するには、まず読者の皆様に理解に必要な予備知識、周辺
  知識をお備えいただく必要があります。現場調査を継続し、
  当局の激しい妨害を潜り抜けてきた私ですら、7年かかった
  事件です。メディア、ネット上の限られた情報しか持ち得な
  い読者の皆様にそれをお伝えするのはかなり難しいと感じて
  います。そして、何より難しいのが、123便事件の真相は
  読者の皆様と現在でも密接に関連しており、真実のいきなり
  の全公表は、皆様の社会通念を破壊するばかりでなく、皆様
  が置かれている社会的な利害関係を崩壊させる危険があると
  も認識しています。       https://bit.ly/2CXLZ2r
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F4−EJファントム.jpg
F4−EJファントム

posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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