2018年09月13日

●「事故当時の山下運輸相の反応探る」(EJ第4849号)

 18時12分20秒に羽田空港を離陸したJAL123便は、
6分後の18分38秒には、早くもベルトサインはオフになり、
スチュワーデスたちは、サービスに動き出しています。そのとき
から乗客の一人である小川哲夫氏(当時41歳)は、右通路から
窓の外の写真を撮り始めています。
 ところがその5分後に「ベルト・オン」のサインが出たので、
小川氏は自席(右側最後部から三列目の2席の通路側。窓側は小
川氏の奥さん)に戻って窓の外にカメラを構えたのです。
 その直後の24分34秒に「ドドーン」という衝撃音がしたの
です。これは推測ですが、とっさに小川氏はカメラで窓の外を連
続して何枚か写真を撮ったものと思われます。その写真の一枚が
添付ファイルの写真です。
 このとき、JAL123便は上昇中だっのですが、飛行機の左
舷から水平に胴体下部に衝突したファイヤー・ビーが角度を変え
て、123便の右後方に飛んでいたとすると、この写真の説明が
つくのです。
 一見すると、この黒点は、事故現場から回収された小川哲夫氏
のカメラとみられるネガフィルムに写っていたもので、最初の時
点から話題になっていたのです。しかし、事故調は、単なるカメ
ラか窓のシミのようなものとして一顧だにしませんでした。しか
し、これはけっしてゴミでもシミでもなく、オレンジ色の飛翔体
であることが後から判明したのです。
 その証明は、元国際線パーサーの青山透子氏の著書に出ていま
す。青山透子氏は、先方からの希望で2010年11月10日に
事故当時の運輸大臣山下徳夫氏(当時91歳)に会っています。
せっかくの機会なので、本の編集者も同席して、当時のいろいろ
な写真や資料を見せて、感想を聞いたそうです。
 そのとき、「急減圧のない機内」と「窓の外の黒点」の写真を
見せて、山下氏の意見を聞いています。青山氏の本から、その部
分を引用します。
─────────────────────────────
 「これは急減圧がないように見える機内の写真(8月22日付
EJ第4833号に添付)ですが、どうですか。事故原因の急減
圧があったとは思えない風景だと思いますが、いかがですか。し
かし、事故調査委員会はこの写真を証拠としてはまったく取り上
げませんでした。次はこの窓の外を写した写真ですが、ご存知で
したか。相模湾の向こうに富士山の影が見えて、飛行機の翼の先
が写っています。おそらく窓から外の風景を写したのでしょうが
他の写真に比べて、一枚黒い点のあるものがあります。この黒い
点に見えるものですが、その前後の同じような風景写真を見てみ
ると、黒点がありません。つまり、窓のシミでもなければ、ごみ
でもないことがわかります。そこで知り合いの研究者に頼みまし
て、画像専門の解析をする研究所で拡大分析をした結果、黒点を
だんだん大きく拡大すると、オレンジ色になることがわかりまし
た。その写真がこれです」
 そういって、次の拡大写真を出した途端、ナイフとフォークを
置き、両手を広げたオーバーなポーズで、山下氏はこう言った。
 「なんだ、これは!」
 広げた手も大げさだが、目も大きくして驚いて見せたその顔は
思わず編集者と顔を見合わせて噴き出すほどのポーズだった。そ
れは、かなりわざとらしいリアクションであった。その拡大写真
を目の前に置いて「このようにオレンジ色っぼい物体です。この
高度で飛ぶ鳥でオレンジ色のものなどいません。鳥ではないとす
ると、一体何でしょうか?」と話すと、「さあ、何だろうねえ」
と、首をかしげながら画像を見ていた。
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 これには、そのとき山下氏はわざとらしいジェスチャーであっ
たといいます。青山氏は、「自衛隊の無人標的機とか練習用ミサ
イルとか、そういうものがオレンジ色に塗られています」とまで
踏み込んだのですが、山下氏はとくに動揺する様子もなく、むし
ろわかっていたという表情だったそうです。青山氏と編集者は、
山下氏との別れ際の次の一言が気になったといいます。
─────────────────────────────
 あのね、日本は何でもアメリカの言いなりだからね。遺族が再
調査を望むのであれば、ぜひすべきであると思う。 山下徳夫氏
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 この青山透子氏の本について、どちらかというと、事故調の結
論が正しいとする説を主張する元共同通信記者の堀越豊裕氏は、
自著で、青山本について次のように述べています。
─────────────────────────────
 青山の本は慎重に断定を避けているが、墜落は圧力隔壁の破断
による事故ではなく、ミサイルや無人標的機が垂直尾翼に当たり
撃墜した可能性を示した。本にはその推定を支える目撃証言など
が盛り込まれており、事故調の報告書や米国の内部資料には出て
こない。  ──堀越豊裕著『日航機123便墜落最後の証言』
                    平凡社新書/885
─────────────────────────────
 JAL123便のミサイル型無人標的機の衝突による説を最初
に唱えたのが、池田昌昭著『JAL123便墜落事故真相解明/
御巣鷹山ファイル』(文芸社刊)です。それに角田四郎氏による
疑惑/JAL123便墜落事故/このままでは520柱は瞑れな
い』(早稲田出版)が続くのですが、動かぬ証拠とまではいえな
いもどかしさがあります。青山透子氏の本には、彼女の足で集め
た膨大な証言が満載されており、それらはいずれもミサイル型無
人標的機の衝突の正当性を裏付けています。オレンジ色の飛翔体
にはもうひとつの目撃表現があります。明日のEJで取り上げる
ことにします。  ──[日航機123便墜落の真相/019]

≪画像および関連情報≫
 ●山下徳夫元運輸大臣を偲んで/青山透子氏
  ───────────────────────────
   2014年の1月1日に、JAL123便事故当時に運輸
  大臣だった山下徳夫氏が94歳でお亡くなりになりました。
  昨日編集者からの電話で、それを知りました。実は、私の本
  をお読みになり、そのご縁で、都内にて編集者と共にお会い
  する機会がありました。その時山下氏に、私が本を出版した
  際に知り得た情報をもとに、遺族から提供された機内写真や
  窓から見える写真、研究者が拡大してくれた写真などもお見
  せして、この事故の状況について説明をしました。
   その際、ポケットからいつも持ち歩いているという、川上
  慶子ちゃんの座席ナンバーの入ったチケットの半券のコピー
  を取り出して、「飛行機に乗る際のお守り代わりなんだ」と
  おっしゃっていたのにはちょっと驚いた記憶があります。
   当時はとても複雑な気持ちでしたが、今思うと政治家とい
  えども、一人の人間であり、またお孫さん思いのおじいちゃ
  んだったと思います。編集者と共に、またお元気なうちにお
  会いしましょう、と別れたのが最後となりました。
  その後、私の本をじっくりと読んでくださって、今度は一緒
  に本を書きましょう、とか、とても良い本だ、教科書にした
  い、と感想を述べて下さったとを、編集者より聞きました。
   事故当時、山下氏は二階席担当だった私の先輩から「お孫
  さんにどうぞ」と、飛行機のプラモデルをもらい、その袋を
  持ったまま、事故の知らせを聞き、事故対策委員会へ急きょ
  向かったということでした。それは拙著にも新聞にも書いて
  あります。実際にお会いして話をして、あの時どういう気持
  ちだったのかなあと想像力を膨らませて考えてみると、自分
  が乗ってきた飛行機がそのまま墜落機になったというあまり
  の偶然に、身も心も凍る思いだったと思います。
                  https://bit.ly/2wZK0Wf
  ───────────────────────────

窓の外の謎の飛翔体.jpg
窓の外の謎の飛翔体
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
平野浩様

「青山透子著・墜落の新事実」のP43には、次のように記しています。

「乗客で最後尾Eコンパートメントの座席番号56Gに座っていた小川哲さんと、そのご家族は、離陸直後から窓の外の写真を何枚か撮っていた。・・・・・・・・・・・・
次に新聞や雑誌にも公表されている窓枠が水平になった写真(おそらく通路にて撮影)が一枚ある。遠くに富士山のシルエットと、下に相模湾の曲線がくっきりと見えて美しい風景写真に見えるが、黒点が入り込んでいる。その写真は拙著「天空の星たちへ」のカラー口絵に掲載している。」

この文章を読むと、この写真は、日航機が相模湾の上空を水平飛行し、ベルト装着サインが消えている時に写されたような印象を受けます。

なぜか青山著「墜落の新事実」にはこの写真がモノクロでさえも載っていないので、青山著「天空の星たちへ」(マガジンランド社版)のカラー口絵を確認してみました。

窓枠の写り方から、56J(右窓際)の席に、座った状態で写していることがわかります。(小川さんの娘の千佐子さんの席)
写真の下部に写る特徴的な海岸線は逗子・鎌倉付近であり、日航機は三浦半島の東、浦賀水道の上空を飛んでいます。
遠くに写る富士山の向こうに水平線が見えるから、日航機は高度3500m付近を飛行中です。
水平線に対する窓枠の傾きから、ピッチ角6度で上昇中とわかります。
富士山の方向から、日航機はほぼ真南に飛行中とわかります。
これらは、離陸後5分余り経過した18時17分30秒ごろのDFDRのデータに合致します。
この時、日航機は約320ノット(秒速170m)で飛行中です。

窓の中央付近に黒点が写っていますが、青山著のP96〜97で、この黒点は、拡大するとオレンジ色になり、日航機に向かって飛んできている物体だと述べています。

仮に、これが日航機に向かってくる直径1mの円筒形の飛翔体だとします。、
カメラのシャッタースピードを1/125とすれば、170/125≒1.4であり、日航機は約1.4m動いていますから、飛翔体の像は流れ、ぼやけるはずです。
黒点が流れてなく、ぼやけていないから、これは、フィルムの傷もしくゴミです。

これが直径1mの飛翔体だとしたら、窓枠の幅と座席から窓までの距離から換算して、飛翔体は日航機のおよそ100m先を飛んでくることになりますが、
日航機の320ノットは時速600kmですから、時速60kmで走る自家用車の窓から10mほど離れた道路脇に立っている人(夜間なら街灯)を写真に写したら画像が流れて写るのと同様になるはずです。
(仮に、この飛翔体が円筒形ではなくて球体で、56Jの窓に向かって飛んでくるなら、この写真のように写りますが、その場合、0.5秒後にその球体は日航機に衝突しています。)
(球体が日航機と同じ速度で同じ方向へ飛んでいる場合も、この写真のように写りますが、その場合、間もなくその球体は落下していきます。)

黒点を拡大するとオレンジ色になると述べているが、窓枠の黒い部分も拡大していくとオレンジ色が表れます。

青山氏は、写真を解読する能力に欠け、合理的思考力にも欠けているのか、
あるいは、意図的に読者を騙しているのでしょうか。
青山著「墜落の新事実」にはこの肝心の写真をモノクロでさえも載せていないは不可解です。


        2023,10,9
鷹富士成夢
Posted by 鷹富士成夢 at 2023年10月09日 14:10
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]